京都府の国宝・重要文化財建造物 (3)宇治編 | 国宝・重要文化財指定の建造物

国宝・重要文化財指定の建造物

全国の国宝・重要文化財に指定された建造物についてのブログです。

このブログについて:

京都府宇治市内で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

宇治市
宇治上神社本殿
宇治上神社拝殿
宇治上神社摂社春日神社本殿
宇治神社本殿
平等院鳳凰堂中堂、両翼廊(南)、両翼廊(北)、尾廊
平等院観音堂
浄土院養林庵書院
浮島十三重塔
十八神社本殿
許波多神社本殿
萬福寺大雄宝殿、法堂、天王殿、斎堂、禅堂、伽藍堂、祖師堂、鐘楼、鼓楼、三門、総門、東方丈、西方丈、祠堂、大庫裏、威徳殿
萬福寺松隠堂開山堂、通玄門、寿蔵、舎利殿、客殿、庫裏、侍真寮
白山神社拝殿
松殿山荘本館、北蔵、南蔵、蓮斎、撫松庵、春秋亭、檆松庵、聖賢堂、仙霊学舎、修礼講堂及び事務所、宝庫、大門

 

 

日本最古の社殿

宇治上神社


うじがみじんじゃ
宇治市宇治山田
宇治上神社本殿34.892083, 135.811464
国宝・平安後期
桁行五間、梁間三間、一重、流造、檜皮葺、内殿三社、各一間社流造
宇治上神社拝殿34.891964, 135.811334
国宝・鎌倉前期
桁行六間、梁間三間、一重、切妻造、両妻一間通り庇付、向拝一間、檜皮葺
宇治上神社摂社春日神社本殿34.892000, 135.811579
鎌倉後期
一間社流造、檜皮葺

宇治上神社は宇治川東岸の朝日山の山裾に鎮座する式内社です。応神天皇の末の皇子であった菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の離宮跡に創建されたと伝わります。平安時代に平等院が建立されるとその鎮守社となり、その後、近在住民の崇敬を集めて、社殿が維持されてきました。
本殿は、蟇股の意匠及び組物などの細部の特徴から平安時代の後期に造営されたものと考えられており、現存する神社本殿としては最古の建築です。
拝殿は鎌倉時代の初めに建てられたもので、現存する拝殿としては最古です。
本殿: 
・規模の異なる一間社流造の内殿3棟を並立させ、それを流造の覆屋根で覆った特殊な形式
・内殿が、向かって右から左殿、中殿、右殿の順に並ぶ
・本殿の柱間は内殿の幅に左右されるため不揃いで、右殿前が最も広く、次いで左殿前、中央三間はほぼ等間隔で狭い

本殿左側面: 
・疎垂木で前面柱上は簡素な舟肘木
・中央の柱上の組物は右殿の組物が露出するため三斗組
・垂木の間隔は不均一

本殿内殿(写真上段から左殿、中殿、右殿): 
・各殿の背面と左右両殿の側面は本殿と共有している
・中殿は左右両殿よりも一回り小さく、組物も左右両殿が三斗組であるのに対し中殿は簡素な舟肘木で、蟇股も見られない
・向拝柱間に格子と菱欄間を入れ、向拝を開放的にはしない
・刳抜き蟇股などに平安時代後期の特徴が表れている

拝殿: 
・切妻造平入の母屋の左右に庇をつけた形で、屋根はその部分が縋破風(すがるはふ)とする
・蔀戸を吊る寝殿造の住宅風の建築
・中央一間に向拝をつけ、この部分のみ身舎も含めて繁垂木で、他は疎垂木
・縁の下はすべて壁で塞がれている
・身舎両端のみ柱上に舟肘木を置き、他は柱が桁を直接受ける

拝殿の右側面と背面

拝殿正面の蟇股: 
・左右対称の古風な意匠だが、本殿内殿の平安時代の蟇股とは大きく異なる

摂社春日神社本殿: 
・鎌倉時代後期の建築で、一間社流造

春日神社本殿向拝: 
・向拝柱(写真左)は面取りの大きな角柱で、柱上の組物は連三斗
・身舎柱は円柱で柱上は舟肘木
・両者を繋ぐ直線的な繋虹梁

春日神社本殿向拝の蟇股(上段写真)と身舎の蟇股(下段写真)

アクセス
京阪宇治駅から700m、JR奈良線宇治駅から1.3kmです。京阪宇治駅からは、宇治上神社、宇治神社、浮島十三重塔、平等院をめぐる一周3kmほどの回遊ルートを組むことができます。
見学ガイド
日中の開門中は、自由に見学することができます。本殿に瑞垣が設けられていないので、間近に見ることができます。内殿は本殿正面の格子の隙間から見ることができます。内殿の写真撮影について禁止の掲示は見当たらず、コンデジであれば画角の制限はあるものの、格子の隙間から撮影することもできます。

感想メモ
平安時代にまで遡る国宝を含む貴重な文化財をこれほど間近に自由に見ることができるところは、他にはほとんどないと思います。本殿の中の内殿まで、それも国宝の本殿の格子越しにしっかりと見ることができた上に、写真撮影の制限がないのはありがたかったです。
時代が下ると社殿の様式は定型化されていきますが、この時代の社殿は自由な発想で建てられており興味深いです。
(2021年12月訪問)

参考
宇治の建造物(宇治市教育委員会)、京都市公式サイト、日本建築見どころ辞典(中川武)

 

 

明治初期までは宇治上神社と一体の神社

宇治神社本殿


うじじんじゃほんでん
宇治市宇治山田
宇治神社本殿34.891068, 135.810717
鎌倉後期
三間社流造、檜皮葺

宇治神社は宇治上神社の南、平等院の対岸に鎮座します。宇治の産土神(うぶすながみ)として信仰されています。明治初頭以前は宇治上神社と一体の神社で、応神天皇の皇子の菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)の宮居の跡に創建されたものと伝えられていたことから、両社をあわせて宇治離宮明神などと呼ばれていました。
本殿は、鎌倉時代に建立されたものです。
・本殿は三間社流造、桧皮葺

・身舎の蟇股は鎌倉時代の特徴である左右対称に近い形状

・向拝の蟇股は左右非対称であり、後補であると考えられている

アクセス
京阪宇治駅から700m、JR奈良線宇治駅から1.3kmです。京阪宇治駅からは、宇治上神社、宇治神社、浮島十三重塔、平等院をめぐる一周3kmほどの回遊ルートを組むことができます。
見学ガイド
日中の開門中は、自由に見学することができます。本殿は瑞垣越に見学することができます。

感想メモ
宇治神社は、平等院から宇治上神社に向かう途中に位置していて、ちょっと影が薄いかもしれませんが、歴史が深く、優れた鎌倉建築が残されています。改めてこのあたりの歴史の深さと、文化財の質と密度の高さを実感しました。
(2021年12月訪問)

参考
宇治神社公式サイト

 

 

藤原道長の別荘跡

平等院


びょうどういん
宇治市宇治蓮華
平等院鳳凰堂中堂34.889285, 135.807677
国宝・平安中期
中堂、両翼廊、尾廊より成る
桁行三間、梁間二間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺
両翼廊(南)34.889106, 135.807725
国宝・平安中期
桁行折曲り延長八間、梁間一間、隅楼二重三階、宝形造、廊一重二階、切妻造、本瓦葺
両翼廊(北)34.889484, 135.807662
国宝・平安中期
桁行折曲り延長八間、梁間一間、隅楼二重三階、宝形造、廊一重二階、切妻造、本瓦葺
尾廊34.889270, 135.807453
国宝・平安中期
桁行七間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺
平等院観音堂34.890135, 135.807767
鎌倉前期
桁行七間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺

平等院は宇治橋の上流西岸にあります。末法初年に当たるとされた平安後期の1052年に藤原頼通が父道長の別荘を寺院に改めたものです。鳳凰堂はその翌年に阿弥陀堂として建てられたもので、屋根には一対の鳳凰が飾られていることから江戸時代初期に鳳凰堂と呼ばれるようになりました。観音堂は、鎌倉時代前期に創建当時の本堂跡に建てられたものです。
鳳凰堂(写真左)と観音堂(右側池の奥)

鳳凰堂:
・中堂に向かって右が北翼廊で、左が南翼廊、中堂の背後に尾廊が付く
・平面が鳳凰を象っている

鳳凰堂中堂:
・裳階付き入母屋造で、裳階中央部の屋根を切り上げ、池の対岸から本尊の姿が見えるようにしている

鳳凰堂中堂北側の鳳凰(背面より)

・鳳凰堂中堂上層は地円飛角の二軒の格式の高い垂木で、木口は金で装飾されている

南翼廊(写真上段から、正面、左側面(南面)、南面及び背面)

・南翼廊の上層(上段写真)と中層(下段写真)は、ともに二軒で、地垂木も矩形断面

北翼廊

北翼廊と中堂(写真左端)との接続部:
・翼廊は構造的に中堂から完全に独立している

北翼廊内部(正面突出部)

尾廊

観音堂正面及び左側面(上段写真)と左側面及び背面(下段写真):
・簡素な造りの建造物だが、天平以来の高い格式に倣っている

・観音堂の組物は簡素な大斗肘木で、中備は間斗束

・観音堂の垂木は格式の高い地円飛角の二軒

アクセス
京阪宇治駅から800m、JR奈良線宇治駅から1kmです。
見学ガイド
平等院は有料で公開されています。開門時間は8:30から17:30です。鳳凰堂内部(中堂及び北翼廊)も別料金で公開しています。ただし、堂内の撮影は禁止です。翼廊から中堂の外観を撮ろうとしても係員に制止されます。翼廊の撮影は認められています。鳳凰堂は東面しています。やや北寄りなので昼前には日陰になります。観音堂も東面していますが、周辺に立ち入りができるのは南北の両側面のみです。
令和6年5月から令和8年まで、観音堂は保存修理のため拝観できなくなります。

感想メモ
昼前に着いたので、まだ鳳凰堂の正面に日が射しているかと思いましたが、ちょうど陰りだしたところでした。それでも鳳凰堂は美しく、平等院には何度か来ていますが、何度見ても心が洗われます。
(2021年12月訪問)

参考
平等院公式サイト、宇治の建造物(宇治市教育委員会)

 

 

わが国最大の石塔

浮島十三重塔


うきしまじゅうさんじゅうのとう
宇治市宇治塔川
浮島十三重塔34.888331, 135.810286
鎌倉後期
石造十三重塔

浮島十三重塔は、宇治橋上流の人工島、塔の島にあるわが国最大の石塔で、1286年に西大寺の僧叡尊により建立されました。叡尊が朝廷の命を受けて宇治橋の修復を行った際、網代や漁具を埋め、その上にこの石塔を建立し、魚霊の供養と宇治橋の安全を祈願したものです。
十三重塔は、宇治川の氾濫の被害をたびたび受けて、倒伏と修復・再興を繰り返し、宝暦6年(1756)の大氾濫の後は、川底の泥砂に深く埋もれてしまい、1908年(明治41年)まで、再興されることはありませんでした。明治の再興の際には九重目の笠石と相輪が発見されなかったため(後に発見)、それらについては新たに制作されました。
・花崗岩製高さ15mの石造十三重塔
・相輪と九層目の笠は明治時代の後補

・初層には垂木が薄く掘り出されている

・初層軸部の四面には金剛界四仏の種子が力強く薬研彫りされている

アクセス
京阪宇治駅から900m、JR奈良線宇治駅から1.1kmです。平等院の東南、宇治川の中洲に建てられています。
見学ガイド
十三重塔は常時自由に見学することができます。

感想メモ
やはり、その大きさに圧倒されました。普通にイメージする石塔とは規模が全く違います。鎌倉時代の古塔で、何度も流されるなどしたものですが、きれいに修復されていて、それほど古さを感じさせない塔でした。長い間、川底に埋もれていたとのことですが、風雨にさらされるより、土の中の方が環境が良いということでしょうか。
(2021年12月訪問)

参考
京都山城地域振興社公式サイト、現地解説板

 

 

三室戸寺の旧鎮守

十八神社本殿


いそはじんじゃほんでん
宇治市莵道滋賀谷
十八神社本殿34.900732, 135.819092
室町後期
三間社流造、こけら葺

十八神社は宇治川支流の志津川の渓流沿いにある三室戸寺の境内に鎮座します。もとは三室戸寺の鎮守でしたが、明治以降独立した神社となりました。本殿は室町後期の建築です。
・本殿は三間社流造、杮葺き
・内陣、外陣に分かれ、外陣は開け放たれている

・両端の向拝柱は身舎と直線的な繋虹梁で連結され、中央二本の向拝柱は手鋏で飾る

アクセス
京阪宇治線三室戸駅から東に1.3kmです。十八神社本殿は三室戸寺の境内、本堂の左後方の一段高くなった場所にあります。宇治上神社付近からは、遊歩道(かげろうの道)を利用することができます。三室戸寺までの距離は1.5kmです。
見学ガイド
三室戸寺は有料で公開されています。開門時間は8時30分~16時30分(11月~3月末までは16時まで)です。十八神社本殿の周囲には瑞垣が設けられていないので、間近から見学することができます。

感想メモ
ネットでは鄙びたいい感じの社殿の写真が出てきましたが、実際に行ってみると、保存工事から日が浅いようで、一見新築のような塗装でした。あと、二十年くらいしないと古色は出ないのかもしれません。三室戸寺の有料区域内なので、ここだけではやや割高感があります。行くならアジサイか紅葉の季節が良いのかと思います。
重文の社殿を至近距離から細部にわたるまで見ることができたのは良かったです。塗装は新しくても直線的な虹梁など、古式の残る建築です。
(2021年12月訪問)

参考
宇治の建造物(宇治市教育委員会)

 

 

黄檗から移された式内社

許波多神社本殿


こはたじんじゃほんでん
宇治市五ケ庄古川
許波多神社本殿34.917069, 135.793986
室町後期
三間社流造、檜皮葺

許波多神社は式内社で、柳明神とも呼ばれ萬福寺南側に鎮座していましたが、明治初期に旧陸軍の火薬製造所の建設に伴い、宇治川右岸の現在地(もとは御旅所)に遷座されました。
・拝所の背後が三間社流造の本殿
・箱棟の鬼板は柳を図案化した珍しいものとのことだが、よく見ることはできない

アクセス
JR奈良線・京阪宇治線黄檗駅下車、西1kmです。
見学ガイド
許波多神社には常時自由に参拝することができますが、本殿は背の高い瑞垣に囲われており、植栽も多いので、屋根の一部しか見ることができません。

感想メモ
宇治の社寺は貴重な建物を間近に見ることができるところが多くてありがたいのですが、許波多神社はハードルが高く本殿をほとんど見ることができませんでした。近世に移築されたとのことで、そういったものは大らかさに欠けるものが多いように思います。
(2021年12月訪問)

参考
宇治の建造物(宇治市教育委員会)

 

 

隠元が開創した黄檗宗大本山

萬福寺


まんぷくじ
萬福寺大雄宝殿34.913847, 135.807638
江戸中期
桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺、正面月台附属
法堂34.913870, 135.808076
江戸中期
桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、桟瓦葺
天王殿34.913799, 135.806938
江戸中期
桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺
斎堂34.913410, 135.807483
江戸中期
桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、本瓦葺
禅堂34.914263, 135.807411
江戸中期
桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、本瓦葺、背面庇附属、桟瓦葺
伽藍堂34.913439, 135.807266
江戸中期
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺
祖師堂34.914214, 135.807175
江戸中期
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺
鐘楼34.913427, 135.807113
江戸中期
桁行一間、梁間一間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺
鼓楼34.914198, 135.807008
江戸中期
桁行一間、梁間一間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺
三門34.913757, 135.805980
江戸中期
三間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、両山廊付
山廊 各桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺
総門34.913978, 135.805202
江戸中期
桁行三間、梁間二間、一重、切妻造段違、本瓦葺
東方丈34.913620, 135.808114
江戸中期
桁行21.0m、梁間14.9m、一重、入母屋造、こけら葺、式台、中門、廊附属、桟瓦葺
西方丈34.914115, 135.808076
江戸中期
桁行17.8m、梁間11.9m、一重、切妻造、東面、北面、西面庇附属、こけら葺、廊附属、桟瓦葺
祠堂34.914150, 135.807830
江戸中期
桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、本瓦葺、背面庇附属、桟瓦葺
大庫裏34.913194, 135.807499
江戸後期
桁行23.8m、梁間14.0m、切妻造、本瓦葺、南面庇附属、桟瓦葺
威徳殿34.913902, 135.808590
江戸中期
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、
背面突出部 桁行一間、梁間二間、寄棟造、本瓦葺
萬福寺松隠堂開山堂34.914481, 135.806292
江戸中期
桁行三間、梁間一間、一重もこし付、入母屋造、背面後室附属、向唐破風造、本瓦葺
通玄門34.914108, 135.806309
江戸中期
四脚門、切妻造、本瓦葺
寿蔵34.914717, 135.806618
江戸中期
六角円堂、一重、本瓦葺
舎利殿34.914886, 135.806263
江戸中期
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、本瓦葺
客殿34.914325, 135.806036
江戸中期
桁行20.0m、梁間13.0m、一重、入母屋造、
西面北突出部 桁行9.9m、梁間5.8m、
南面玄関 桁行8.0m、梁間4.0m、一重、南面入母屋造、
玄関東面突出部 桁行4.0m、梁間3.3m、一重、唐破風造、南面腰掛附属、
北面開山堂間廊下 桁行8.8m、梁間2.8m、一重、切妻造、桟瓦葺
庫裏34.914259, 135.805844
江戸中期
桁行11.9m、梁間10.0m、一重、切妻造、南面突出部 桁行4.0m、梁間1.9m、客殿間取合 桁行5.9m、梁間5.9m、一重、両下造、桟瓦葺
侍真寮34.914545, 135.806031
江戸中期
桁行9.8m、梁間8.5m、一重、入母屋造、客殿間渡廊下附属、桟瓦葺

萬福寺は宇治川東岸の山裾に位置する黄檗宗の大本山で、中国僧隠元によって開創されたものです。伽藍の造営は寛文元年(1661)からはじめられ、延宝七年(1679)までに一応の完成をみました。伽藍の配置や堂舎の建築様式は、中国の明代末期から清代初期の仏教建築の影響を受けたもので、近世建築史上価値が高いものとされています。
大雄宝殿(だいおうほうでん): 
・萬福寺の本堂で、中国中南部の様式を倣いチーク材を用いたもの

・大雄宝殿の扁額は隠元禅師の筆によるもの

・大雄宝殿正面の吹放ちは黄檗建築の特徴
・右の丸窓も黄檗建築に特徴的に見られるもの(臨済宗や曹洞宗は花頭窓が多い)

・大雄宝殿正面吹放ち部の天井は、かまぼこ型の黄檗天井で、蛇腹は龍を象徴している

・大雄宝殿の大棟上には二重の火焔付き宝珠を飾る

大雄宝殿の妻の装飾

・大雄宝殿上層の組物は三手先の尾垂木付詰組で、軒は二軒の扇型繁垂木

・大雄宝殿の床は四半瓦敷きで、柱は石造の礎盤上に建つ
・内陣後方に来迎柱を立て、石製の須弥壇を置く

法堂(はっとう): 
・禅寺における主要伽藍のひとつで説法を行う場所
・内部には須弥壇のみを置く
・一般に法堂は重層であることが多いが、萬福寺では単層入母屋造

・法堂正面吹放ち部も、大雄宝殿と同様に黄檗天井

・法堂の正面には卍くずしの高欄が付く
・卍くずしは法隆寺など上代の建築にもみられるが、黄檗宗の伝来とともに改めて我が国に伝えられた

天王殿: 
・萬福寺の玄関としての役割を果たす
・一般的には廻廊は三門を起点とすることが多いが、萬福寺は天王殿を起点として法堂までの堂宇を結ぶ
・高欄は日本では珍しい中国式のX字の意匠

・天王殿も正面一間は吹放ちだが、天井は黄檗天井ではなく鏡天井

・天王殿中央には弥勒菩薩の化身とされる中国の高僧布袋を祀る

斎堂: 
・僧侶の食堂で、斎堂前には巨大な開梆(かいばん)が吊るされている(下段写真)
・開梆は時刻を知らせるために用いられ、魚がくわえる玉は煩悩を表している

禅堂: 
・座禅のための建物
・座禅と食事は、ともに重要な修行であり、禅堂と斎堂は向かい合う位置に同形式で建てられている

伽藍堂: 
・伽藍を守護する伽藍神を祀るもの

祖師堂: 
・達磨大師像と歴代住職の位牌を祀るもので、伽藍堂と向かい合う位置に同形式で建てられている

鐘楼(上段写真)と鼓楼(下段写真): 
・これらも向かい合う位置に建てられており、儀式の際には鐘と太鼓が交互に打ち鳴らされる

三門: 
・三間の大型の二重門で、両側に山廊が付き、大棟上には火焔付き宝珠が乗る(下段写真)

・三門上層は三手先、下層は二手先で、ともに詰組
・上層は二軒の扇型繁垂木、下層も二軒で平行繁垂木

総門: 
・中央の屋根を高くし、左右を一段低くした中国式の門で、漢門とも呼ばれる
・屋根には結界を守るマカラ(摩伽羅、ガンジス河の女神の乗り物でワニの化身)が載せられている

東方丈(上段及び中段写真)と西方丈(下段写真): 
・法堂の南側が東方丈で、北側が西方丈
・西方丈は寛文元年(1661)に萬福寺の伽藍の中では最も早く建立された
・萬福寺の建築の多くは大陸風だが、方丈は畳敷きの日本風の建築
・方丈の奥に歴代徳川将軍を祀る威徳殿があるが非公開

祠堂: 
・延宝2年(1674)建築の位牌堂

大庫裏: 
・台所で斎堂の背後に建てられている

松隠堂開山堂: 
・松隠堂は隠元禅師が寛文四年(1664)に萬福寺の住職を退いたのち居住したところで、隠元歿後は開山塔院として各塔頭の住職が輪番で守ってきた
・開山堂は、隠元禅師を祀るもので、卍の高欄が見られる

・松隠堂開山堂正面の吹放ちも、天井は黄檗天井

・松隠堂開山堂大棟には宝珠が載る

松隠堂通玄門

松隠堂寿蔵:
・隠元禅師の墓所で寿塔とも呼ばれる

松隠堂客殿

松隠堂庫裏

松隠堂侍真寮

アクセス
JR奈良線・京阪宇治線黄檗駅下車、東300mです。
見学ガイド
萬福寺は有料で公開されています。拝観時間は9:00~17:00です。大雄宝殿と天王殿は内部も見ることができます。東西方丈、松隠堂庫裏・侍真寮は非公開ですが、塀越しに建物の一部を見ることができます。威徳殿は立入禁止区域内にあり、見ることができません。主要な仏堂は西面しています。

感想メモ
小さいころ親に連れてきてもらって、何か異次元の世界のように感じたことが思い出されます。今では異次元とは感じませんが、他の仏教寺院とは多くの点で異なるので、訪問するたびに発見があって興味深いです。
多くの参拝者が境内を後にした夕方の遅い時間まで拝観を続けていると、お坊さんが普段非公開の開山堂の内部に招き入れて下さり、隠元禅師の像を間近から拝観することができました。
(2021年12月訪問)

参考
萬福寺公式サイト、国指定文化財等DB、現地解説板、宇治の建造物(宇治市教育委員会)