三重県の国宝・重要文化財建造物 (2)北勢・伊賀編 | 国宝・重要文化財指定の建造物

国宝・重要文化財指定の建造物

全国の国宝・重要文化財に指定された建造物についてのブログです。

このブログについて:

三重県北勢・伊賀地域で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

四日市市
四日市旧港港湾施設西防波堤、顕彰碑、防波堤
末広橋梁(旧四日市港駅鉄道橋)
桑名市
諸戸家住宅主屋、玄関及び座敷、広間、洋館、玉突場、表門
旧諸戸家住宅和館、洋館
亀山市
地蔵院本堂、愛染堂、鐘楼
伊賀市
大村神社宝殿
町井家住宅主屋、書院
俳聖殿
高倉神社本殿、境内社春日社本殿、境内社八幡社本殿
猪田神社本殿
射手神社十三重塔(南方塔)
観菩提寺本堂
観菩提寺楼門

 

 

現役最古の鉄道可動橋

末広橋梁(旧四日市港駅鉄道橋)


すえひろきょうりょう(きゅうよっかいちこうえきてつどうばし)
四日市市末広町、千歳町
末広橋梁(旧四日市港駅鉄道橋)34.954545, 136.633334
昭和
鉄製プレートガーダー橋 四基(跳上橋 一基を含む)、コンクリート製橋台 二基(築堤部護岸を含む)・コンクリート製橋脚 四基(機械室を含む)、バランスウェイト・支柱及び巻上装置 一式(操作室を含む)よりなる

末広橋梁は、四日市港修築事業で埋め立てられた末広町と千歳町の間の千歳運河に架けられています。現役では最古の鉄道可動橋で、昭和6年(1931)12月に製作されました。
・末広橋は四径間の桁橋で、第二径間が可動部となっおり、第一橋脚上の門型鉄柱に桁が跳ね上がる
・可動部の前後は明治時代の錬鉄橋の規格である「作錬式」の桁になっている

第一橋脚(右が可動部で左が作錬式の桁)

第一橋脚上の門型鉄柱の巻き上げ部

アクセス
JR四日市駅下車、南1.5kmです。線路沿いを南に進み、最初の踏切を渡り、あとは運河を左手にみながら進むと末広橋梁に出ます。途中刑事ドラマに出てくるような倉庫街を通ります。近鉄新生駅からは東に1.8kmです。本数は少ないですが、近鉄四日市駅、JR四日市駅から末広橋梁の近くまで行くバスがあります。
見学ガイド
末広橋梁の西側の護岸から常時自由に見学することができます。東側の護岸に立ち入ることができるかどうかは確認できていません。

感想メモ
一日に二度末広橋梁を訪問することになりました。一回目は出張先での早朝の散歩。この時は完全な逆光で、またいつか来るのかなと思いました。そして、その日の夕方近く、桑名から近鉄で関西に戻ろうとしたら、事故でJRに振替輸送。またJR四日市を経由することになりました。こうなったら行くしかない、ということで再訪しました。そこそこの距離を歩くので、二度目はちょっとしんどかったですが、順光に映える末広橋梁は美しく、それにちょうど貨物列車が通過するところだったので、現役の鉄道橋として力強く活躍するところを見ることができたのは良かったです。
現地の解説板には五径間と記されていましたが、今は四径間しかありません。手前の土手の部分は、もとは第一径間だったのでしょうか。あと解説板の「作練式」は「作錬式」の誤りです。ネット上にもこれが拡散してしまっているようです。
(2022年7月訪問)

参考
現地解説板

 

 

資産家の大規模な邸宅

諸戸家住宅


もろとけじゅうたく
桑名市太一丸
諸戸家住宅主屋35.069679, 136.692292
明治
木造、建築面積333.88m2、一部二階建、主体部、仏間、茶室、洋室よりなる
主体部 寄棟造、本瓦葺、一部桟瓦及び銅板葺き
仏間 南面切妻造、北面寄棟造、桟瓦葺
茶室 切妻造、桟瓦葺、北面及び東面庇附属、杉皮葺
洋室 切妻造、西面主体部に接続、スレート葺、下屋銅板葺
表門35.069589, 136.692190
明治
一間一戸薬医門、両側袖塀付、本瓦葺
玄関及び座敷35.069951, 136.691731
明治
木造、建築面積274.02m2、桟瓦葺
広間35.070212, 136.691747
明治
木造、建築面積269.43m2、桟瓦及び銅板葺
洋館35.069949, 136.691596
明治
木造、建築面積86.93m2、桟瓦葺
玉突場35.069799, 136.691545
明治
木造、建築面積74.16m2、鉄板葺

諸戸家住宅は、桑名の市街地北部、揖斐川右岸に位置します。米取引や海運業などで資産を築いた初代諸戸清六が桑名藩の御用商人山田彦左衛門の屋敷地を明治18年に購入して居宅兼事務所を建設し、明治末頃までに屋敷構えをほぼ完成させたものと考えられています。敷地の中央部南面に主屋、表門が位置し、西部に北側から広間、玄関及び座敷、洋館が連続して配され、少し離して玉突場が建てられています。西側の一群は接客用の空間です。
主屋(写真中央)と表門(写真右)

主屋:
・居宅兼事務所として建設されたもの
・二階建で、一階部分の太い竪格子や、巨大な棟と鬼瓦など重厚な様相を示す黒漆喰の土蔵造
・東側(写真右)に洋室が付属する

主屋東面:
・東面と北面は居住空間で細い桧部材で占められた軽快な数寄屋風書院造りになっており、南面の業務空間とは様相が全く異なる

主屋洋室部:・フランス古典様式の繊細な意匠でまとめられている

表門外面(上段写真)と内面(下段写真):
・薬医門形式で、太い角柱上から腕木を二段に持ち出して出桁を受け、西面の出桁位置に控柱が立つ
・屋根にはやや強い起りが付けられている

玄関及び座敷:
・広間の玄関
・東面に車寄が入母屋造で突出する

玄関及び座敷(南面)

玄関車寄;
・柱上に肘木を置き、中備に蟇股を配している

玄関内部:
・正面階段の奥が洋館で、右の襖の奥が座敷部

広間(写真左奥が玄関及び座敷)

・広間は賓客の接待に用いられたもので、大隈重信や山縣有朋なども訪れた

・広間は地盤改良のために田沼の上に盛土を施すとともに柱筋に石垣を積上げているため、庭園と比べてかなり床が高くなっている

広間内部:
・12灯の大型シャンデリアによる照明等、各所に高級な仕様が用いられている

洋館:
・木造下見板張、桟瓦葺の洋風建築
・外見、内装は洋風だが、構造は和小屋

・洋館下部の通気口にも装飾が施されている

玉突場:
・木造平屋建て、切妻、鉄板葺きで、外壁は下見板張り
・ビリヤード専用の建物で重文指定されているものは、岩崎邸撞球室と諸戸家の玉突場のみ

アクセス
JR関西本線・近鉄名古屋線桑名駅下車、北東1㎞です。旧諸戸家住宅に隣接しています。
見学ガイド
諸戸家住宅は通常非公開ですが、春と秋に一般公開されます。一般公開期間中の特定の期間に建物内部も公開されます。

感想メモ
春の一般公開にあわせて訪問しました。酒田の本間家を超える日本一の大地主であったと言われるだけあって、非常に広大な屋敷で、特に広間は大規模寺院の方丈のようで個人の屋敷としては桁外れに巨大な建築です。
(2023年5月訪問)

参考
三重県教育委員会公式サイト、諸戸氏庭園公式サイト

 

 

鹿鳴館の設計者コンドルの作品

旧諸戸家住宅


きゅうもろとけじゅうたく
桑名市桑名
旧諸戸家住宅和館35.070944, 136.692456
大正
桁行29.6m、梁間10.2m、一部二階、入母屋造、南・北及び西面庇付、北面東端及び西面便所附属、桟瓦葺、東面洋館に接続
洋館35.071024, 136.692689
大正
木造、建築面積219.45m2、二階建、塔屋付、スレート及び銅板葺

旧諸戸家住宅は、2代目諸戸清六が諸戸宗家住宅の北隣に大正2年(1913)に完成させたものです。鹿鳴館の設計で知られるイギリス人建築家ジョサイア・コンドル設計による洋館、和館や蔵、池泉回遊式庭園などからなります。和洋の様式が調和した明治・大正期を代表する貴重な文化遺産です。また、コンドルの作品は東京・横浜に集中していたため関東大震災や太平洋戦争で破壊されたものが多く、旧諸戸家住宅は数少ない現存のコンドルの作品としても貴重です。
洋館(写真右)と和館(写真左):
・洋館はコンドルの設計で、和館は地元職人の設計

洋館:
・四層の塔屋をもつ木造二階建て天然スレート葺き
・コンドルの作品としては珍しいビクトリア様式の建築

洋館東面玄関:
・玄関車寄部分は太平洋戦争中に破壊され、後に修復されたもの

洋館塔屋:
・塔屋は丸屋根銅板葺
・外壁は木摺下地にアスファルトフェルト張りし、ラスモルタル (白セメント) 目地切り仕上
・軒廻りはブラケットを多用して装飾性を高めている

洋館南面一階ベランダ

洋館二階サンルーム

洋館一階玄関ホール

和館南面:
・洋館と同時に建築されたもの

和館北面

・和館は東端部のみ二階建てになっている

・和館入側は洋館玄関ロビー(写真手前)に接続している

アクセス
JR関西本線・近鉄名古屋線桑名駅下車、北東1㎞です。旧諸戸家住宅に隣接しています。
見学ガイド
旧諸戸家住宅は六華苑として有料で公開されています。建物内部も見ることができます。

感想メモ
洋館と和館が、自然な形で美しく接続しています。洋館は凝った外装と比べると、内部は意外とシンプルでした。
(2023年5月訪問)

参考
三重県教育委員会公式サイト、旧諸戸清六邸(六華苑)整備工事報告書

 

 

東海道関宿の中心に位置する「関の地蔵さん」

地蔵院


じぞういん
亀山市関町新所
地蔵院本堂34.853048, 136.389263
江戸中期
桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、向拝一間、本瓦葺、背面後陣、側面脇間付
愛染堂34.852974, 136.389093
江戸前期
桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、向拝一間、本瓦葺
鐘楼34.852811, 136.389386
江戸前期
桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺

地蔵院は旧東海道関宿伝統的建造物群保存地区の中心部に位置します。開基を古代にもつ古刹で、関の地蔵さんとして知られています。創建についての確かな資料はありませんが、現存する建物は、愛染堂が寛永7(1630)年、鐘楼が同21(1644)年の建立、本堂はこれより遅れ元禄13(1700)年に落成しています。
・関宿に入ると街道の正面に地蔵院が見えてくる

本堂

愛染堂

鐘楼

アクセス
JR関西本線関駅下車徒歩約10分です。駅前の国道を渡り、景観舗装された道路を上っていくとすぐに旧東海道関宿に出ます。街道を西に進むと、正面に地蔵院が見えてきます。地蔵院は宿場の中心に位置しています。
見学ガイド
地蔵院は、いつでも自由に見学することができます。

感想メモ
地蔵院は宿場の中心に位置していて、街道を進むと真正面に見えてきます。背後の山とも綺麗に調和していて、よく練られた宿場町の設計だと感心しました。地蔵院脇の会津屋さんの田舎そばもおいしかったです。
(2021年1月訪問)

参考
三重県教育委員会公式サイト

 

 

極彩色の元本殿

大村神社宝殿


おおむらじんじゃほうでん
伊賀市阿保
大村神社宝殿34.670310, 136.183616
桃山
一間社入母屋造、妻入、檜皮葺

大村神社は近鉄青山町駅の近く、初瀬街道阿保宿の奥に鎮座する式内社です。宝殿は天正15年(1587)建立されたもので、明治時代までは大村神社の本殿でした。
・一間社入母屋造、妻入、檜皮葺で、簡素ながら形状がよく整っている

身舎側面:
・桃山様式の様々な彫刻と極彩色が施されている
・蟇股は紅葉に鹿の意匠

身舎背面:
・春日造の社殿であれば背面が切妻だが、この社殿は背面も入母屋

向拝の装飾

アクセス
近鉄大阪線青山町駅下車、南東1kmです。駅のロータリーを南に進み木津川を渡ると初瀬街道阿保宿に入ります。旧宿場の中心に大村神社の大きな石碑があるので、迷うことはないと思います。
見学ガイド
大村神社は常時自由に参拝することができます。宝殿の前面は回廊で塞がれていてよく見ることができません。本殿の左を回り込むと、宝殿の背面と右側面を瑞垣越しに見ることができます。

感想メモ
阿保宿は自然に湾曲したいかにも旧街道の風情を残しています。宿場のはずれに鳥居があって昼でも暗い鬱蒼とした木立の間の石段を上ると、思ったよりも広い境内がさっと広がります。宝殿の正面は本とんど見ることはできませんでしたが、側面と背面はよく見ることができ、珍しい入母屋の本殿であることが確認できました。鮮やかな装飾ですが、蟇股は、かつて構造部材であったことの形跡もないほど脚が細くなっていました。
(2022年7月訪問)

参考
文化遺産オンライン、大村神社公式サイト、三重県教育委員会公式サイト

 

 

大庄屋の屋敷

町井家住宅


まちいけじゅうたく
伊賀市枅川
町井家住宅主屋34.704975, 136.164659
江戸中期
書院34.704970, 136.164512
江戸後期

"
町井家は伊賀の南郊、山裾の集落に位置します。町井家は大庄屋を勤めた家で、住宅は主屋と書院からなります。建築年代は、主屋が18世紀後半、書院が19世紀頃であると考えられています。  建物はとする。主屋は、、平面は東側三間余が土間で床上部は二列に三室ずつ並び、上手の中央室「おいま」に床・仏壇を設け、書院は主屋の西南隅に繋がる。
"
主屋(写真中央)と書院(写真左奥)

主屋:
・南面し、屋根は棟高く、庇のみ本瓦、ほかは桟瓦葺
・入母屋造の正面に半間の庇を設ける

書院:
・千鳥破風の式台を備える格式の高い造り

・塀に沿った書院の西面は大壁としている

アクセス
伊賀鉄道丸山駅東1kmです。案内標識などはありませんが、ひときわ立派なお屋敷なので迷うことはないと思います。
見学ガイド
現住の住宅で、非公開ですが。公道から建物を見ることができます。

感想メモ
生垣を低く刈り込んでくれているし、その後ろに解説板も設けられているので、この場所から見学することが想定されているのだと思いますが、他人の家をのぞき込むようで、何か気が引けます。
(2022年7月訪問)

参考
三重県教育委員会公式サイト

 

 

「お水取り」の創始者が開いた正月堂

観菩提寺


かんぼだいじ
伊賀市島ヶ原
観菩提寺本堂34.780768, 136.052164
室町前期
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝三間、檜皮葺
観菩提寺楼門34.780599, 136.052174
室町前期
三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺

観菩提寺は、東大寺の「お水取り」の創始者とされる実忠の開基と伝えられる古刹で、正月堂とも呼ばれています。
本堂:
・桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、桧皮葺で、外部は総朱塗り
・向拝は明治時代の後補
・柱は全て円柱で、腰には四方に廻椽を巡らせ、前面各間に蔀格子を設ける
・全体に和様と禅宗様を折衷している

楼門:
・三間一戸、入母屋造、桧皮葺で、軒端に著しい反りがある
・上層三間二面の柱間は各面各間を開け放ち、腰に廻椽を巡らせ高欄を設ける

アクセス
JR関西本線島ヶ原駅から徒歩25分です。駅を出て線路沿いを亀山方面に進むと最初の踏み切りの近くに正月堂の案内表示があるので、それに従い左折します。関西線を越え、坂道を上りきると集落が開けるので、そのまま集落の中を直進、突き当たりのT字路を左折して、道なりに少し進むと観菩提寺の前に出ます。
島ヶ原から観菩提寺の近くまで行政代替バスを利用することもできます。日曜祝日は運休です。
見学ガイド
観菩提寺の本堂と山門はいつでも自由に見学することができます。

感想メモ
駅からは少し距離がありましたが、小さな丘を上りきると田園地帯の長閑で心地よい道のりでした。
(2021年1月訪問)

参考
三重県教育委員会公式サイト