栃木県の国宝・重要文化財建造物 (1)県央・県南・那須編 | 国宝・重要文化財指定の建造物

国宝・重要文化財指定の建造物

全国の国宝・重要文化財に指定された建造物についてのブログです。

このブログについて:

栃木県県央・県南・那須地域で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

宇都宮市
旧篠原家住宅主屋、新蔵
岡本家住宅主屋、表門
足利市
鑁阿寺本堂
鑁阿寺経堂
鑁阿寺鐘楼
栃木市
村檜神社本殿
真岡市
専修寺御影堂、如来堂、楼門、総門
大前神社本殿、拝殿及び幣殿
大田原市
大雄寺本堂、庫裏、禅堂、鐘楼、経蔵、総門、北東廻廊、南東廻廊、南西廻廊
那須神社本殿、楼門
矢板市
木幡神社本殿
木幡神社楼門
荒井家住宅主屋、表門
那須塩原市
那須疏水旧取水施設東隧道、西隧道、西水門、導水路及び余水路、東水門
旧青木家那須別邸
芳賀郡益子町
西明寺三重塔
西明寺楼門
西明寺本堂内厨子
綱神社摂社大倉神社本殿
綱神社本殿
地蔵院本堂
円通寺表門
芳賀郡茂木町
旧羽石家住宅
芳賀郡市貝町
入野家住宅主屋、表門
下都賀郡野木町
旧下野煉化製造会社煉瓦窯
那須郡那須町
三森家住宅主屋、表門

 

 

古式を残す伽藍配置の真宗寺院

専修寺


せんじゅじ
真岡市高田
専修寺御影堂36.394239, 140.023416
江戸中期
桁行九間、梁間八間、一重、寄棟造、向拝三間、茅葺形銅板葺
如来堂36.393598, 140.022836
江戸中期
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、銅板葺
楼門36.393510, 140.023342
江戸中期
一間一戸楼門、入母屋造、桟瓦葺
総門36.393414, 140.023745
江戸前期
一間薬医門、切妻造、茅葺

専修寺は真岡市南部の田園地帯に位置する真宗高田派の寺院です。親鸞上人が嘉禄2年(1225)に開いたもので、寛正6年(1465)伊勢の一身田に新たに専修寺が建立されるまでは、真宗高田派の布教の中心であり、現在でも本寺と呼ばれています。如来堂(阿弥陀堂)を正面に置き、これと矩折りに御影堂を配した伽藍は、ほかの真宗寺院には例がなく、阿弥陀堂を重視する古式を残したものと考えられています。


御影堂

・寛保3年(1743)の再建で、正側面三方を広縁としないなど、一般の真宗仏堂とは異なる点がある



如来堂

・延享元年(1744)の再建
・屋根が大きいことや細部の手法に江戸時代の手法が表れているが、平面や構造は一般の近世真宗仏堂とは異なり、中世密教仏堂に似ている

・棟には菊の御紋が飾られている

・円柱上に台輪を廻し、組物は三手先の詰組



楼門

・元禄年間の建築で、総門と如来堂との軸線上に建つ

・右奥が御影堂で、左奥が如来堂

・扁額は天台座主公猷親王の筆

・二軒の平行繁垂木で、組物は三手先、中備は撥束



総門

・他の建造物よりも古く、江戸前期の建造であるとされる

アクセス
最寄駅は真岡鉄道の寺内駅で、専修寺までは約5kmです。真岡駅のレンタサイクルの利用が便利です。専修寺までは6.5kmの平坦なルートです。
見学ガイド
専修寺は常時自由に見学することができます。

感想メモ
戦乱などで一時荒廃したことから建物はすべて江戸時代のものになっていますが、教祖を祀る御影堂が控えた位置に建てられているといった古い様式が残されているのが興味深かったです。
(2021年2月訪問)

参考
国指定文化財等DB、現地解説板

 

 

京都・宇治の許波多神社を勧請

木幡神社


きばたじんじゃ
矢板市木幡
木幡神社本殿36.790481, 139.932976
室町中期
三間社流造、銅板葺
木幡神社楼門36.790214, 139.933163
室町中期
一間一戸楼門、入母屋造、銅板葺

木幡神社は矢板の市街地南方の小高い丘の上に鎮座します。京都・宇治の許波多神社を勧請したもので、平安・鎌倉武士に崇敬されてきたと伝えられています。


本殿

・規模の大きな朱塗りの三間社流造で、室町時代の建立であるとされている

・直線的な虹梁は室町時代の特徴で、手挟は置いていない

・向拝の両側間には蟇股を置く

・妻飾は又首組で、各間の中備に蟇股を置く

・背面も各間に蟇股を置く
・基礎の亀腹に合わせて、下部は曲線状になっている



楼門

・一間一戸の楼門で、室町中期の建築であると考えられている

・軒は二軒で、柱上は三手先
・一手先と三手先に花肘木を入れる

・腰組は二手先

アクセス
JR東北本線矢板駅下車、南2.5㎞です。平日はコミュニティバスを利用することもできます。
見学ガイド
木幡神社は常時自由に参拝することができます。本殿前面の一部は拝殿で見づらくなっていますが、大型の建築なので全体的にはよく見ることができます。

感想メモ
ルーツの京都・宇治の許波多神社は明治時代に旧所在地の近くの集落に移され、今では村の鎮守さんのような風情になっていますが、こちらの木幡神社は立派な楼門と堂々とした大型の本殿を構えて丘の上に鎮座しています。
本殿の背面が亀腹の曲線に合わせて造られているのが興味深いです。
(2024年3月訪問)

参考
矢板市公式サイト

 

 

那須野ヶ原開拓の基盤施設

那須疏水旧取水施設


なすそすいきゅうしゅすいしせつ
那須塩原市西岩崎
那須疏水旧取水施設東水門37.038161, 139.986440
明治
石造水門、正面5.4m、石造擁壁附属
西水門37.037627, 139.985391
明治
石造水門、正面5.1m、石造擁壁附属
導水路及び余水路37.037719, 139.985299
明治
石造、延長209.8メートル
東隧道37.038087, 139.986493
明治
石造隧道 延長49.1m
西隧道37.037666, 139.985567
明治
石造隧道 延長162.0m

那須疏水旧取水施設は、那須岳を水源とし、栃木県東部を南北に貫流する那珂川の上流に位置します。那須野ヶ原開拓の基盤施設として、内務省の直轄事業により明治一八年に開削されました。その後、河床変動などを受け、同三八年に西方に新たに取水施設を建設し、翌年には当初の取水隧道を予備用として利用するため坑門が石造に改められました。


東水門

・石造で、坑門の上方に架けた角材の上に、鉄製の門扉巻揚装置を設け、さらに半円アーチ形開口部を川に向かって開くほぼ台形平面の上屋を設けたもの
・正面五・四メートル、高さ八・六メートルとし、乱積の基礎部分を除き全体を切石の布積で築く
・この奥に東隧道が続く



西水門

・石造で、坑門の上方に架けた角材の上に、鉄製の門扉巻揚装置を設けたもので、正面五・一メートル、高さ三・九メートル
・導水路(写真手前)に対しやや斜めに構える
・背後には長方形の石碑を中央に嵌め込んだ擁壁を布積で築く
・西水門の奥に西隧道が続き、水門の手前左方向に余水路が伸びる



導水路及び余水路

導水路:
・那珂川からくの字形に屈曲して西水門に至る延長二〇九・八メートルの水路
・敷幅約六メートル、側壁法勾配約五分とした台形断面の石造構造物で、側壁を谷積、底版を石敷とする

余水路:
・西水門の手前からL字形に屈曲し、再び那珂川に至る水路で、底版を石敷とする
・西水門の東方約一〇メートルの地点に水量調節及び排砂機能を有する附指定の水門(写真中央)を設ける

アクセス
JR東北本線黒磯駅から那須湯本方面行きバスで広谷地下車、西3kmです。
見学ガイド
那須疏水旧取水施設は周辺が公園整備されており、常時自由に見学することができます。東水門は少し離れた場所からの見学になります。西水門は近くから見ることができますが、水門の扉は閉ざされています。東西の隧道隧道は水門の奥から地下に伸びており、見ることはできません。導水路及び余水路は近くから見ることができます。

感想メモ
青木家那須別邸から徒歩で向かうことにしました。距離は6㎞で、那須野ヶ原のちょうど良いハイキングコースかと思いましたが、定規で引いたような直線の車道で交通量もそこそこ多く、歩道のないところが大半なのでかなり疲れました。時々姿を見せる雪をいただいた那須連山の姿に救われました。
那須疏水旧取水施設は周辺が奇麗に整備されているのですが、訪れる人が少ないためか、訪問時にはドッグランとして利用されている方がいました。
(2024年3月訪問)

参考
国指定文化財等DB

 

 

明治の外交官のドイツ風邸宅

旧青木家那須別邸


あおきけなすべってい
那須塩原市青木
旧青木家那須別邸37.001253, 139.985004
明治
木造、建築面積318.9m2、二階建、一部平屋建、鉄板葺

旧青木家那須別邸は那須野ヶ原の開拓地に位置します。明治時代に駐独公使や駐米大使、外相を務めた外交官、青木周蔵の別荘兼農場の管理棟です。ドイツで建築学を学び、七十七銀行本店や台湾鉄道ホテル等の設計をした松ヶ崎萬長の作品で、軸組や小屋組にドイツ様式の構法を採用しています。
・別邸は長い杉並木を超えた先に建てられている

・明治21年(1888)に中央の2階建ての部分だけが建てられ、明治42年(1909)に増築しされて、ほぼ現在の形となった
・中央棟屋上の物見台もこの時の増築

玄関ポーチ

一階ベランダ

二階南側ベランダ

・屋根にはドーマー窓が設けられている
・ドーマー窓には日本建築の懸魚・桁隠しのような装飾が施されている
・写真左のドーマーの壁面には鱗型、写真右の壁面には蔦型の人工スレートが取り付けられている

・正面東側突出部二階の窓には、ゴシック建築などで用いられるハンマービーム(片持ち梁)上のアーチがみられる
・ハンマービームの先端は日本建築の頭貫木鼻のような意匠

・ハンマービームの窓の内側は畳敷きの居間としている
・天井中央部分を切り上げて採光に工夫している
・切り上げ部分では屋根のトラスが確認できる

・一階の夫人室には装飾付きの柱が用いられている

二階階段室

アクセス
JR東北本線黒磯駅からバスで青木別荘前下車すぐです。
見学ガイド
旧青木家那須別邸の外観は常時自由に見学することができます。内部は有料公開されています。

感想メモ
那須高原の緑の中に白く輝く美しい木造洋風建築です。細部意匠も凝っていて内部には畳敷き部屋もあって面白いです。
(2024年3月訪問)

参考
国指定文化財等DB、栃木県公式サイト、那須塩原市公式サイト

 

 

坂東巡礼第20番益子観音

西明寺


芳賀郡益子町益子
西明寺三重塔36.452471, 140.117019
室町後期
三間三重塔婆、堅板形銅板葺
西明寺楼門36.452507, 140.117164
室町後期
三間一戸楼門、入母屋造、茅葺
西明寺本堂内厨子36.452813, 140.117377
室町中期
一間厨子、宝形造、板葺

西明寺は益子の市街地の南東、獨鈷山(とっこさん)の南斜面中腹にあります。真言宗豊山派に属し、坂東巡礼第20番、下野第13番の益子観音として知られています。
楼門(左)と三重塔(右)



三重塔

・天文12年(1543)高館城主益子家宗の建立で、初層は和様、二層は折衷様、三層は禅宗様の三様式
・目板打の板屋根銅板葺きで、屋根は軒の出が深く、勾配や反りも大きい

第三重:
・扇型垂木、先端部が細い尾垂木など禅宗様の特徴が見られる

第二重:
・扇垂木など禅宗様と、貫を用いず長押で固めていることや尾垂木先端を細めていないなど和様を折衷している。

初重:
・軸部や組物、垂木などに和様の特徴が見られる

・水煙は雲形の連続模様



楼門

・上段写真が正面で、下段写真が背面
・明応元年(1492)建立の禅宗様の三間一戸、茅葺、入母屋造りの建造物で、柱は三十二角造り

・二軒で禅宗様の扇型垂木

・柱頭部には禅宗様の粽が見られる
・腰組も禅宗様の出組で、中備は箕束

・背面腰組中備下の蟇股は特異な形態

・木鼻の渦形文様は斗拱とともに室町時代の特徴をよく表す



本堂内厨子

・禅宗様の一間厨子で、宝形の造板葺き、三手先斗拱の詰組、軒廻りは二軒の扇垂木
・外部は黒漆塗り。柱上部の金欄巻や唐戸の菱形も特殊な技術が施されている
・厨子の内部柱に応永元年(1394)と記された墨書がある

アクセス
真岡鉄道益子駅南東3.7kmです。益子の文化財巡りには益子駅のレンタサイクルが便利です。西明寺までは駅から約100mの上りですが、急な上りは最後の数百メートルだけなので、電動アシストのない自転車でもなんとかなるかと思います。
見学ガイド
三重塔と楼門は常時自由に見学することができます。本堂内厨子は有料で公開されています。

感想メモ
三重塔は各層で和様、折衷様、禅宗様の三様が分かれているとのことですが、それほど明確には分かれていなくて、禅宗様とされる第三重は禅宗様の要素が強いといった感じでした。
(2021年2月訪問)

参考
西明寺公式サイト、益子町生涯学習課公式サイト

 

 

室町時代の茅葺社殿が並び立つ

綱神社


つなじんじゃ
芳賀郡益子町上大羽
綱神社本殿36.451700, 140.139931
室町中期
三間社流造、茅葺
綱神社摂社大倉神社本殿36.451828, 140.139824
室町後期
一間社流造、茅葺

綱神社は益子の市街地の東方、山間の集落の奥に鎮座します。建久5年(1194)に宇都宮朝綱が土佐の賀茂明神を迎えて創建したものとされています。大倉神社は平安時代の大同2年(807)創建と伝わり、もとは現在地の北西の愛宕山にあったものを綱神社の摂社として境内に移されたものです。
手前が綱神社本殿で奥が大倉神社本殿



綱神社本殿

・大永年間(1521~1528)に建立された三間社流造り茅葺きの社殿

・向拝の斗拱は三斗組で両端は連三斗組

・桁行の出組に皿斗を設け、大斗との高さを調整している

・向拝手挾の意匠・技法は、懸魚、木鼻などとともに、室町時代の特色をよく表す



摂社大倉神社本殿

・大永7年(1527)の建立とされる一間社流造り茅葺きの社殿
・綱神社本殿と同様に規模は小さいが室町時代の特徴をよく表す

・妻飾は又首組

・向拝中央には蟇股を飾る

アクセス
真岡鉄道益子駅東約7kmです。益子の文化財巡りには益子駅のレンタサイクルが便利です。益子駅から綱神社までは最も高低差の少ないルートでも90m程度の上りになります。電動アシストのない自転車で、ところどころ降りて押しながら何とかなる範囲かと思います。西明寺経由で直行しようとすると、かなりの上りになるので要注意です。綱神社は地蔵院と近接しています。
見学ガイド
綱神社の各社殿は常時自由に見学することができます。瑞垣が設けられていないので、間近に見ることができます。

感想メモ
アクセスは苦労しましたが、木立の多い静かな境内に茅葺の社殿が並び立つ、素晴らしい景観でした。
(2021年2月訪問)

参考
益子町生涯学習課公式サイト、栃木県観光物産協会公式サイト

 

 

宇都宮氏の隠居所の仏堂

地蔵院本堂


じぞういんほんどう
芳賀郡益子町上大羽
地蔵院本堂36.450736, 140.138986
室町後期
桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、とち葺形銅板葺

地蔵院は、市街地の東方、綱神社の近くに位置します。大羽地区をおさめていた宇都宮朝綱が隠居するにあたり建立した尾羽寺の阿弥陀堂に始まると伝えられています。本堂は永正年間(1504~1521)の建立とされています。
・桁行5間梁間4間、入母屋造り柿葺き型銅板葺きの仏堂
・木割が細く、斗拱は二手先

アクセス
真岡鉄道益子駅東約7kmです。益子の文化財巡りには益子駅のレンタサイクルが便利です。益子駅から地蔵院までは最も高低差の少ないルートでも90m程度の上りになります。電動アシストのない自転車で、ところどころ降りて押しながら何とかなる範囲かと思います。西明寺経由で直行しようとすると、かなりの上りになるので要注意です。地蔵院は綱神社と近接しています。
見学ガイド
地蔵院本堂は常時自由に見学することができます。

感想メモ
規模の大きなお堂ですが木割が細いため、繊細な印象を受けます。
(2021年2月訪問)

参考
益子町生涯学習課公式サイト、日本観光振興協会公式サイト

 

 

独創的な意匠の禅宗様四脚門

円通寺表門


えんつうじおもてもん
芳賀郡益子町大沢
円通寺表門36.484622, 140.102040
室町後期
四脚門、切妻造、茅葺形銅板葺

円通寺は益子の市街地北方の谷筋の集落にあります。応永9年(1402)良栄上人開基の浄土宗名越派の総本山で、学問寺としても栄えました。表門は同年に建立されたものです。
・禅宗様の切妻茅葺型銅板葺きの四脚門
・構造意匠は大胆、奇抜、独創的であり、全体的には彫刻が流麗で、室町時代の特色をよく表す

・控柱上部には粽が付き、貫と台輪で固める
・柱上の組物は肘木に笹繰が付く禅宗様三斗組
・軒は二軒の繁垂木

側面: 
・主柱は複雑な組物で棟を支える
・控柱は優美な海老虹梁で繋がれている
・懸魚は鰭付きの蕪形

アクセス
真岡鉄道七井駅南東1.5kmです。益子の文化財巡りには益子駅のレンタサイクルが便利です。益子駅から円通寺までは約4kmの平坦な道路です。文化庁のDBは全く異なる場所を示しているので要注意です。
見学ガイド
表門は常時自由に見学することができます。

感想メモ
文化庁のDBが違っていたので遠回りをしましたが無事辿り着くことができました。珍しい意匠ですが嫌味のない美しい四脚門でした。
(2021年2月訪問)

参考
益子町生涯学習課公式サイト

 

 

素朴な一般農家の住宅

旧羽石家住宅


はねいしけじゅうたく
芳賀郡茂木町牧野
旧羽石家住宅36.581458, 140.198513
江戸中期
桁行16.4m、梁間7.9m、寄棟造、茅葺

羽石家住宅は茂木の市街地の北方、牧野地区の山中にあります。元禄2年(1689)の建築の一般農家で、現在地の約8km東南にあったものを1978年に移築したものです。
・茅葺寄棟造りで、建築当初は現在よりも規模が大きく上手及び表側にも部屋が続き、室数が多かったが、建築後比較的早い時期にこれらの室が撤去され、濡れ縁を廻して現在の規模に縮少された

・手前が土間、中央の板の間がひろま、奥右がざしきで左がなんど

・各部材の木割りは太く、二重梁が多いといった特徴がある

アクセス
真岡鉄道茂木駅北9kmです。駅からの公共交通はありませんが、真岡鉄道のレンタサイクルを利用することができます。デマンドタクシー(要事前登録)も利用できるようです。
見学ガイド
見学するには、ふみの森もてぎに事前に電話連絡する必要があります。休館日もあるので早めの連絡をおすすめします。

感想メモ
内部の特別公開日に訪問しました。駅から大した距離ではないので真岡鉄道のレンタサイクルを利用しましたが、かなりのアップダウンがありました。ルートをうまく選べばもう少しアップダウンは少なかったみたいです。
羽石家は、もと県の施設があった場所にあって、通常民家がないような山中なので、また文化庁のDBに騙されたのかと途中不安になりましたが、DBが示す座標に間違いなくありました。
(2021年2月訪問)

参考
現地解説板、茂木町公式サイト

 

 

茅葺の庄屋屋敷

入野家住宅


いりのけじゅうたく
芳賀郡市貝町赤羽
入野家住宅主屋36.505707, 140.066135
江戸末期
桁行19.5m、梁間8.5m、東南面突出部 桁行14.3m、梁間5.1m、一部二階、寄棟造、茅葺、玄関附属
表門36.505327, 140.066155
江戸末期
長屋門、桁行17.0m、梁間4.5m、入母屋造、亜鉛引鉄板葺

入野家住宅は益子の北方の田園地帯に位置します。入野家はもと武士の出で、江戸時代初期から代々名主をつとめた家柄です。所蔵文書等から、天保7年から同12年までの5年を費やし、飢饉に当たって村民救済事業として建設されたことが明らかになっています。
・手前の長屋門が表門で、奥の茅葺屋根が主屋



主屋

・一部二階、茅葺寄棟造で、桁行十間半、梁間四間半の主体部(写真左側)と、その上手前よりに桁行七間半、梁間二間半の座敷部(写真中央から右)が喰違いに配され、棟は前後に平行してその間を短い棟でつないでいる
・宇都宮周辺に多い形式
・座敷部は四室を横一列に並べて正面に式台を構える
・主体部は下手に広い土間を取り、土間側に「だいどこ」を張り出す

主体部内部: 
・床上部は喰違いに四室を配している



表門

・茅葺寄棟造の長屋門で、桁行九間半、梁間二間半
・中央二間半に潜戸付の扉口をもつ

アクセス
真岡鉄道七井駅西3.3kmです。益子周辺の文化財巡りには益子駅のレンタサイクルが便利です。益子駅から入野家までは約6kmの平坦な道路です。
見学ガイド
外観は常時自由に見学することができます。土日祝日の午前9時から午後3時まで、内部が公開されています。

感想メモ
大変立派なお屋敷ですが、茅葺で温かみも感じます。
(2021年2月訪問)

参考
現地解説板、文化遺産オンライン

 

 

ホフマン式の煉瓦窯

旧下野煉化製造会社煉瓦窯


しもつけれんがせいぞうかいしゃれんががま
下都賀郡野木町野木
旧下野煉化製造会社煉瓦窯36.212342, 139.700877
明治
煉瓦及び木造、建築面積840.0m2、十六角造、鉄板葺、中央煙突付、階段二箇所附属

旧下野煉化製造会社煉瓦窯は渡良瀬遊水地の東、渡良瀬川の左岸に位置します。ドイツのホフマン式の煉瓦窯で、明治23年(1890)から昭和46年(1971)までの間に多くの赤煉瓦を生産してきました。
・煉瓦造で平面十六角形(差し渡し三二・六m)
・中央に煙突(高さ三四・三m)を立て、木造の上屋を架ける

窯内部: 
・環状トンネル型で、隔壁はないが十六区画に分割され、順次移動しながら煉瓦を焼く方式
・1つの窯で1回に約14,000本、全ての窯を連続して使用した場合には、約22万本の赤煉瓦の生産が可能

アクセス
JR東北本線古河駅から北に2.7kmです。少し距離がありますが、古河駅のレンタサイクルを利用することができます。煉瓦窯は渡良瀬遊水地から近いので、自転車なら周遊することができます。
見学ガイド
旧下野煉化製造会社煉瓦窯は有料で公開されています。公開時間は月曜日と年末年始を除く9:00~17:00です。窯の内部も見学することができます。

感想メモ
ホフマン炉の仕組みが分かりやすく見学できるように工夫されていました
(2020年10月訪問)

参考
野木町公式サイト、国指定文化財等DB