滋賀県の国宝・重要文化財建造物 (3)彦根・湖東編 | 国宝・重要文化財指定の建造物

国宝・重要文化財指定の建造物

全国の国宝・重要文化財に指定された建造物についてのブログです。

このブログについて:

滋賀県彦根・湖東地域で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

彦根市
彦根城天守、附櫓及び多聞櫓天守、附櫓及び多聞櫓
彦根城西の丸三重櫓及び続櫓
彦根城太鼓門及び続櫓
彦根城天秤櫓
彦根城二の丸佐和口多聞櫓
彦根城馬屋
千代神社本殿
長寿院弁才天堂
有川家住宅主屋、薬医門、文庫蔵、粉挽蔵、大蔵
愛知郡愛荘町
金剛輪寺本堂
金剛輪寺三重塔
金剛輪寺二天門
大行社本殿
豊満神社四脚門
犬上郡甲良町
西明寺本堂
西明寺三重塔
西明寺二天門
西明寺宝塔
甲良神社権殿

 

 

国宝五天守のひとつ

彦根城


ひこねじょう
彦根市金亀町
彦根城天守、附櫓及び多聞櫓天守35.276453, 136.251858
国宝・桃山
三重三階、地下階段室・玄関付、本瓦葺
附櫓及び多聞櫓35.276576, 136.251909
国宝・桃山
各一重櫓、本瓦葺
彦根城西の丸三重櫓及び続櫓35.277821, 136.250563
桃山
三重櫓 三重三階櫓、本瓦葺
東北及び東南続櫓 各一重櫓、本瓦葺
彦根城太鼓門及び続櫓35.276091, 136.252115
桃山
太鼓門 一重櫓門、本瓦葺
続櫓 一重櫓、本瓦葺
彦根城天秤櫓35.275523, 136.252503
桃山
中央部一重櫓門、両端二重二階隅櫓、両隅櫓背面続櫓、各本瓦葺
彦根城二の丸佐和口多聞櫓35.274934, 136.255032
江戸後期
矩折一重櫓、東南端二重二階櫓、各本瓦葺
彦根城馬屋35.275346, 136.254714
江戸中期
東西棟 桁行25.2m、梁間5.9m、一重、入母屋造、井戸屋形附属
南北棟 桁行31.1m、梁間5.9m、一重、南面入母屋造、北面東西棟に接続
こけら葺

彦根城は、井伊直継・直孝によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成しました。築城には佐和山城・安土城・長浜城・大津城の石垣や用材が使われました。彦根城は一度も戦を経験することなく明治時代を迎えました。江戸時代を通して藩主が天守を訪れることは余りなく、天守には歴代藩主の甲冑などが収納されていました。
天守東北面(中央奥が附櫓で、右が多聞櫓):
・天守は三階三重の比較的小規模で、慶長12年(1607)頃に完成したものと考えられている
・大津城の天守を移築した可能性があるとされており、移築前は五階四重であったと考えられている
・古い形式である望楼型の天守で、入母屋の建築の上に二重の望楼が積み重ねられたもの
・入母屋破風、唐破風、千鳥破風などを配置し、変化に富んだ意匠となっている

天守東南面:
・東南面と北西面の各二個の三角形の破風は、基礎となった建物と望楼の入母屋破風

天守南西面:
・南西面と北東面の三角形の破風は装飾用の千鳥破風
・天守に花頭窓を用いる例は犬山城などにもみられるが、最上層以外にも用いるのは珍しい

天守北西面(左が続櫓)

天守の千鳥破風:
・破風上には攻撃用の狭間が隠されている

天守一階内部(開口部は附櫓入口)

天守三階破風の間: 
・破風に隠された攻撃用狭間につながる

附櫓(写真中央)と多聞櫓(写真左)

西の丸三重櫓(城内側):
・本丸に隣接する西の丸の西北隅に位置しており、西の搦手(からめて)(裏手)方面からの敵に備えた守りの要
・東側と南側にそれぞれ1階の続櫓を「く」の字に付設している
・小谷城の天守を移築したものであるとの伝承もあるが、その痕跡は確認されていない

西の丸三重櫓(城外側)

西の搦手から見た西の丸三重櫓:
・間近に三重櫓が見えるが、その手前には深い大堀切(尾根を切断して造られた空堀)があり、敵の侵入を防ぐ

大堀切に面した西の丸三重櫓(手前は東側続櫓)

西の丸三重櫓続櫓内部

彦根城太鼓門及び続櫓(城外側):
・本丸に至る最後の門
・門櫓の南に続櫓が付設されている
・他の城の櫓門を縮小して移築したものであることは確認されているが、移築元については明らかになっていない

彦根城太鼓門及び続櫓(城内側):
・門櫓の城内側の壁面を開放し、柱間に高欄を設置して1間通りを廊下にした珍しい構造

天秤櫓:
・大手門と表門からの道が合流する要の位置に築かれた櫓で、櫓の下は、築城時に尾根を大きく断ち切った大堀切
・両隅に二階建の櫓を設け、中央に門が開く他に例を見ない構造であり、その形状から天秤櫓と呼ばれてきた
・両隅の二階櫓は棟の方向が異なっており、格子窓の数も左右で違うなど左右対称にはなっていない
・長浜城の大手門を移築したものであるとの記録が残されている

天秤櫓(城内側):
・平面は「コ」の字型になっている

天秤櫓(西側の二階櫓)

佐和口多聞櫓:
・表門に通じる重要な城門の1つであった佐和口の桝形を囲むように築かれた二度曲折する多聞櫓
・南端には二階二重の櫓が立つ
・明治初年までは写真右の多聞櫓(近年再建)との間に櫓門が設けられていた
・当初の建物は明和4年(1767)の火災で類焼し、現在の建物は明和6年から8年にかけて再建されたもの

佐和口多聞櫓北端:
・この位置に櫓門があり、写真左の櫓と一体の構造物となっていた

・佐和口多聞櫓には三角形、四角形の狭間が設けられている

佐和口多聞櫓南端の二階櫓

馬屋:
・佐和口多聞櫓に隣接したL字型の平面の大規模な馬屋
・江戸時代にはさらに南側(写真左下方向)に伸びていた

馬屋西面

馬屋北面(左は佐和口多聞櫓)

・馬屋内部は馬立場(うまたちば)と馬繋場(うまつなぎば)となっている

アクセス
彦根城表門橋まではJR東海道本線彦根駅から西に1kmです。橋を渡ると天守まではかなり急な上りです。
見学ガイド
二の丸佐和口多聞櫓と馬屋は常時自由に見学することができます。これ以外は有料で公開されています。天守や主な櫓は内部も公開されています。

感想メモ
装飾性の高い国宝天守や戦国の山城のような防御の仕掛けなど、見所が満載でした。他の城郭から移築した建物が多いのも興味深いです。
山上の本丸はそれほど広くなくて、植栽も多いので、良い角度で天守の写真を撮るのはなかなか難しいです。視野が開ける天守正面はちょっと間が抜けるし、東側のフォトスポットは写真屋さんが陣取っていて小道具が置かれていたり、入場者の下足場のテントが張られていたして今一つでした。
朝早く佐和口に着いたときは良い天気でしたが、ゆるキャライベントの準備を見ながら開門を待っている間に雲が広がってしまい、朝の光に映える天守の姿を見ることはできませんでした。
(2022年10月、11月訪問)

参考
彦根城築城410年特設サイト、びわこビジターズビューロー公式サイト

 

 

芸能の祖神を祀る桃山様式の社殿

千代神社本殿


ちよじんじゃほんでん
彦根市京町2丁目
千代神社本殿35.268092, 136.255867
江戸前期
三間社流造、檜皮葺

千代神社は、古来、俳優(わざおぎ)の始祖、芸能の祖神として崇拝されてきました。もとは、佐和山の麓にありましたが、昭和41年に現在地に移されています。本殿は寛永15年(1638)に修復されたものです。
・本殿は、三間社流造り、檜皮葺きで、桃山時代の様式を残す極彩色の社殿

アクセス
千代神社は、JR東海道本線彦根駅南西1kmの住宅地にあります。
見学ガイド
境内は常時開放されていますが、本殿の前面は大規模な拝殿で覆われており、拝殿脇には板塀が設けられているため、本殿はごく一部のみしか見ることができません。

感想メモ
滋賀の神社はおおらかで、本殿もすぐ近くで見ることができるところが多いですが、千代神社はガードがすごく固かったです。昭和の時代に他所から移築したとのこと。どうしてもこうなってしまうのかなと思いました。
(2021年7月訪問)

参考
千代神社公式サイト

 

 

中山道鳥居本宿の妙薬製造元

有川家住宅


ありかわけじゅうたく
彦根市鳥居本町
有川家住宅主屋35.286650, 136.284443
江戸後期
店舗及び居室 桁行14.9m、梁間17.9m、一部二階建、入母屋造、北面水屋附属、桟瓦葺
玄関及び書院 桁行7.9m、梁間17.7m、入母屋造及び切妻造、桟瓦葺、湯殿 桁行4.8m、梁間4.0m、南面廊下附属、寄棟造、桟瓦葺
薬医門35.286630, 136.284560
江戸後期
一間薬医門、切妻造、両袖塀附属、桟瓦葺
文庫蔵35.286805, 136.284430
江戸後期
土蔵造、桁行5.5m、梁間3.6m、二階建、切妻造、桟瓦葺、南面庇付、銅板葺
粉挽蔵35.286873, 136.284391
江戸後期
土蔵造、桁行5.9m、梁間4.1m、二階建、切妻造、南面庇付、桟瓦葺
大蔵35.286872, 136.284271
江戸後期
土蔵造、桁行20.4m、梁間5.9m、二階建、切妻造、東面庇付、桟瓦葺一部鉄板葺

有川家は、中山道の鳥居本宿に所在する製薬業を営む商家です。街道に面して建つ主屋は宝暦9年(1759)の建築です。文化5年(1808)に上段の間をもつ良質なつくりの書院を増築し、あわせて二階の一部を増築しています。
主屋店舗部の南面(手前の道路が旧中山道、右端が薬医門)

主屋東面:
・店舗部の背後に居室、書院があり、一部二階建てになっているため、屋根が重なり合った複雑な外観となっている

薬医門

粉挽蔵(こびき)(中央奥の二階建):
・粉挽蔵は薬草の製粉に用いられた

大蔵:
・大蔵は丸薬の製造に用いられた

アクセス
近江鉄道鳥居本駅出口から国道を渡り、一本奥の旧中山道を北に徒歩五分です。街道が右に大きく曲がるところに有川家はあります。
見学ガイド
有川家住宅は、通常、非公開です。秋の宿場祭りの期間中は公開されることもあるようです。主屋と薬医門は旧中山道に面しているので、外観の見学は可能です。粉挽蔵と大蔵は国道側から建物の一部を見ることができます。文庫蔵は公道から見ることができません。現役の薬屋さんなので買い物がてら主屋店舗部の内部を見ることは可能だと思います。

感想メモ
駅から、Googleに言われるまま国道を歩きました。駅のすぐ近くから旧中山道を通って行くことができることを知りませんでした。予習しなかったことを反省。
(2020年8月訪問)

参考
文化遺産オンライン

 

 

血染めのもみじで知られる湖東三山の天台寺院

金剛輪寺


こんごうりんじ
愛知郡愛荘町松尾寺
金剛輪寺本堂35.161269, 136.283046
国宝・室町前期
桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、檜皮葺
金剛輪寺三重塔35.161795, 136.283047
室町前期
三間三重塔婆、檜皮葺
金剛輪寺二天門35.161286, 136.282726
室町後期
桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、檜皮葺(元楼門一階)

金剛輪寺は湖東三山の一つで、行基の開基による聖武天皇の勅願所であったとされています。慈覚大師登山以来、天台宗となり、三密瑜伽の道場として天下の安全を祈祷する所となりました。元寇の際には北条時宗が近江の守護佐々木頼綱に命じて元軍降伏の祈願をしたと伝わります。
本堂:
・本堂「大悲閣」は、様式、手法から室町時代前期の建築であると考えられている
・入母屋造り檜皮葺で七間四面の豪壮な建物
・向拝は設けられていない
・和様を基調とするが、一部禅宗様を折衷している

・本堂正面は7間とも蔀戸を吊り、側面(写真左)は前方3間の外陣側には扉口をつけるが、それより後方の内陣側は板壁とする
・外陣を開放、内陣を暗く閉鎖した密教本堂様式の平面

本堂軒廻り:
・軒は二軒の平行繁垂木で軒支輪を持ち、柱上は和様の出組、中備は間斗束

三重塔:
・様式、手法から室町時代前期にたてられたと推察される
・寺勢の衰退にともない上方よりしだいに破損し、明治ころには第三重を失い初重と二重の軸部のみが残されていたが、昭和54年に旧規に復された
・総高は22m

三重塔初重(写真左が南面で、右が東面):
・各重とも中央間は4面に扉口を設け、両側間の盲連子窓は建物見付になる西面・南面には設けるが、裏側にあたる他の2面は省略している
・各重とも柱上部に台輪をめぐらして頭貫はなく、初重のみに内法長押をめぐらせている
・組物は三手先、軒は二軒繁垂木

三重塔第三重(昭和時代の改築)

二天門:
・様式からみて本堂よりは新しく、室町時代後期ころに建てられたものと考えられている
・もとは楼門であったが、江戸期に破損し、三間一戸の八脚門にあらためられた

二天門軒廻り:
・柱上の組物は、もとの腰組の二手先まで当初材が残り、これより上方は後補
・簡素な一軒の疎垂木

アクセス
JR東海道本線稲枝駅・近江鉄道愛知川駅から予約制の乗り合いタクシーを利用することができます。平日昼間と土日祝は近江鉄道は一部の区間、駅を除き自転車の積み込みが可能です。この場合は、豊郷駅下車で7km、約150mの上りです。その他湖東三山巡りのバスが季節運行されています。
見学ガイド
金剛輪寺は有料で公開されています。本堂内部も見ることができます。

感想メモ
総門から山上に向かい石段を上ります。両脇に石のお地蔵さんがずっと続いていて、上るだけでもご利益がありそうです。山上の本堂は美しくのびやかで、また力強い建物です。三重塔と二天門は後世の修理がちょっと雑かなと思われる部分もありますが、それがまた山中の伽藍の味を出しているのかもしれません。
(2022年10月訪問)

参考
滋賀県百科事典、びわこビジターズビューロー公式サイト、愛荘町公式サイト

 

 

金剛輪寺から移された室町中期の社殿

大行社本殿


だいぎょうしゃほんでん
愛知郡愛荘町松尾寺
大行社本殿35.160004, 136.276485
室町中期
三間社流造、檜皮葺

大行社は、金剛輪寺一山南門の守護として勧請されたものです。明治初期に旧本殿が焼失したため、金剛輪寺本堂の傍らにあった三所権現社本殿を移築したのが現本殿で、墨書から文安四年(1447)の建築とされています。
・本殿は比較的小規模な檜皮葺前室付三間社流造で、精巧な蟇股や腰長押下の格狭間、妻大斗上の木鼻、又首組上の花肘木など、優れた彫刻が見られる

本殿前室正面

本殿腰長押下の格狭間(高欄の向こう側)

向拝:
・向拝の木鼻や手挟は候補

アクセス
金剛輪寺の総門の南方600mです。名神高速のガードをくぐって少し進んだところです。
見学ガイド
大行社には常時自由に参拝することができます。本殿は一段高い場所にあり、前面は拝所で視界が遮られますが、本殿左側の盛土の上に上り、側面を見ることができます。

感想メモ
大行社本殿は石垣の上にあり、石垣を上る階段の先には拝所があって、本殿をよく見ることができません。一番困ったタイプの造りです。あきらめて離れた場所で少しでも本殿をよく見ることができる場所がないか探していると、本殿左の盛土の上に向かう踏み固められた通路を発見。通路をたどると、近江地方に多い前室付き流造の本殿の側面をしっかり見ることができました。
(2022年10月訪問)

参考
愛荘町公式サイト、総説日本の建築6‐I

 

 

武将が崇拝した旗神様の「よせ葺」神門

豊満神社四脚門


とよみつじんじゃしきゃくもん
愛知郡愛荘町豊満
豊満神社四脚門35.165202, 136.218254
鎌倉後期
四脚門、入母屋造、檜皮こけら鎧葺

豊満神社は、武神として知られ、源頼朝をはじめ多くの武将が社地内の竹を旗竿に用いて戦に臨んだとも伝えられています。四脚門は、社蔵文書から、鎌倉時代後期に建立されたものと考えられています。
・四脚門は一間で、軒を強く反らせた入母屋造

・太い柱と柱上の組物・垂木等の細やかさが対照的
・控柱(写真右の面取り角柱)の頭貫木鼻は上部に繰形をつけた大仏様

・屋根は檜皮、こけら板を交互に葺くよせ葺き

アクセス
見学ガイド

感想メモ
普通に集落のはずれにあるような神社にも、このような貴重な鎌倉建築が残されていて、この地域の歴史の深さを感じます。屋根の葺き替えから日が浅かったこともあって、寄せ葺きをはっきりと見ることができました。
(2022年10月訪問)

参考
愛荘町公式サイト、総説日本の建築6‐I

 

 

鎌倉前期の国宝建築が残る湖東三山の古刹

西明寺


さいみょうじ
犬上郡甲良町池寺
西明寺本堂35.183373, 136.285492
国宝・鎌倉前期
桁行七間、梁間七間、一重、入母屋造、向拝三間、檜皮葺
西明寺三重塔35.183136, 136.285289
国宝・鎌倉後期
三間三重塔婆、檜皮葺
西明寺二天門35.183408, 136.285161
室町中期
三間一戸八脚門、入母屋造、こけら葺
西明寺宝塔35.183131, 136.285523
鎌倉後期
石造宝塔
嘉元二年十二月日の刻銘がある

西明寺は湖東三山の一つに数えられる天台宗の寺院で、山岳仏教寺院の典型的な伽藍配置となっています。平安時代、仁明天皇の勅願により開山されたと伝えられ、中世には大寺院として繁栄しましたが、戦国時代には織田信長の焼き討ちに遭い荒廃しました。今日では、兵火を免れた本堂や三重塔や二天門などが残されています。
本堂:
・鎌倉時代前期に五間堂として建てられ、室町時代前期ころになって建物の周囲を1間ずつ拡張して七間堂に改造し、さらに三間の向拝がつけられて現在の姿になった
・平面は七間堂の規模をもつが、軸部は五間堂のものを再利用したことにより、七間堂にしては背の低い優美で繊細な建物となった

本堂右側面:
・前方三間には板戸が嵌められ、四間目は花頭窓

・本堂は和様を基調としているが、禅宗様の花頭窓が見られる

・本堂柱上は和様の出三斗
・中備は蟇股で、側面の蟇股は建設当初の鎌倉様式

・本堂正面の蟇股は七間堂拡張時に取り付けられたもので、室町様式

・本堂向拝三間の蟇股は彫刻が複雑なことから、拡張時よりも時代が下るとも考えられるが、輪郭の意匠は拡張時のものに類似している

三重塔:
・本堂よりは様式が新しいことから、鎌倉後期ころに建てられたものと推定されている
・塔総高は20.56m
・伝統的な純和様の意匠でまとめている
・逓減率が大きく、二重三重の屋根間隔を小さくして安定感をもたせている

三重塔初重軒廻り:
・二軒の平行繁垂木で、柱上に台輪を廻し組物は三手先、中備は間斗束

三重塔第二重:
・内法長押を省き、両側間の間斗束も省略し、幅及び高さを低減させている

二天門:
・三間一戸八脚門で、巻斗の墨書銘から応永14年(1407)建立であることが明らかにされている
・屋根は入母屋造の杮葺で、伝統的な和様を基調としているが、柱下の礎盤など部分的に禅宗様式を取り入れている

・二天門の軒は二軒平行繁垂木で、軒支輪を持ち、柱上の組物は和様の二手先

・二天門の柱頭は禅宗様の粽が見られ、木鼻も禅宗様式

宝塔:
・西明寺を開いた三修上人を供養する宝塔
・花崗岩製で、三重の基礎石上に建つ
・銘文から嘉元2年(1304)建立であることが分かっている
・高さは2.15メートル
・基礎石の格狭間や屋根・相輪などに鎌倉時代の特色が見られる

・宝塔の笠には隅棟をつくり、頂部に露盤、笠裏に二重の垂木型を刻出する

・宝塔塔身には扉を彫り出し、扉の間には風化が進んでいるが銘文が見られる

・宝塔基礎には四面とも格狭間を作り、中に蓮華を刻出する

アクセス
JR東海道本線河瀬駅・近江鉄道尼子駅から予約制の乗り合いタクシーを利用することができます。平日昼間と土日祝は近江鉄道は一部の区間、駅を除き自転車の積み込みが可能です。サイクル列車を利用した場合、尼子駅から6kmで、約100mの上りです。その他湖東三山巡りのバスが季節運行されています。
見学ガイド

感想メモ
山上の伽藍に素晴らしい国宝建築が残されています。本堂は蟇股の教科書のようで、時代による変遷がよくわかります。
(2022年10月訪問)

参考
びわこビジターズビューロー公式サイト、滋賀県百科事典、滋賀文化財教室シリーズ151