京都府の国宝・重要文化財建造物 (1)南区編 | 国宝・重要文化財指定の建造物

国宝・重要文化財指定の建造物

全国の国宝・重要文化財に指定された建造物についてのブログです。

このブログについて:

京都市南区で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

京都市南区
教王護国寺金堂
教王護国寺講堂
教王護国寺五重塔
教王護国寺大師堂(西院御影堂)
教王護国寺五重小塔
教王護国寺宝蔵
教王護国寺南大門
教王護国寺東大門
教王護国寺北総門
教王護国寺北大門
教王護国寺慶賀門
教王護国寺蓮花門
教王護国寺灌頂院東門、灌頂院、北門
観智院客殿

 

 

真言密教の根本道場「東寺」

教王護国寺


きょうおうごこくじ
京都市南区九条町
教王護国寺金堂34.980367, 135.747682
国宝・桃山
桁行五間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺
教王護国寺講堂34.980757, 135.747691
室町後期
桁行九間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺
教王護国寺五重塔34.979880, 135.748718
国宝・江戸前期
三間五重塔婆、本瓦葺
教王護国寺大師堂(西院御影堂)34.981652, 135.746796
国宝・室町前期
後堂、前堂及び中門より成る
後堂 桁行七間、梁間四間、一重、入母屋造、北面西側端二間庇、すがる破風造、東面向拝一間
前堂 桁行四間、梁間五間、一重、北面入母屋造、南面後堂に接続
中門 桁行二間、梁間一間、一重、西面切妻造、東面前堂に接続、総檜皮葺
教王護国寺五重小塔34.982148, 135.747303
鎌倉前期
三間五重塔婆、本瓦形板葺
教王護国寺宝蔵34.981488, 135.748819
平安後期
桁行三間、梁間三間、校倉、寄棟造、本瓦葺
教王護国寺南大門34.979561, 135.747688
桃山
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺
教王護国寺東大門34.980678, 135.749066
桃山
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺
教王護国寺北総門34.984181, 135.747676
鎌倉前期
四脚門、切妻造、本瓦葺
教王護国寺北大門34.982048, 135.747704
桃山
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺
教王護国寺慶賀門34.981871, 135.749057
鎌倉前期
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺
教王護国寺蓮花門34.980676, 135.746321
国宝・鎌倉前期
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺
教王護国寺灌頂院灌頂院34.979796, 135.746674
江戸前期
桁行七間、梁間七間、一重、寄棟造、本瓦葺
東門34.979712, 135.747021
鎌倉前期
四脚門、切妻造、本瓦葺
北門34.980126, 135.746682
鎌倉前期
四脚門、切妻造、本瓦葺
観智院客殿34.982625, 135.747900
国宝・桃山
桁行12.7m、梁間13.7m、一重、入母屋造、妻入、正面軒唐破風付
中門 桁行一間、梁間一間、一重、切妻造
総銅板葺

延暦13年(794)に桓武天皇により築かれた平安京の両翼に建立されたのが、東寺と西寺で、東寺は東国の王城鎮護を担う官寺でした。桓武天皇のあとに即位した嵯峨天皇は、唐で密教を学んで帰国した弘法大師空海に東寺を託し、東寺は真言密教の根本道場となりました。
平安末期には東寺、西寺ともに衰退の一途をたどりましたが、鎌倉時代には後白河法皇の皇女、宣陽門院の支援などにより東寺は復興していきました。桃山時代になると、焼失した金堂が再建され、東寺は、ほぼ元の姿に復されました。子院観智院は、徳川家康によって真言一宗の勧学院に定められました。
金堂: 
・創建当初の金堂は文明18年(1486)に焼失
・現在の建物は、慶長8年(1603)に豊臣秀頼によって再建されたもの
・旧堂の規模を踏襲した大型の仏堂
・大仏様と禅宗様、和様の折衷様式

・元旦早朝、金堂の屋根には大晦日の夜の雪が残る

・金堂上層は、多宝塔以外では珍しい和様の四手先

・金堂裳階の裳階の柱上は大仏様の差し肘木の三手先で、柱間に平三斗を禅宗様の詰組のように置く

・金堂正面中央の切り上げは東大寺大仏殿や平等院鳳凰堂にも見られる形式

講堂: 
・空海が密教の伝教の中心としたもので、大伽藍の中心に位置する
・大伽藍は文明18年(1486)に焼失したが、講堂は焼失の5年後に、金堂などよりも優先して再建された

講堂の妻

・講堂は二軒の平行繁垂木、三手先の組物と間斗束

五重塔: 
・落雷などによって4度焼失し、現在の五重塔は、寛永21年(1644)の再建
・高さ55mで、木造建築としては日本一の高さ
・伝統的な和様建築で近世初期の復古的建築の代表例

五重塔の第五層と第四層: 
・二軒の平行繁垂木で、組物は三手先

五重塔の相輪

屋根の雪に元旦早朝の朝日が射す御影堂: 
・御影堂の前身は弘法大師空海の住居で、後堂(写真左の入母屋)、前堂(中央の入母屋)、中門(その右の切妻)から構成される
・軒まわりは簡素な垂木、屋根は檜皮葺で、建具は蔀戸や妻戸、縁には高欄を巡らす落ち着きのある和様建築

・同じく元旦早朝の御影堂の後堂(写真左の入母屋)とその右に伸びる前堂

・御影堂後堂の南面(左)と向拝が付く東面(右)

御影堂後堂の南面(右)と西面(左): 
・西面北側には古風なすがる破風が付く

御影堂中門(写真中央の切妻): 
・中門の左が前堂で、右奥が後堂

宝蔵: 
・東寺創建に近い年代の建築と考えられており、密教法具や両界曼荼羅、仏舎利などの寺宝を納めていた
・周囲は堀で囲まれ、火事による延焼に備えている
・扉の取付け方法は、平等院鳳凰堂と同じで、現在使われている瓦の多くは平安時代のもの
・床板は大規模な建物の扉を転用したもので、金堂の扉とも羅城門の扉ともいわれている

南大門: 
・桃山時代の豪壮な八脚門で、もとは蓮華王院(三十三間堂)の西門であったものを明治時代に移築

南大門の妻の意匠

東大門: 
・常時閉鎖されており不開門とも呼ばれる
・教王護国寺の4棟の八脚門(東大門、北大門、慶賀門、蓮花門)は、ほぼ同形で、三間一戸、切妻、二軒、二重虹梁蟇股

北総門: 
・境内を区画する他の門が八脚門であるのに対し、この門は四脚門

・北総門の妻には輪郭のはっきりとした大きな板蟇股、大仏様の木鼻が見られる

北大門外面(上段写真)と内面(下段写真): 
・北大門を出て北総門に至る参道は、櫛笥小路(くしげこうじ)と呼ばれ、平安時代以来そのままの幅で残っている京都市内ただひとつの小路

・北大門は二重虹梁蟇股の構架

慶賀門: 
・東大門が不開門であるため、この門が境内東側に開かれた唯一の門

・慶賀門は二重虹梁蟇股の構架で、特殊な形状の懸魚を付ける

慶賀門の内部: 
・外面は二重虹梁蟇股だが、内部は妻部分(写真右下奥)を含め、中備は間斗束
・天井は組み入れ天井で、裏板が張られていない
・裏板のない組み入れ天井は東大寺転害門にも見られる古い様式

蓮花門: 
・天皇を迎える小子房の西側、庭の奥に位置する純和様の門
・弘法大師空海が晩年この門から隠棲のため高野山に向かったと伝わる

蓮花門の妻: 
・二重虹梁蟇股の構架と特殊な形状の懸魚
・懸魚は慶賀門を倣い大正時代に復元されたもの

蓮花門の二軒の繁垂木と組み入れ天井: 
・飛檐垂木の先端は細く削られ、天井の格子には裏板が設けられていない

灌頂院と東門: 
・灌頂院は真言宗において特に重視される修業の場で、現在の建物は寛永年間の再建
・東門は木割の太い古式を伝える鎌倉時代の四脚門

灌頂院東門の妻と内部: 
・古風な梅鉢懸魚と板蟇股が見られる

灌頂院北門: 
・東門と同様、鎌倉時代の建立
・本来棟門であったものに控柱が加わり四脚門となった

灌頂院北門の内部: 
・板蟇股は東門と同様だが、垂木は簡素な疎垂木で、小舞裏

観智院客殿: 
・客殿は桃山時代の書院造

アクセス
JR東海道本線京都駅南口から西に1kmです。近鉄京都線東寺駅から西に500mです。
見学ガイド
東寺は午前5時に開門し、午後5時に閉門します。開門時間中は自由に参拝することができます。金堂、講堂、五重塔は有料で公開されています。公開時間は午前8時〜午後5時です。これらの建物の外観は境内西側の無料区域からも見ることができます。灌頂院は非公開です。塀越しに一部のみ見ることができます。五重小塔は宝物館に収蔵されています。宝物館は企画展等のある時のみ開館します。五十小塔の撮影は禁止されています。観智院は有料で公開されています。公開時間は午前9時〜午後5時です。

感想メモ
この日は京都駅集合で舞鶴出張ということで、早朝集合前と夕刻帰着後の2回、東寺を訪問しました。朝の静かな境内も素晴らしいし、夕刻は伽藍に西日が射して美しい姿を堪能することができました。特に、境内南西の歩道橋からの、東山を背景とした五重塔や南大門の姿は本当に素晴らしかったです。
(2021年12月訪問)
東大寺で除夜の鐘を聴き、春日大社に初詣、近鉄奈良で仮眠して始発の近鉄で東寺を訪問しました。大晦日の雪が堂宇の屋根に残り、それに元旦の朝日が射して、心が引き締まる美しい姿でした。
(2022年1月訪問)

参考
東寺公式サイト、京都古建築(藤原義一)、現地解説板、解説版新指定重要文化財11、総覧日本の建築6-I