山梨県の国宝・重要文化財建造物 (2)山梨・石和編 | 国宝・重要文化財指定の建造物

国宝・重要文化財指定の建造物

全国の国宝・重要文化財に指定された建造物についてのブログです。

このブログについて:

山梨県山梨市・石和地域で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

この地域の文化財について:

甲府盆地の東部に位置する山梨市と笛吹市からなるこの地域は、古くから開け、中世には甲斐源氏武田氏の本拠地が、近世には江戸幕府御三卿の陣屋が置かれるなど、甲斐の政治経済文化の中心地として発展してきました。
この地域には、国宝の清白寺仏殿をはじめ室町時代から江戸時代にかけての優れた社寺建築が多く残されています。
(参考:山梨市資料)

文化財マップ:

山梨市
清白寺仏殿
清白寺庫裏
天神社本殿
窪八幡神社本殿
窪八幡神社拝殿(庁屋)
窪八幡神社摂社若宮八幡神社本殿
窪八幡神社摂社若宮八幡神社拝殿
窪八幡神社末社武内大神本殿
窪八幡神社末社高良神社本殿
窪八幡神社末社比咩三神社本殿
窪八幡神社神門
窪八幡神社鳥居
中牧神社本殿
上野家住宅主屋、文庫蔵、質蔵、穀蔵、表門
笛吹市
浅間神社摂社山宮神社本殿
慈眼寺本堂、庫裏、鐘楼門
山梨岡神社本殿

 

 

国宝の禅宗様仏殿

清白寺


せいはくじ
山梨市三ケ所
清白寺仏殿35.693743, 138.708088
国宝・室町中期
桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、檜皮葺
清白寺庫裏35.693959, 138.708382
江戸中期
桁行17.5m、梁間12.2m、一重、切妻造、妻入、茅葺、北面庇付、鉄板葺

清白寺は、東山梨の田園地帯に位置する臨済宗の寺院で、夢窓疎石(国師)を開山とし、足利尊氏が正慶2年(1333)に創立したと伝えられます。
仏殿の建立年代は墨書から応永22年(1415年)であるとされています。清白寺は天和2年(1682年)の火災で伽藍、塔頭のほとんどを焼失しましたが、仏殿のみ羅災をまぬがれています。庫裏は天和の火災後,元禄2~6年(1689~1693)の間に再建されたと考えられています。
仏殿(左)と庫裏(右)

仏殿: 
・禅宗様の方三間の裳階付き入母屋造、桧皮葺の仏殿で、石積基壇上に建つ
・禅宗様仏殿の代表例である円覚寺舎利殿や正福寺地蔵堂と比較すると規模がやや小さい

仏殿裳階: 
・花狭間を用いた桟唐戸、花頭窓、波形連子の弓欄間や、長押を用いない軸部、頭貫先の木鼻など禅宗様の装飾が見られる
・裳階の垂木は疎垂木に配している

仏殿身舎軒廻り: 
・禅宗様の特徴である扇型垂木、詰組が見られる
・組物を尾垂木付の三手先とはせずに出組として簡素化している

庫裏: 
・切妻造,妻入,茅葺の大規模な建物で、平面は正面側(南側)に土間を設け,床上は棟通りで東西に二分し,西側を客室部,東側を居室部とする

庫裏正面妻飾り: 
・白漆喰壁に三重の虹梁を架け、下段に花肘木と三斗、中段には板蟇と双斗、上段には大瓶束をたてる

アクセス
中央本線東山梨駅東750mです。
見学ガイド
清白寺の仏殿及び庫裏は常時自由に見学することができます。

感想メモ
仏殿は構架を簡素化しているとのことですか、煩雑な部材を省略して軒廻りを美しく見せているようにも思えます。
(2021年5月訪問)

参考
山梨県公式サイト

 

 

武田氏の崇敬を受けた神社

天神社本殿


てんじんじゃほんでん
山梨市大工
天神社本殿35.713646, 138.663485
室町後期
一間社流造、檜皮葺

天神社は山梨市駅北方の丘陵地に鎮座します。創立についての詳細は不明ですが、中世には武田氏の崇敬をうけていました。本殿は大永2年(1522)に武田信虎によって再建されたことが明らかになっています。
・一間社流造、檜皮葺
・背部の脇障子が江戸時代の改修により旧規を失っているが、他は室町時代後期の姿をよく残す

・窪八幡神社武内大神本殿と同様に、繋虹梁は身舎頭貫をのばしたもので、身舎側木鼻もこの材からの造り出している

アクセス
JR中央本線東山梨駅から北に4.5kmです。電動アシストのシェアサイクルの利用も可能です。山梨市駅から5kmで140mの上り、塩山駅から7.2kmで、100mの上りです。
見学ガイド
本殿は背の低い瑞垣に囲われていますが、瑞垣内に立ち入ることができるので、近くから見学することができます。

感想メモ
アクセスはちょっと大変でしたが、古風な社殿を近くから見ることができました。
(2021年5月訪問)

参考
山梨市公式サイト

 

 

武田家代々の氏神

窪八幡神社


くぼはちまんじんじゃ
山梨市北
窪八幡神社本殿35.704813, 138.689764
室町後期
十一間社流造、檜皮葺
窪八幡神社拝殿(庁屋)35.704769, 138.689889
室町後期
桁行十一間、梁間三間、一重、切妻造、檜皮葺
窪八幡神社摂社若宮八幡神社本殿35.704944, 138.689858
室町中期
三間社流造、檜皮葺
窪八幡神社摂社若宮八幡神社拝殿35.704909, 138.689975
室町後期
桁行四間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺
窪八幡神社末社武内大神本殿35.704711, 138.689695
室町後期
一間社流造、檜皮葺
窪八幡神社末社高良神社本殿35.704591, 138.689832
室町後期
一間社隅木入春日造、檜皮葺
窪八幡神社末社比咩三神社本殿35.704555, 138.690237
江戸前期
一間社流造、銅板葺
窪八幡神社神門35.704469, 138.690642
室町後期
四脚門、切妻造、檜皮葺
窪八幡神社鳥居35.703873, 138.692102
室町後期
木造両部鳥居

窪八幡神社は笛吹川右岸の窪集落に鎮座します。正式には大井俣窪八幡神社と呼ばれ、貞観元年(859年)に宇佐神宮の八幡三神を笛吹川の中島の大井俣に勧請したのが始まりであると伝えられています。その後、何回かの水害で流されて現在地へ遷座して窪八幡宮と呼ばれるようになりました。
窪八幡神社は武田家代々の氏神として崇敬されてきました。若宮八幡神社、末社武内大神(たけのうちだいじん)社も、本社鎮座と同時に勧請されたと伝えられています。比咩三(ひめさん)神社は、本社創建当時は正殿に合祀されていましたが、康平6年(1063)に源義光が神殿を建立のうえ遷し祀ったと伝えられます。
本殿:
・墨書から永正16年(1519)頃の建立であるとされる
・三間社流造の三殿が、一間の相の間をはさんで連結され、これをひと続きの屋根に収めて十一間社流造とした特異な形式の連棟社殿
・屋根は桧皮葺で、向拝は身舎前面にひと続きに付いている

本殿左端社殿の正面:
・身舎のほか、向拝も円柱であるのは珍しい
・中央を幣軸構えとして両開き板唐戸、両脇間は板壁(ガラス板で保護)
・身舎前面と側面に刎高欄つきの榑縁(くれえん)をめぐらし、中央間にのみ擬宝珠高欄つきの階段を設ける
・一般的に神社本殿は切目縁だが、窪八幡神社は本社、摂社とも榑縁であるのが珍しい
・相の間(写真右端)には嵌殺し格子戸を嵌める

本殿身舎左端の組物(奥)と向拝左端の組物(手前):
・身舎、向拝とも平三斗であるが、両端部のみ連三斗
・頭貫先端には木鼻

本殿左側面:
・妻飾りは豕杈首(いのこざす)組
・各社殿の身舎隅柱から向拝柱に繋虹梁を架している

本殿背面:
・相の間背面も三棟の三間社背面と同じ板壁であるため、一体の十一間社のように見える
・窪八幡神社の摂社・末社は脇障子を立てないのが特徴だが、本殿は両端に脇障子を備える

拝殿:
・十一間社流造の本殿に対応する桁行11間の長大なもので、社務所を意味する「庁屋」とも呼ばれている
・墨書から弘治三年(1557)頃に建設されたものと考えられている
・右側2間は窓のない板張りの御供所で、礼拝部は残りの9間
・出入口は全体の中央に設けられているため、礼拝部だけを見ると左右非対称な形になる
・御供所を除いた柱間は、腰貫と長押間に吹放ち窓をめぐらし、他は嵌板壁
・軒は一軒疎垂木、屋根は桧皮葺の切妻造

拝殿左側面

若宮八幡神社本殿:
・武田信昌によって応永7年(1400)に建立されたとされ、窪八幡神社社殿のなかでは最も建築年代が古いもの
・三間社流造で、そりの大きな古風な造り
・身舎柱、向拝柱ともに井桁組の一連の土台上に建てられており、身舎は円柱で、向拝は面取り角柱
・正面中央1間を幣軸構えとし、両開きの板唐戸、ほかは板壁

若宮八幡神社本殿左側面:
・妻は豕杈首組で、破風には猪目懸魚
・軒は前面一軒、背面二軒の繁垂木
・正面と両側には刎高欄つき榑縁をめぐらせるが、背面では高欄を欠き、脇障子もない特殊な様式
・身舎(朱色の柱)、向拝(黒色の柱)とも端部は連三斗で、他は身舎が平三斗で、向拝が出三斗
・向拝の頭貫先端の肘木鼻は古い手法

若宮八幡神社拝殿:
・天文5年(1536)、武田信虎によって建立されたと考えられている
・桧皮葺入母屋造の簡潔な建物で、柱はすべて面取り角柱、組物は舟肘木、軒は一軒疎垂木
・桁行4間、梁間3間で、左側3間が拝殿で、中央1間を本殿の中心線とあわせて社殿が配されている
・出入口両脇間および左側面は腰貫と内法貫間に吹放ち窓を配する
・右端の1間は板張りの御供所

武内大神本殿:
・明応9年(1500)建立と考えられている
・桧皮葺の一間社流造で、身舎、向拝とも井桁に組んだ一連の土台上に柱を立てている
・正面は幣軸構えとし、両開きの板唐戸を吊り込み、その他は板壁
・正面・側面には刎高欄つき榑縁をめぐらすが、脇障子は設けない

武内大神本殿左面の組物: 
・向拝柱(右の面取り角柱)、身舎柱(左の円柱)とも柱上の組物は連三斗で、木鼻上の巻斗で受けるなど技巧的

武内大神本殿左側面: 
・繋虹梁は身舎頭貫をのばしたもので、身舎側木鼻もこの材からの造り出した特異な手法

高良神社本殿:
・武内大神本殿と同時期に再建されたもの
・桧皮葺の一間社隅木入春日造
・通常の春日造は身舎の軒幅いっぱいに向拝が付くが、この社殿は内側に幅を狭めて向拝を設けている点が特徴
・正面は幣軸構えとし、両開き板唐戸を吊り込み、ほかの柱間は板壁で、軒は二軒繁垂木
・四周に刎高欄つき榑縁をめぐらし、脇障子は設けない

高良神社本殿の軒廻り:
・中央の身舎柱の組物は平三斗で、右の向拝柱の組物は連三斗
・頭貫先端はいずれも繰形つき木鼻
・身舎と向拝柱を結ぶ繋虹梁が身舎頭貫の下から渡されている点が、武内大神本殿とは異なる

比咩三神社本殿:
・一間社流造の小規模な社殿であり、建物は切石積み二重基壇上に建ち、身舎柱と向拝柱は井桁に組まれた一連の土台上に建てられている
・正面と両側面に榑縁をめぐらし、高欄と脇障子は設けない
・正面には幣軸構えで金箔押しの両開き板唐戸
・向拝は面取り角柱、組物は平三斗で中備も平三斗
・頭貫先端は繰形つき木鼻

神門:
・永正8年(1511)に武田信虎が建てたものとされている
・1間1戸の四脚門で、屋根は桧皮葺の切妻造
・箱棟には武田菱、花菱紋をつける
・全体に木割の太い門

神門内部: 
・梁上の板蟇股が斗を介して棟を支える

・神門前の石橋も当初の状態をよく残しており、附指定されている

鳥居: 
・天文4年(1535)の再建によるものと考えられている
・木造の両部鳥居で、高さ約7.41m、横幅約5.91m
・現存の木造鳥居のなかで最も古い遺構

・鳥居の柱頭に台輪が付き、反りのある島木・笠木を支える
・笠木上には銅板葺きの屋根

アクセス
中央本線東山梨駅から北西に2kmです。山梨市駅と塩山駅の駅前の電動アシストレンタサイクルを利用することもできます。山梨市駅からは2.5km、塩山駅からは4.5kmで、ほぼ平坦なルートです。
見学ガイド
各社殿はいつでも自由に見学することができます。本殿の前面は立ち入りが制限されているので、側面から見ることになります。背面に回り込むこともできます。本殿、拝殿とも規模の大きな建造物で、周囲に植栽が多いことから全体像を収める視角は限られています。重文指定されたすべての社殿は南東に面しています。

感想メモ
室町時代の檜皮葺の社殿が立ち並ぶ姿は壮観です。少し離れた場所にある鳥居も古風で趣があります。畿内以外で室町以前の文化財が、これだけまとまって残されているところは他にあまりないように思います。
(2021年5月訪問)

参考
現地解説板、山梨県公式サイト

 

 

清楚な室町建築

中牧神社本殿


なかまきじんじゃほんでん
山梨市牧丘町千野々宮
中牧神社本殿35.756858, 138.707091
室町後期
一間社流造、檜皮葺

中牧神社は甲府盆地の北端、牧岡の田園地帯に鎮座します。神社の創始は不明ですが、現在の本殿は、棟札から文明10年(1478)の造営であることが明らかになっています。
本殿右側面: 
・1間社流造、桧皮葺で、背面2間、梁間1間
・すべて素木造で装飾が少なく、簡素な社殿だが、深く折れた破風や彫刻類の力強い曲線など細部は室町時代の特徴をよく示している

本殿向拝:
・手挟は置かず、直線的な虹梁で身舎を繋ぐ

本殿右側面:
・妻は古風な豕扠首が用いられている

アクセス
中央本線塩山駅から西沢渓谷行きのバスで室伏下車、徒歩20分です。本数は少ないですが、神社近くまで入る塩山からのコミュニティバスもあります。塩山駅からは7kmで、駅前の電動アシストレンタサイクルを利用することもできます。200mの上りで後半はやや急ですが電動アシストなら何とかなる範囲です。途中、向岳寺、恵林寺を経由します。
見学ガイド
本殿はいつでも自由に見学することができます。前面は拝殿に視角が遮られますが、側面は背の低い瑞垣で囲われているだけなので、よく見ることができます。

感想メモ
飾り気のない清楚で美し室町建築です。江戸時代の職人さんもこういうのを受け継いでくれたら良かったのですが、彫刻でコテコテにしないと施主さんが納得してくれなかったのでしょうか。
(2021年5月訪問)

参考
現地解説板、山梨県公式サイト