三重県の国宝・重要文化財建造物 (1)中勢・伊勢志摩編 | 国宝・重要文化財指定の建造物

国宝・重要文化財指定の建造物

全国の国宝・重要文化財に指定された建造物についてのブログです。

このブログについて:

三重県中勢・伊勢志摩地域で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

津市
専修寺御影堂
専修寺如来堂
専修寺山門、唐門、通天橋、御廟拝堂、御廟唐門及び透塀、鐘楼、茶所、太鼓門、大玄関、対面所、賜春館
国津神社十三重塔
伊勢市
神宮祭主職舎本館(旧慶光院客殿)
金剛證寺本堂
旧賓日館本館、大広間棟、土蔵
松阪市
旧長谷川家住宅主屋、離れ、大正座敷、米蔵、表蔵、大蔵、新蔵、西蔵
旧松坂御城番長屋西棟、東棟
来迎寺本堂
鳥羽市
庫蔵寺本堂
庫蔵寺鎮守堂
菅島灯台

 

 

真宗高田派本山の壮大な伽藍

専修寺


せんじゅじ
津市一身田町
専修寺御影堂34.762123, 136.503615
国宝・江戸中期
桁行九間、梁間九間、一重、入母屋造、背面軒下張出付、向拝三間、東面張出付、桁行一間、梁間一間、入母屋造、妻入、本瓦葺
専修寺如来堂34.762403, 136.502911
国宝・江戸中期
桁行五間、梁間四間、一重もこし付、入母屋造、もこし背面すがる破風付葺きおろし、もこし正面向拝三間、軒唐破風付、本瓦葺
専修寺山門34.761397, 136.503179
江戸中期
五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、北面三間張出し付
唐門34.761704, 136.502472
江戸末期
四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、檜皮葺
通天橋34.762252, 136.503178
江戸後期
桁行九間、梁間一間、一重、唐破風造、本瓦葺
御廟拝堂34.762748, 136.502302
江戸末期
桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、背面千鳥破風付、本瓦葺
御廟唐門及び透塀34.762629, 136.502220
江戸末期
御廟唐門 四脚平唐門、檜皮葺 透塀 東方一四間、西方一二間、潜門付、檜皮葺
鐘楼34.761508, 136.504015
江戸後期
桁行一間、梁間一間、一重、入母屋造、本瓦葺
茶所34.761438, 136.503694
江戸後期
桁行18.5m、梁間13.3m、一重、入母屋造、本瓦葺
太鼓門34.761144, 136.505385
江戸末期
桁行19.9m、梁間5.5m、四重、入母屋造、本瓦葺
大玄関34.762190, 136.504463
江戸後期
桁行32.1m、梁間10.9m、一重、入母屋造、桟瓦葺、正面玄関附属、入母屋造、軒唐破風付、本瓦葺
対面所34.762209, 136.504811
江戸後期
桁行24.5m、梁間19.5m、一重、入母屋造、妻入、本瓦葺
賜春館34.762543, 136.504598
明治
桁行18.8m、梁間14.2m、一重、入母屋造、瓦棒銅板葺、南面便所附属、入母屋造、桟瓦葺

専修寺は、津市街の北方に位置する真宗高田派の本山です。15世紀に栃木県真岡市高田から現在地に移転したと伝えます。
現在の堂宇は、正保2年(1645)の伽藍焼失後に順次再建されたものです。境内中央には国宝の御影堂と如来堂が建ち、両者を通天橋が結んでいます。御影堂前に山門、如来堂前に唐門が建ち、鐘楼や茶所とともに境内南側を構成します。境内西側には華やかな彫刻で飾られた御廟の諸建築が、東側には大玄関、対面所、賜春館などの上質な殿舎群や、三重の太鼓櫓をもつ太鼓門が建ち並びます。
専修寺の堂宇は、規模雄大で優れた意匠を持ち、浄土真宗本山寺院にふさわしい壮大な伽藍を創出しています。
・向かって右が御影堂、左が如来堂で、ともに国宝
・これらは通天橋で結ばれている

御影堂(上段から正面、西側面、東側面):
・津藩主藤堂家の庇護のもと寛文6年(1666)に建立された大型仏堂

御影堂の妻飾

御影堂正面

・御影堂の身舎と向拝をつなぐ虹梁上の構造は、長野の善光寺本堂などと同 じ

如来堂:
・門信徒からの寄進により建立され、発願から25年後の延享元年(1744)に上棟
・御影堂と並び建ち、両堂により壮大な本山伽藍の中枢をなしている
・外観を禅宗様とする一重裳階付形式の仏堂として我が国で現存最大級の規模をもち、和様を基調とする御影堂と明瞭な対比をみせる

・如来堂は二軒の扇垂木で、四手先の詰組

如来堂向拝の象鼻

山門(上段は境内側で、下段は境外側):
・専修寺の総門で、宝永元年(1704)の建立
・五間三戸の二重門で、入母屋造、本瓦葺
・背面側(上段写真)の中央三間を一間分張り出す珍しい様式 

山門下重軒回り:
・挿肘木を多用した三手先で、組物の肘木鼻に大仏様繰形を施す
・中備平三斗、軒は二軒繁垂木

山門上重軒回り:
・挿肘木、三手先、大仏様繰形、中備平三斗、二軒繁垂木は下重と同様
・四周の縁に禅宗様高欄を廻らせる

唐門(写真上段、中段が境外側で、下段が境内側):
・天保一五年(1844)に建立された四脚門で、切妻造、前後軒唐破風付、檜皮葺
・主柱を円柱、控柱を几帳面取角柱として礎盤上に立て、方立間に桟唐戸を開く
・各所を秀逸な彫刻で飾る

・唐門前後面の組物は出組詰組で中備にさらに力士像を置く
・軒は二軒繁垂木

唐門東側面:
・組物は出組詰組で、妻飾は二重虹梁とする

唐門桟唐戸の菊花の彫刻

唐門側面小壁の牡丹彫刻

通天橋:
・寛政一二年(1800)の建立で、桁行九間、梁間一間、唐破風造、本瓦葺
・柱上は大斗実肘木に虹梁を架け、蟇股で棟木を受ける
・軒は二軒疎垂木で、柱通り毎に虹梁の絵様や蟇股の意匠を違え、変化を与えている

・通天橋の両端部には、虹梁上に雲紋笈形付の大瓶束を立てた妻飾を持つ

・通天橋の縁高欄は絵様付挿肘木の腰組で受ける

御廟唐門及び透塀(手前)と御廟拝堂(奥)

御廟拝堂:
・安政五年(1858)の建立で、桁行五間、梁間四間、入母屋造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、本瓦葺
・正面中央間に両折桟唐戸、両脇間に桟唐戸を吊る

・御廟拝堂正面の軒唐破風などに花鳥や波紋を彫刻し、華やかに装飾する

御廟唐門及び透塀:
・御廟唐門及び透塀は、様式などから拝堂と同時期の建立と考えられている
・御廟唐門は、四脚平唐門、檜皮葺で、主柱を円柱、控柱を几帳面取角柱とし、隅々まで彫刻で埋め尽くしている
・透塀は御廟唐門の東西に折曲りに延び、東方一四間、西方一二間、檜皮葺

・御廟唐門の組物は出組詰組、軒は二軒繁垂木

・御廟唐門の妻飾は虹梁大瓶束で、妻壁には唐草などの透彫を施している

・御廟唐門の桟唐戸も菊唐草などの彫刻で飾り、錺金具(かざりかなぐ)で装飾している

・透塀の腰長押と内法長押の間を吹寄菱格子とし、腰壁に「波に花」の彫刻を嵌める

鐘楼:
・正徳元年(1711)の建立
・精緻な切込矧の石積基壇上に建ち、桁行一間、梁間一間、入母屋造、本瓦葺
・円形の四本柱を内転びに立て、八角断面の脇柱を添わせる
・組物は三手先で、中備に蟇股と間斗束を配し、軒は二軒繁垂木
・貫と肘木鼻に大仏様繰形が見られる

茶所:
・茶所は大規模な真宗寺院に特有の施設で、参拝者への接待や休憩の場として用いられる
・江戸後期の入母屋造、本瓦葺で、西正面に唐破風造の向拝を付ける

・茶所内部中央に二四畳の座敷を配し、座敷の東奥を格天井張の仏間とする

太鼓門(上段が境内側で下段が境外側):
・文久元年(1861)の建設と考えられている
・入母屋造、本瓦葺で、中央に入母屋造で三重の太鼓櫓を載せる

大玄関(上段が正面で、下段が東側面):
・江戸後期の建設とみられる入母屋造、桟瓦葺
・正面中央に、間口四間の入母屋造軒唐破風付、本瓦葺の玄関を張り出す
・玄関後方は大広間で、建物の背面に廊下を通し、対面所、御影堂、賜春館と接続する
・もとは対面所の東にあったものが、明治11年(1878)に現在地に移築されている

対面所:
・天明3年(1783)の火災後の同5年(1785)の再建で、入母屋造、妻入、本瓦葺の大規模な建築
・正面に唐破風造の玄関を構え、妻飾は狐格子としている

賜春館(2019年撮影):
・明治13年(1880)の明治天皇の行幸にあたり宿所として使用された建物
・入母屋造で、屋根は緩やかな起りをもたせた瓦棒銅板葺

アクセス
JR紀勢本線一身田駅下車、東400mです。伊勢鉄道東一身田駅からは西1km、近鉄名古屋線高田本山駅からは西1.5kmです。
見学ガイド
専修寺は常時自由に参拝することができます。主な建物は近くから見ることができます。御影堂や如来堂は中に入ることもできます。大玄関と対面所は周辺立ち入り禁止であるため少し手前から見ることになります。御廟拝堂は透塀に囲まれており、訪問時は腋門が開かれていたので近くから見ることができましたが、これが閉ざされているときは屋根しか見ることができません。賜春館は以前は塀越しに屋根を見ることができましたが、境内が整備されて今は見ることができないようです。

感想メモ
前夜は津に宿泊したので、この日は早朝に訪問しました。まだ静かな境内に鐘の音が響き、大変荘厳な雰囲気でした。
伽藍中心の大規模で装飾性も高い堂宇、御廟周辺の繊細な意匠の建築、対面所などの落ち着いた和様建築、太鼓門といった奇抜な構造の建築と、非常に見どころの多いお寺でした。
(2019年6月、2024年4月訪問)

参考
現地解説板、国指定文化財等DB

 

 

朝熊山山頂近くの密教寺院

金剛證寺本堂


こんごうしょうじほんどう
伊勢市朝熊町
金剛證寺本堂34.457429, 136.785422
桃山
桁行七間、梁間六間、一重、寄棟造、向拝三間、檜皮葺、背面左右仏壇附属

金剛證寺は伊勢市の朝熊山の山頂近くにある密教寺院で、天長2年(825)に空海が真言密教の道場を開いたものと伝えられています。本堂は慶長13年(1608)に焼失し、姫路城主池田輝政により再建されたものです。
・本堂は寄棟造、桧皮葺で禅宗様を主体とした折衷様式の建築

本堂向拝

本堂向拝の内面

本堂左側面:
・軒は二軒の繁垂木で、柱上は出組、中備は撥束

・組物の肘木は垂直面がはっきりとした和様であるが、禅宗様の渦紋の入った木鼻を出す

アクセス
近鉄五十鈴川駅からバスで金剛證寺下車すぐ。バスは休日のみの運行です。
見学ガイド
金剛證寺本堂はいつでも自由に見学することができます。外陣内部に立ち入ることもできます。南東に面しており、南側は山林であるため、陽の射す時間帯は限られています。

感想メモ
朝熊山には小学校の修学旅行以来、50年ぶりに訪問しました。朝熊山に行ったことは覚えていますが、その時に金剛證寺に行ったかどうかは全く覚えていません。
(2021年1月訪問)

参考
伊勢市公式サイト

 

 

20家族の武士が暮らした長屋

旧松坂御城番長屋


まつさかごじょうばんながや
松阪市殿町
旧松坂御城番長屋西棟34.574550, 136.526985
江戸末期
桁行83.6m、梁間9.4m、一重、南面切妻造、北面入母屋造、桟瓦葺、西面角屋10所附属
東棟34.574554, 136.527270
江戸末期
桁行90.9m、梁間9.4m、一重、切妻造、桟瓦葺、東面角屋12所附属

旧松坂御城番長屋は、松阪市中心部にある松坂城南東の三の丸に位置します。文久3年(1863)、松坂城警護のため,新たに松坂御城番職が設けられ,城内三の丸に御城番武士20家族の居宅として建てられたものです。
・東棟(写真左)と西棟(写真右)の2棟からなり、小路を挟んで南北に相対して建つ
・東棟は桁行90.9m、西棟は桁行83.6mで、東棟10戸,西棟9戸が残る
・ともに平屋建、桟瓦葺で、背面に角屋(つのや)を附属する
・周囲には槇垣が巡る。

西棟

東棟

西棟北端の住戸:
・各棟とも1戸あたり間口5間、奥行5間を基準としている

アクセス
JR・近鉄松阪駅西1.3kmです。番長屋の周辺は武家屋敷街の風情を残しています。
見学ガイド
番長屋は現住の住宅ですが、公道から外観の一部を見ることができます。西棟の北端の部屋は敷地内が無料で公開されています。北側の松坂城址の高台から番長屋の全体を見ることができます。

感想メモ
桁行が100m近い非常に大きな建物で、また、現住の住宅で立ち入ることができる範囲が限られているため、建物全体を見ることが中々できなくて困りましたが、松坂城址の高台で番長屋全体を綺麗に見ることができる場所を見つけました。
(2022年7月訪問)

参考
文化遺産オンライン、松坂市公式サイト

 

 

内陣と外陣の二棟が連結した複合仏堂

来迎寺本堂


らいごうじほんどう
松阪市白粉町
来迎寺本堂34.571151, 136.532307
江戸中期
内陣及び外陣よりなる 内陣 正面三間、背面五間、側面四間、一重もこし付、宝形造、取合を含む 外陣 正面七間、梁間四間、一重、寄棟造、向拝三間、背面左右脇壇付 総本瓦葺

来迎寺は松阪の市街地に位置する天台真盛宗の寺院で、天正16年(1588)松坂築城に伴い、城下に寺地を拝領して現在に至っています。享保元年(1716)の松阪大火の際、堂宇はことごとく焼失しましたが、本堂は、享保16年に再興されました。再興にあたっては松阪が生んだ豪商三井家が深くかかわっています。
本堂右側面:
・本堂は複合仏堂で、前後に並ぶ外陣(写真左)と内陣(写真右)を合の間で繋ぐ
・前方の外陣は寄棟造で、後方の内陣は身舎の周囲に裳層を巡らした宝形造

外陣正面

本堂左側面(左の宝形が内陣)

アクセス
JR参宮線・近鉄松阪駅南口から、徒歩10分余りです。駅前の大通りを直進した後、左に入ります。案内標識がないので事前に場所を確認しておくことをおすすめします。
見学ガイド
本堂はいつでも自由に見学することができます。複合仏堂の姿を見ることができるのは、障害物のない右側面(北西側)のみです。このため、光の具合が良い時間は限られます。

感想メモ
元旦の早朝に訪問しました。本堂では新年の行事の支度をされていました。きれいに掃き清められた境内が印象的でした。
(2021年1月訪問)
前回は早朝で複合仏堂が逆光だったので、今度は夏の昼過ぎに再訪しました。まだちょっと早すぎたみたいで光の具合は今一つでした。
(2022年7月再訪)

参考
松阪市文化課公式サイト

 

 

金剛鉦寺の奥の院

庫蔵寺


こぞうじ
鳥羽市河内町
庫蔵寺本堂34.448464, 136.819499
室町後期
桁行四間、梁間三間、一重、寄棟造、妻入、向拝一間、こけら葺
庫蔵寺鎮守堂34.448399, 136.819299
桃山
一間社流造、こけら葺

庫蔵寺は朝熊山の南東の山中に位置します。825年(天長2年)弘法大師が、朝熊の金剛鉦寺を創立した翌年にその奥の院として建立したとされています。現在の本堂は永禄4(1561)年に建てられたものです。本堂の背後の高台にある鎮守堂は、慶長10(1605)年に再建されたものです。
本堂:
・正面に縁を造り、左右両側は1間の庇をかけ、庇の間を作って脇仏壇とする

鎮守堂:
・九鬼太郎五郎丸が再興した鬼子母神を祀る一間社流造の小規模な建築
・身舎は丸柱に舟肘木をのせる簡素な構造で、正面のみ中備に蟇股を飾る
・正面丸柱には根肘木を挿込み庇柱を繋ぐ海老虹梁を受ける

アクセス
最寄駅は近鉄の船津駅ですが、その先は公共交通のアクセスがありません。駅から東に徒歩約70分です。駅を出て集落を抜けるまでは入り組んだ道路ですが、これを過ぎると迷うようなことはありません。途中の公園墓地までは舗装道路を約50分上ります。眺望がなく退屈な道路です。公園墓地の敷地に入り、管理棟の左の道を上ると、「庫蔵寺まで900m」の案内板があるので、これに従って左の分岐に進みます。この先の前半はかなり急な上りで、後半は緩やかな下りです。
見学ガイド
庫蔵寺の本堂はいつでも自由に見学することができます。内部は住職がおられるときは有料で見学することができるようです。本堂は山中の狭い平坦地で東に面して建てられています。北側面以外は余りスペースがなくて、写真撮影はちょっと大変です。
鎮守堂は本堂の裏手の少し高い場所にあります。鞘堂の中にありますが、鞘堂内に立ち入ることができるので、間近で見ることができます。

感想メモ
公共交通のアクセスはなかなか大変でした。本堂正面からまっすぐ下っていく道があり、おそらく表参道なのでしょうか、どこの谷底に行くのか分からないので、下っていく勇気はありませんでした。
(2021年1月訪問)

参考
三重県教育委員会公式サイト

 

 

現存最古の煉瓦造灯台

菅島灯台


すがしまとうだい
鳥羽市菅島町
菅島灯台34.499957, 136.908832
明治
金属製、煉瓦造、建築面積21.02㎡

菅島灯台は、志摩半島北東端の鳥羽港沖に浮かぶ菅島に設置されている灯台です。鳥羽は海路の難所として知られ、江戸時代には幕府が篝火堂(かがりびどう)を設けていました。菅島灯台は、篝火堂に代わって明治政府が明治6年に建設した洋式灯台です。設計は明治初期の洋式灯台を多く手がけた政府の外国人技師である、英国人のリチャード・ヘンリー・ブラン トンが行っています。
・総高11.0mの煉瓦造灯塔で白色に塗装されている

・灯塔の上に金属製の灯籠を乗せ、灯籠の周囲を踊り場とする

・明治6年7月初照であることが銘板に刻まれている

アクセス
JR・近鉄鳥羽駅近くのマリンターミナルから市営渡船で菅島下船、約2kmです。灯台までは、山回り、海回りの2ルートがあります。どちらも上り下りが多く、距離もそれほど差はありません。山回りルートは集落を出るまで案内表示がなく、少し迷路になっているので、往路は海回りの方がいいと思います。
見学ガイド
灯台の外観は常時自由に見ることができます。海を背に西面していますが、草木が多いので、海をバックに眺めることができる場所は限られています。

感想メモ
真夏は徒歩アクセスの長い文化財を訪ねるのは大変なのでGoogleで駅近文化財を調べていると、最近指定されたばかりの菅島灯台が港から7分と表示されたので行ってみることにしました。
鳥羽の観光案内所で念のため聞いてみると、灯台往復で90分くらいの急な坂道とのこと。よく見たらGoogleは集落の外れまでしか計測していません。何度もGoogleに点線飛ばしやられているのに、懲りないなぁ。定期入の中の近鉄のフリー切符が汗でぶよぶよになって、自動改札が受け付けなくなってしまいました。
煉瓦造りの味わいのある灯台ですが、周辺が整備されていなくて草木が生い茂っていました。
(2022年7月訪問)

参考
三重県広報資料