京都府の国宝・重要文化財建造物 (2)伏見・山科編 | 国宝・重要文化財指定の建造物

国宝・重要文化財指定の建造物

全国の国宝・重要文化財に指定された建造物についてのブログです。

このブログについて:

京都市伏見区・山科区で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

京都市伏見区
御香宮神社本殿
御香宮神社表門
藤森神社境内社大将軍社社殿
藤森神社境内社八幡宮本殿
寶塔寺本堂
寶塔寺塔婆(多宝塔)
寶塔寺四脚門(総門)
伏見稲荷大社本殿、権殿、外拝殿、楼門、南北廻廊(南廻廊)、南北廻廊(北廻廊)、奥宮、白狐社
伏見稲荷大社御茶屋
醍醐寺金堂
醍醐寺薬師堂
醍醐寺五重塔
醍醐寺開山堂
醍醐寺清滝宮本殿
醍醐寺清滝宮拝殿
醍醐寺如意輪堂
三宝院殿堂表書院、護摩堂、庫裏、純浄観、玄関、勅使の間、秋草の間及び葵の間、宸殿
三宝院唐門
三宝院宝篋印塔
安楽寿院五輪塔
法界寺阿弥陀堂
法界寺本堂(薬師堂)
与杼神社拝殿
京都市山科区
勧修寺書院
本圀寺経蔵(輪蔵)

 

 

平安時代開創の古刹

醍醐寺


だいごじ
京都市伏見区醍醐東大路町、醍醐上端山町、醍醐醍醐山
醍醐寺金堂34.951475, 135.821780
国宝・平安後期
桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺
醍醐寺五重塔34.950600, 135.822135
国宝・平安中期
三間五重塔婆、本瓦葺
醍醐寺清滝宮本殿34.950703, 135.821080
室町後期
三間社流造、檜皮葺
醍醐寺清滝宮拝殿34.945455, 135.837937
国宝・室町中期
懸造、桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、向拝三間、軒唐破風付、檜皮葺
醍醐寺薬師堂34.945556, 135.838738
国宝・平安後期
桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、檜皮葺
醍醐寺開山堂34.944603, 135.840807
桃山
桁行八間、梁間五間、一重、入母屋造、妻入、向拝三間、軒唐破風付、前部檜皮葺、後部こけら葺
醍醐寺如意輪堂34.944709, 135.840461
桃山
懸造、桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、妻正面、こけら葺
三宝院殿堂表書院34.952095, 135.819490
国宝・桃山
上段十五畳(床及び棚付)、十八畳、次の間二十七畳、四面入側、泉殿、車寄より成る、一重、入母屋造、泉殿切妻造、桟瓦葺、西面車寄唐破風造、檜皮葺 
玄関34.952238, 135.818974
桃山
桁行11.8m、梁間16.9m、一重、切妻造、妻入、本瓦葺
車寄 桁行4.8m、梁間5.8m、一重、唐破風造、檜皮葺
勅使の間、秋草の間及び葵の間34.952180, 135.819262
桃山
勅使の間十畳(附書院付)、秋草の間十五畳、広縁、車寄より成る、一重、入母屋造、妻正面、桟瓦葺、
車寄唐破風造、檜皮葺、
葵の間二十畳、一重、両下造、両端秋草の間及び繋の間に接続、桟瓦葺
宸殿34.952192, 135.819712
桃山
上座十畳(床、棚及び附書院付)、次の間十畳、武者隠八畳(床及び附書院付)、次の間八畳、十畳、四畳(押入付)、四畳半、三方入側より成る、一重、入母屋造、桟瓦葺
護摩堂34.952050, 135.820113
桃山
桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、桟瓦葺
庫裏34.952379, 135.819241
桃山
桁行21.7m、梁間13.8m、一重、入母屋造、桟瓦葺
純浄観34.952037, 135.819807
桃山
桁行七間、梁間四間、一重、入母屋造、茅葺、庇こけら葺
三宝院唐門34.952032, 135.819803
国宝・桃山
三間一戸平唐門、檜皮葺
三宝院宝篋印塔 
鎌倉後期
石造宝篋印塔、基壇付

三宝院宝篋印塔は醍醐寺南門の南400mの三宝院墓地内にあるが、正確な位置が確認できていないので、座標を空欄にしている。

醍醐寺は、山科盆地の東側、笠取の山頂にかけての広大な寺域を有し、山頂一帯を「上醍醐」山裾を「下醍醐」と称しています。平安時代初期に醍醐寺開創の第一歩が上醍醐に標され、以来、醍醐天皇、穏子皇后の帰依のもと、上醍醐に堂宇が建立されました。その後、下醍醐に釈迦堂が建立され、山上・山下にわたる壮大な寺院が整備されました。鎌倉時代には真言宗の根本道場としてその権威を高め、桃山時代には秀吉の帰依のもと「醍醐の花見」をもって大きく発展しました。
三宝院は永久3年(1115)に創建されました。醍醐寺の歴代座主が居住する坊です。
金堂: 
・下醍醐創建当時の釈迦堂は二度にわたり焼失し、現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州湯浅から移築が計画され、秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成したもの
・鎌倉初期の特徴を残す

金堂側面: 
・柱間幅は不均一で、妻は扠首組

・金堂は二軒の繁垂木で、柱上は出三斗、中備は間斗束

五重塔: 
・醍醐天皇の冥福を祈るために、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成したもので、京都府下で最も古い木造建築物
・相輪は古塔ほど大きく作られる傾向があり、醍醐寺の塔は相輪が塔の三分の一を占めるのが特徴

五重塔相輪

五重塔初層

五重塔第二層から第五層: 
・各層とも二軒の繁垂木で、組物は和様の三手先、中備は間斗束

清瀧宮本殿: 
・醍醐寺の総鎮守清瀧権現を祀る鎮守社で、上醍醐から下醍醐に分身を移したもの(上醍醐の本殿は昭和初期に焼失)
・現在の社殿は永正14年(1517)に再建されたもので、左右二殿の一間社を相の間で繋ぎ、三間とした珍しい構造

清瀧宮本殿右側社殿の向拝(写真左は接続部の相の間)

清瀧宮拝殿(下段写真は2005年1月撮影): 
・上醍醐に位置する住宅風の国宝建築
・拝殿の右側面に向拝が設けられ、入口があけられている
・拝殿正面(写真左側)は懸造りで、本殿は写真の右方向

・清瀧宮拝殿の向拝唐破風には蟇股が飾られている

清瀧宮拝殿の左側面: 
・妻は狐格子で、柱上は舟肘木
・二軒の垂木だが、地垂木を繁垂木、飛檐垂木を疎垂木としているのは珍しい
・正面(写真右側)には古風な蔀が吊られている

薬師堂: 
・延喜13年(913)に醍醐天皇の御願堂として創建されたもので、現在の堂は保安二年(1121)に再建された国宝建築
・平安後期の遺構として貴重

薬師堂左側面: 
・中央柱間が側柱間よりも狭いのは珍しい

開山堂: 
・開山、聖宝・理源大師を祀る堂で、現在の開山堂は、慶長11年(1606)に豊臣秀頼によって再建されたもの
・桃山時代の特徴をよく表した上醍醐最大の堂(2005年1月撮影)

如意輪堂: 
・現在の建物は慶長11年(1613)再建(2005年1月撮影)

三宝院表書院(写真奥の突出部は泉殿): 
・寝殿造りの様式を取り入れた桃山建築で、庭に面して建てられている
・柱上は簡素な舟肘木で、軒は疎垂木 

三宝院表書院の泉殿(写真奥の茅葺が純浄観): 
・車寄せの唐破風が付く

三宝院玄関: 
・右に勅使の間、秋草の間及び葵の間が続く

三宝院勅使の間、秋草の間及び葵の間: 
・写真右の妻入り入母屋唐破風付きの建物の右半分が勅使の間で、左半分が秋草の間、この左に続く両下造の建物が葵の間で、その左に接続するのが玄関

三宝院宸殿: 
・江戸初期の建築とされ、表書院の背後に位置する
・田の字型の間取りをしており、主室の上座の間には醍醐棚として知られる違い棚がある

三宝院護摩堂: ・妻入り入母屋造の建築で、三宝院の本堂

三宝院護摩堂妻の装飾

三宝院庫裏

三宝院純浄観(上段写真が西面で、下段写真が東面。上段写真の手前の建物は表書院): 
・秀吉の醍醐の花見の際の建物を移築したものであると伝わる

三宝院純浄観背面: 
・床下を池泉が流れる

三宝院唐門: 
・朝廷からの使者を迎える時だけに扉を開いたとされる勅使門
・菊と桐の四つの金の大紋は桃山時代の気風を伝える大胆な意匠

・三宝院唐門の欄間は繊細な意匠で、金の大紋の意匠とは対照的

修復前の三宝院唐門(2005年1月撮影)

アクセス
下醍醐の三宝院とその東の伽藍にある金堂、五重塔、清滝宮本殿までは、地下鉄醍醐駅から東に約1kmです。JR京都駅八条口から門前まで入るバスもあります。清滝宮拝殿、薬師堂、開山堂、如意輪堂は上醍醐にあり、上醍醐までは下醍醐からかなりしっかりした山道を1時間弱登ります。
見学ガイド
醍醐寺は有料で公開されています。下醍醐の拝観時間は午前9時〜午後5時(冬季は4時30分まで)で、上醍醐の入山受付時間は午前9時〜午後3時(冬季は2時まで)です。三宝院殿堂のうち、通常は宸殿、護摩堂、庫裏は見学できません。殿堂内部が特別公開されるときは、宸殿と護摩堂は内部を見ることができ、庫裏は中庭越しに見ることができます。宝篋印塔は非公開です。

感想メモ
三宝院の特別公開の日に合わせて訪問しました。予約の時間よりも2時間弱早く到着することができたので、まず上醍醐からお参りすることにしました。上醍醐には15年以上前ですが行ったことがあって、少し大変だったという僅かな記憶しかなかったですが、まあ急げば予約の時間までには戻ってこれるだろうという安易な判断で上り始めました。醍醐の花見の場所までは少し急坂で、それを過ぎるとなだらかな上り。こんなものかと高をくくっていたら、その先は只管急な上り。急ぐにも急ぎようがありません。やっと尾根道まで上りきると、今度は下り。帰路を考えるとこういうのも精神的にはきついです。何とか清滝宮拝殿と薬師堂まで来ましたが、開山堂まではまだちょっとあるとの表示。このまま進めば予約の時間にはどう考えても間に合わないので、ここで無念の下山。三宝院に向かいました。何とか予約の時間に間に合って、三宝院のお坊さんに、今上醍醐から急いで下りてきたところだと話すと、「それは大変でしたね。ご利益ありますわ」と言っていただきました。疲れがすっと取れました。お坊さんの言葉には不思議な力があります。
(2022年1月訪問)

参考
醍醐寺公式サイト、京都古建築(藤原義一)、現地解説板、解説版新指定重要文化財11

 

 

鎌倉後期の記年銘のある石塔

安楽寿院五輪塔


あんらくじゅいんごりんとう
京都市伏見区竹田中内畑町
安楽寿院五輪塔34.953241, 135.753878
重要文化財鎌倉後期
石造五輪塔
弘安十年丁亥二月□の刻銘がある

安楽寿院は鴨川・桂川の合流点にほど近い竹田に位置します。池が広がり風光明媚であったこの地に造営された鳥羽離宮の御堂で、保延3年(1137)の創建です。五輪塔は、鎌倉時代の弘安10年(1287)の銘が刻まれています。
・高さ約3mで、鎌倉時代の典型的な形式
・阿弥陀信仰によって建立されたものと推定されている

アクセス
地下鉄・近鉄京都線竹田駅6番出口南西400mです。五輪塔は鳥羽天皇陵の北側、社会福祉施設の駐車場脇にあります。
見学ガイド
五輪塔は常時自由に見学することができます。周囲を柵で囲われているので、近づいて刻銘を見ることはできません。

感想メモ
安楽寿院は思っていたより大きなお寺で、五輪塔の場所を探すのに少し苦労しました。文化庁のDBの位置は例によっていい加減な場所を指しているし、google mapにも出ていないし。社会福祉施設の前にあるとのブログ記事があったので探し当てることができました。Googleに目印を立てておきました。
(2022年1月訪問)

参考
安楽寿院公式サイト

 

 

舞殿のような吹き放ちの拝殿

与杼神社拝殿


よどじんじゃはいでん
京都市伏見区淀本町
与杼神社拝殿34.905338, 135.718092
桃山
桁行二間、梁間一間、一重、入母屋造、妻入、こけら葺

与杼神社は、淀・納所・水垂・大下津の産土神で、延喜式第9巻にもその名が見られます。元の鎮座地は、古来より大荒木の森と呼ばれる桂川右岸の川原でしたが、河川敷の拡幅工事に伴い、明治34年に現在の淀城址内に遷座されました。拝殿も旧地から移設されたものです。
・拝殿は一重入母屋造・こけら葺、四方吹き放ちの舞殿のような外見の建物
・正面と背面は柱間一間、両側面は正背面と堂寸法だが二間

・内部は一面の格天井
・角柱に大斗実肘木の簡素な構造
・頭貫木鼻、雲肘木の絵様が消失前の本殿と類似しているところから、本殿と同時期の桃山時代の建立と考えられている

・地覆石上に地長押を廻らし床を張る

アクセス
京阪電鉄淀駅下車、西300mです。
見学ガイド
与杼神社は常時自由に参拝することができます。拝殿もすぐ近くから見ることができます。

感想メモ
舞殿のような珍しい様式の拝殿でした。淀駅のすぐ近くですが競馬のない日だったので静かでした。
(2022年4月訪問)

参考
与杼神社公式サイト、解説版新指定重要文化財11

 

 

明正天皇の旧御殿

勧修寺書院


かんしゅうじしょいん
京都市山科区勧修寺仁王堂町
勧修寺書院34.961589, 135.807418
江戸中期
桁行正面六間、背面九間、梁間東側面五間、西側面四間、一重、入母屋造、こけら葺

勸修寺は山科区南部にある真言宗山階派大本山です。900年(昌泰3)に醍醐天皇が生母藤原胤子追善のため創建した勅願寺で、代々法親王が入寺して門跡寺院としての格式を誇りました。1470年(文明2)に兵火で焼失しましたが、徳川氏と皇室の援助で復興しました。書院は江戸時代に明正天皇の旧御殿を移築したものです。
・一重、入母屋造、こけら葺の住宅風の落ち着いた建築

・疎垂木で、柱が桁を直接受ける簡素な構造

アクセス
京都市営地下鉄東西線小野駅下車、西800mです。
見学ガイド
勧修寺書院は有料で公開されています。

感想メモ
御所の建物らしく落ち着いた佇まいを見せる建築です。上品な書院と広大でやや荒れた感じも受ける庭園との対照も、時代の流れを感じさせるようで興味深いです。
(2022年10月訪問)

参考
現地解説版

 

 

日蓮宗大本山の輪蔵

本圀寺経蔵(輪蔵)


ほんこくじきょうぞう(りんぞう)
京都市山科区御陵大岩町
本圀寺経蔵(輪蔵)34.999379, 135.806709
桃山
桁行三間、梁間三間、正面一間通り庇、一重、宝形造、庇葺きおろし、本瓦葺

本圀寺は、日蓮宗総大五山の初発唯一の寺、大本山です。昭和44(1969)年、京都六条より山科盆地の北、琵琶湖疎水にほど近い現在地に移転しました。経蔵は慶長12年(1607年)の再建で、昭和51年に旧境内地から移築されたものです。
・経蔵は、桁行三間、梁間三間、宝形造
・前面に幅一間の庇をつけ、この部分を葺き下ろして縋破風とする

・柱は角柱で、組物は木鼻付きの平三斗の詰組
・頭貫や組物には彩色が施されている

アクセス
京都市営地下鉄東西線御陵駅下車、北東1㎞です。
見学ガイド
本圀寺は自由に参拝することができます。経蔵周辺は立ち入り禁止です。石段の下や少し離れた駐車場などから経蔵を見ることができます。

感想メモ
住宅地の中を疎水まで上ります。いくつか曲がり角がありますが案内看板がしっかりしていて助かりました。疎水沿いの遊歩道を少し進むと本圀寺の赤い橋が見えてきます。奇麗に整えられた境内の一段高い場所に経蔵があります。近くから見ることはできませんが、前面に植栽が少ないので建物全体の姿を見ることはできました。
移転については、なかなか複雑な経緯があるようです。
(2023年4月訪問)

参考
本圀寺公式サイト、総覧日本の建築6-I