このブログについて:
茨城県で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。
水戸市 | |
佛性寺本堂 | |
薬王院本堂 | |
中崎家住宅 | |
八幡宮本殿 | |
旧弘道館 | 正庁、至善堂、正門 |
土浦市 | |
旧茨城県立土浦中学校本館 | |
古河市 | |
旧飛田家住宅 | |
石岡市 | |
善光寺楼門 | |
龍ケ崎市 | |
来迎院多宝塔 | |
下妻市 | |
大宝八幡神社本殿 | |
常総市 | |
坂野家住宅 | 主屋、書院、文庫蔵、表門 |
常陸太田市 | |
旧茨城県立太田中学校講堂 | |
佐竹寺本堂 | |
高萩市 | |
石岡第一発電所施設 | 本館発電機室、本館旧変圧器室、本館変電室、調圧水槽、水槽余水路、第一号水路橋、第二号水路橋、沈砂池、取水堰堤 |
笠間市 | |
塙家住宅 | 主屋、土間 |
笠間稲荷神社本殿 | |
楞厳寺山門 | |
取手市 | |
竜禅寺三仏堂 | |
牛久市 | |
シャトーカミヤ旧醸造場施設 | 事務室、貯蔵庫、醗酵室 |
つくば市 | |
大塚家住宅 | |
旧矢中家住宅 | 本館、別館 |
鹿嶋市 | |
鹿島神宮 | 本殿、石の間、幣殿、拝殿 |
鹿島神宮仮殿 | |
鹿島神宮摂社奥宮本殿 | |
鹿島神宮楼門 | |
筑西市 | |
内外大神宮 | 内宮本殿、外宮本殿、御遷殿 |
稲敷市 | |
平井家住宅 | |
横利根閘門 | |
かすみがうら市 | |
椎名家住宅 | |
桜川市 | |
小山寺三重塔 | |
神栖市 | |
山本家住宅 | |
行方市 | |
西蓮寺仁王門 | |
西蓮寺相輪橖 |
水戸藩が計画した総合大学
きゅうこうどうかん
旧弘道館
きゅうこうどうかん
水戸市三の丸1丁目
旧弘道館 | 正庁 | 36.375330, 140.477362 江戸末期 二十四畳(床、棚、附書院付)十五畳、十二畳、二十四畳(床付)、十畳、十二畳(押入付)、六畳、玄関、入側、廊下より成る、一重、南面、北面及び玄関入母屋造、西面寄棟造、桟瓦葺 |
至善堂 | 36.375554, 140.477244 江戸末期 十二畳半(床、棚付)、十畳、十七畳半、十二畳半、十畳、畳廊下、入側、縁より成る、西面及び北面寄棟造、桟瓦葺 | |
正門 | 36.375162, 140.477649 江戸末期 四脚門、切妻造、本瓦葺 |
弘道館は水戸藩第9代藩主徳川斉昭が、藩政改革の眼目として創立した藩校です。総合大学として立案され、水戸城三の丸に正庁をはじめ、文館・武館・医学館・寄宿寮等の外、調練場・矢場・砲術場等が設けられました。天保12年(1841)に仮開館、安政4年(1857)に本館開式を挙げ、明治5年(1872)の閉館まで教育活動が行われました。明治戊辰の兵火と太平洋戦争で建物の焼失が多く、現在は四脚の正門と土塀の中に正庁・至善堂などが残っています。
正庁正面 |
正庁左側面 |
至善堂 |
正門外面 |
正門内面 |
アクセス JR常磐線水戸駅下車、北600mです。 |
見学ガイド 旧弘道館は有料で公開されています。建物内部も見学することができます。公開時間は9:00~17:00で、冬季は閉館が30分早まります。 |
感想メモ 水戸のランドマークになっている正門ですが、控柱には明治時代の弾痕が残り、時代の荒波を感じさせます。 (2021年2月訪問、12月再訪) |
参考 茨城県教育委員会HP |
明治のゴシック風建築
いばらきけんりつつちうらちゅうがっこうほんかん
旧茨城県立土浦中学校本館
いばらきけんりつつちうらちゅうがっこうほんかん
土浦市真鍋4丁目
旧茨城県立土浦中学校本館 | 36.097417, 140.202659 明治 木造、建築面積987.9m2、一階建、スレート葺 |
明治30年、茨城県尋常中学校土浦分校が設置されました。その後、土浦中学校として独立し、明治37年に現在残る旧本館が建設されました。旧本館は、ゴシック風建築で、尖塔、玄関の三連アーチ、桜色と濃茶の配色、高い天井と手すきガラスの大窓、重厚な扉、随所に配された優美なアカンサス意匠などが特徴的です。
公道から見た建物正面の一部(上段)と側面(下段) |
アクセス JR常磐線土浦駅からバスで土浦一高前下車すぐです。 |
見学ガイド 旧本館は県立土浦第一高校の構内にあり、通常は非公開です。一般公開されることもあるようです。 |
感想メモ 旧本館の側面の一部は公道から見ることもできますが、正面のアーチ等、この建物の特徴的な部分については、植栽が多く、周辺道路と高低差もあるため、公道から見ることはできませんでした。 (2020年9月訪問) |
参考 県立土浦第一高校公式サイト |
曲屋の特徴を持つ住宅
とびたけじゅうたく
旧飛田家住宅
とびたけじゅうたく
古河市鴻巣
旧飛田家住宅 | 36.176373, 139.701580 江戸中期 桁行16.9m、梁間6.6m、南面突出部 桁行4.7m、梁間5.6m、寄棟造、北面土庇附属、茅葺 |
飛田家住宅は、現在の常陸太田市に建てられていましたが、昭和50年(1975)に現在地へ移築されました。建築年代は18世紀前半と推定され、北関東から東北地方によく見られる曲屋の特徴を持つ住宅です。茨城県下の曲屋形式としては最も古いとされています。
・L字形の左が厩で、右が居室部 |
居室部内部: ・手前が板の間、奥、左から、部屋、座敷、前室 |
アクセス JR東北本線古河駅から徒歩30分です。旧飛田家住宅は公万公園内にあります。駅南側ガード下の駐輪場(駐車場よりもさらに南)で、レンタサイクルを貸し出しています。自転車を利用すれば、駅からは逆方向ですが、栃木県の旧下野煉化製造会社煉瓦窯にも行くこともできます。 |
見学ガイド 公園は常時開園していますが、旧飛田家住宅周辺には公開時間(月火を除く9:00~17:00)以外は立ち入ることができません。公開時間中は内部も見学することができます。 |
感想メモ 曲屋というと東北地方のイメージが強いですが、関東にも残っているのは意外な感じがしました。 (2020年10月訪問) |
参考 茨城県教育委員会HP |
未完成の楼門
ぜんこうじろうもん
善光寺楼門
ぜんこうじろうもん
石岡市太田
善光寺楼門 | 36.304695, 140.198704 室町後期 三間一戸楼門(軒以上を欠く)、寄棟造、茅葺 |
善光寺は室町時代の文亀元年(1501)に小田城(つくば市)の城主・小田成治の母が建立したとされており、元禄14年(1701)に現在地に移されました。楼門は室町時代に旧所在地に建てられたものと考えられています。
・室町後期の建築細部様式を持ち、地方的特色を表わした建造物で、行方市の西蓮寺仁王門に類似 ・ニ階部分を造りながらも、何らかの原因により完成を断念したものと考えられている |
中央間の開口部 |
・側柱は上部粽付とし、台輪をまわし肘木の組物を乗せ、上層の縁となるよう張られた切目板を支える ・この上に未完成の上層の円柱が並ぶが、屋根で覆われているため見ることができない |
アクセス JR常磐線羽鳥駅からバスで恋瀬小学校前下車、北に1.2kmです。 |
見学ガイド 楼門は常時自由に見学することができます。 |
感想メモ 未完成の門ですが、違和感はそれほどありませんでした。 (2021年11月訪問) |
参考 現地解説板、石岡市公式サイト |
禅宗様の特徴が見られる多宝塔
らいごういんたほうとう
来迎院多宝塔
らいごういんたほうとう
龍ケ崎市馴馬町
来迎院多宝塔 | 35.917650, 140.171552 室町後期 三間多宝塔、こけら葺 |
来迎院は,弘治2年(1556)頃に境内が整えられた天台宗寺院で、多宝塔も同時期に建立されたものです。
・こけら葺きの三間多宝塔 ・下層は各面中央間に桟唐戸を配し、両脇間は一枚の欅材の板壁 ・上層は各柱間に幣軸が立つ |
・上・下層とも禅宗様の組物で下層は出組、上層は四手先 ・当地で活躍していた前嶋大工の手になり、同大工による薬王院本堂(水戸市)などと共通する意匠をもつ |
アクセス 関東鉄道竜ヶ崎駅から徒歩20分です。竜ヶ崎駅のレンタサイクルも利用することができます。 |
見学ガイド 多宝塔は墓地の中にあります。いつでも自由に見ることができます。 |
感想メモ 墓地の中に取り残されたような感じでした。 (2020年9月訪問) |
参考 文化遺産オンライン、現地解説板 |
桃山建築としては落ち着いた意匠
たいほうはちまんじんじゃほんでん
大宝八幡神社本殿
たいほうはちまんじんじゃほんでん
下妻市大宝
大宝八幡神社本殿 | 36.204838, 139.971405 桃山 三間社流造、茅葺形銅板葺 |
大宝八幡神社は、大宝元年(701)、藤原時忠公が筑紫の宇佐神宮を勧請創建したのがはじまりとされています。天台宗の古い経文の奥書の記録から、平安末期にはすでにこの地で八幡信仰が盛行していたことが窺えます。本殿は、天正5年(1577)に下妻城主多賀谷下総守尊経が建立したものです。
本殿: ・三間社流造で、建ち上がりが高く、柱も太くい重みのある建築 |
本殿左側面: ・木割の大きさに比べて組物は小柄で複雑に組合わされ、また、派手な装飾は見られず落着いた意匠 |
アクセス 関東鉄道常総線大宝駅下種。駅のすぐ東側です。 |
見学ガイド 本殿は瑞垣越しにいつでも自由に見ることができます。 |
感想メモ 桃山時代の建築としては、非常に落ち着いた意匠でした (2020年9月訪問) |
参考 茨城県教育委員会HP、大宝八幡公式サイト |
周囲に堀を巡らせた名主の屋敷
さかのけじゅうたく
坂野家住宅
さかのけじゅうたく
常総市大生郷町
坂野家住宅 | 主屋 | 36.066522, 139.955432 江戸中期・後期 居室部 桁行18.3m、梁間14.2m、東面突出部 桁行7.3m、梁間8.4m、寄棟造、西面濡縁付 座敷部 桁行10.7m、梁間6.5m、南端寄棟造、北端主屋に接続、玄関入母屋造、便所附属 総茅葺 |
書院 | 36.066485, 139.955249 大正 建築面積115.95平方メートル、寄棟造、二階建、桟瓦葺、東渡廊下二所附属 | |
文庫蔵 | 36.066625, 139.955206 土蔵造、建築面積35.28平方メートル、桟瓦葺、南渡廊下附属 | |
表門 | 36.066224, 139.955870 江戸後期 薬医門、切妻造、茅葺 |
坂野家は、この地に土着してから五百年ほどになると言われ、有力な名主でした。その屋敷地は、1ヘクタールにおよぶ広大な台地に位置し、周囲に塀を巡らしています。主屋は、18世紀初め頃に建てられたと考えられる居室部と、増築された座敷部からなります。
居室部東南面 |
居室部内部: ・木割の大きい柱・梁で構成されている |
写真上から、座敷部の式台付の玄関(東北面)、東南面、南西面 |
書院: ・離れとして造られた建物で、現存する書院は棟札にある大正9(1920)年に建替えられたもの ・伝統的な技法によるが、ガラス建具やテント生地の巻上げ日除けといった新しい技術も取り入れられている |
表門の外側(上段)と内側(下段): ・本来は武家屋敷に設けられる薬医門形式であり、当時の坂野家の格式の高さが窺える |
アクセス 最寄駅は関東鉄道常総線三妻駅ですが、坂野家までの公共交通機関がなく、距離が4.6kmあります。これに代わるルートとしては水海道駅下車でレンタサイクルを利用するものがあります。距離は約8kmで多少のアップダウン、自転車は変速なしと、やや厳しい条件ですが、何とかなる範囲かと思います。 |
見学ガイド 坂野家住宅は水海道風土博物館として有料で公開されています。主屋の内部も見ることができます。主屋正面は南東・北東方向に開いているので、午前中の方が光の具合は良いと思います。 |
感想メモ 公共交通でのアクセスは大変でしたが、静かな環境のなかの立派なお屋敷で、ゆっくり過ごすことができました。 (2020年9月訪問) |
参考 常総市HP |
分棟型の民家
はなわけじゅうたく
塙家住宅
はなわけじゅうたく
笠間市安居
塙家住宅 | 主屋 | 36.291215, 140.335030 江戸後期 桁行13.5m、梁間9.3m、寄棟造、茅葺 |
土間 | 36.291283, 140.335113 江戸後期 桁行13.2m、梁間6.7m、寄棟造、妻入、茅葺 |
塙家は、武家出身で主君が転封になった時に当地に帰農したと伝えられる旧家です。
塙家住宅は、分棟型で、座敷・居間・寝室などから成る床を張った主屋と、炊事や農作業用の広い土間の一部に馬屋を設けた釜屋(土間)の二つの建物が棟を別にし、互いに軒を接して建てられています。
左側の寄棟が主屋で、右側のかぶと造妻入りが土間 |
主屋 |
土間 |
主屋と土間の接合部: ・排水のため大きな雨どいが設けられている |
室内に伸びる雨どい: ・主屋と土間の境目に設けられている |
手前が土間で、奥の床張りが主屋: ・室内は二棟で一体的な空間を構成している |
アクセス 本数が非常に少ないですが、平日はJR常磐線岩間駅からバス便があります。このほか、石岡駅の電動アシストレンタサイクルも利用することができます。塙家住宅まで14kmと、少し距離があり、小美玉市に入ると小さな丘をいくつか越えるのでアップダウンが多くなります。電池の残量が少し心細くなるので省エネ運転をおすすめします。 |
見学ガイド 塙家住宅は、現住の民家の敷地内にあります。常識的な時間帯であれば、建物内部も見ることができます。 |
感想メモ 見ごたえのある分棟型の住宅でした。敷地入口には公開について何も表示されていないので、敷地内に入るのを躊躇しましたが、土間の扉が開放されており、入口に料金箱が置かれていたので、公開されていることを確信しました。自転車でのアクセスは大変でした。 (2021年11月訪問) |
参考 現地解説板 |
三方に裳階が付く珍しい様式の仏堂
りゅうぜんじさんぶつどう
竜禅寺三仏堂
りゅうぜんじさんぶつどう
取手市米ノ井
竜禅寺三仏堂 | 35.922541, 140.023479 室町後期 桁行三間、梁間四間、一重、両側面及び背面もこし付、寄棟造、茅葺、もこし板葺 |
竜禅寺は、天慶2年(939年)の創建とも伝わる天台宗の古刹です。釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒菩薩の三仏を祀る三仏堂は、永禄12年(1569)の墨書から、このころに建立されたものと考えられています。
・茅葺き、寄棟造り、桁行三間、梁間三間で左右と背面に裳階が付く ・三方に裳階が付く形式の建物は、他に例を見ない |
左側が本堂背面 |
・正面のみ詰組になっている |
・内部は板張りで、禅宗様の須弥壇が置かれる |
アクセス 関東鉄道常総線稲戸井駅下車、徒歩10分です。駅から線路をわたり、国道を稲戸井霊園入口の看板で曲がって進むと竜禅寺の案内表示があります。 |
見学ガイド 三仏堂はいつでも自由に見ることができます。三仏堂は東面しているので、午前中の訪問がおすすめです。 |
感想メモ 屋根にむくりがあって、温かみのある曲線を描いています。正面の扉が開け放たれていたので、内部も見ることができました。何かの行事の準備をされていたのかもしれません。 (2020年9月訪問) |
参考 取手市HP |
太田道灌の系譜をひく旧家
おおつかけじゅうたく
大塚家住宅
おおつかけじゅうたく
つくば市栗原
大塚家住宅 | 36.130980, 140.120680 江戸中期 桁行18.5m、梁間11.6m、西面突出部 桁行4.8m、梁間5.7m、寄棟造、茅葺、東面庇付、桟瓦葺 |
大塚家は、太田道灌の系譜をひく旧家で、代々名主を務めていました。現在の建物は正徳から享保にかけて(18世紀前期)建てられたものと伝えられています。
・県内における整形四間取の民家の初期の例で、規模も大きく質的にもすぐれている |
アクセス JR常磐線土浦駅から筑波山口行きのバスで南大杉下車、徒歩20分です。土浦駅はレンタサイクルが充実しているので、これを利用することができます。ただし電動アシストのレンタル料金は他地域よりかなり高くバスよりも高額になることもあります。土浦駅から旧筑波鉄道跡の快適な自転車道を経由して約12kmです。 |
見学ガイド 大場家住宅は個人所有で、現に居住されています。通常は非公開です。 |
感想メモ 庭で作業をされていた職人さんが入ったらいいよということだったので長屋門の内側から外観を見せていただきました。家の方にお願いしたら内部も見せていただけるとのことでした。 (2020年9月訪問) |
参考 茨城県教育委員会HP |
東国遠征の拠点
かしまじんぐう
鹿島神宮
かしまじんぐう
鹿嶋市宮中
鹿島神宮 | 本殿 | 35.968784, 140.631544 江戸前期 三間社流造、向拝一間、檜皮葺 |
石の間 | 35.968833, 140.631517 江戸前期 桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、前面幣殿に接続、檜皮葺 | |
幣殿 | 35.968853, 140.631511 江戸前期 桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、前面拝殿に接続、檜皮葺 | |
拝殿 | 35.968943, 140.631465 江戸前期 桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺 | |
鹿島神宮仮殿 | 35.969289, 140.631450 江戸前期 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺 | |
鹿島神宮摂社奥宮本殿 | 35.970125, 140.635283 桃山 三間社流造、向拝一間、檜皮葺 | |
鹿島神宮楼門 | 35.968872, 140.630880 江戸前期 三間一戸楼門、入母屋造、銅板葺 |
鹿島神宮は、古くは東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、奈良、平安の頃には国の守護神として信仰されるようになり、奉幣使が頻繁に派遣されました。中世以降は、源頼朝、徳川家康など武将の尊崇を集め、武神として仰がれるようになりました。
・左端が拝殿、その右の突出部が幣殿、一段低い屋根が石の間、右端が本殿 ・拝殿の後方に幣殿を凸字形に建て、その後方に石敷きの渡廊である石の間を隔てて本殿に接続する複合社殿 ・元和5年(1619)、幕府の大棟梁鈴木長次の奉行になるもの |
・本殿は極彩色の三間社流造 |
本殿(写真の右が向拝、左が身舎柱上の装飾): ・組物を出組とし、中備えに蟇股を置き、軒は二軒 |
本殿右側面の妻飾り |
拝殿: ・本殿とは異なり白木のままの社殿で、桁行5間、梁間3間 |
拝殿柱上の出組と中備の蟇股 |
仮殿: ・元和5年(1619)、現本殿の造替時に神霊を仮安置するために設けられた建物で、本殿と同じく幕府大棟梁鈴木長次の作事になるもの ・土台建で四方に縁をめぐらし、屋根は入母屋造 ・仮の社殿であるため、装飾は扉・蟇股・破風にのみに漆彩色を施してほかは白木とし、繰形などの彫刻に細部を省略している |
仮殿身舎の軒廻り:: ・出三斗、中備は蟇股を飾り、軒は二軒繁垂木 |
仮殿向拝: ・彩色は本社拝殿と類似。 |
奥宮本殿: ・慶長10年(1605)、徳川家康によって造営された神宮の旧本殿で、元和5年(1619)、社殿造替に際して現在地に移され、奧宮本殿としたもの ・三間社流造で、庇の床を高く張り、前庇の前に1間の向拝を付しているが、これは後に修理の際現本殿の形式に倣って改造したものと考えられている ・縁を四方にめぐらし、扉口も正面中央間に設けるのみであることなど神社本殿の古い形式を伝える ・全体に木割りが大きく、白木造りで意匠も簡潔だが、蟇股や木鼻の彫刻などには桃山時代の特徴が窺える |
楼門(上段写真が前面、下段写真が背面): ・三間一戸で、寛永11年(1634)、水戸初代藩主徳川頼房の造営によるもの ・総朱漆塗りとし、わずかに欄間などに彩色を飾る控え目な意匠 |
楼門背面の組物: ・上層の組物は尾垂木をもつ和様三手先で、二軒繁垂木 |
・楼門の扁額は東郷平八郎の直筆 |
アクセス JR鹿島線鹿島神宮駅から東に1kmです。 |
見学ガイド 各社殿は常時自由に見学することができます。本殿等は北北西に面しており、日中は逆光になります。2026年までの間、幣殿・拝殿、楼門の改修工事が順次実施されています。 |
感想メモ ながらく工事中ですが、完成が楽しみです。 (2003年7月訪問、2021年7月再訪) |
参考 茨城県教育委員会公式サイト、鹿島神宮公式サイト |
古い時代の様式を残す民家
ひらいけじゅうたく
平井家住宅
ひらいけじゅうたく
稲敷市柴崎
平井家住宅 | 35.902518, 140.300569 江戸中期 桁行20.2m、梁間10.7m、寄棟造、西面北端便所附属、茅葺 |
平井家の当初の建物は、江戸時代前期の建築で、有力者の屋敷あるいは新田開発に かかる施設であった可能性があり、江戸中期にその役割を変え、土間部を付設した民家の形式に変更されたとも考えられています。
・間口10間、奥行5間半の直家で、南正面と西側面各半間通りは後世拡張したもの ・柱頭に桁行の繋ぎ材を持たず、上屋柱が途中で省略されず一間ごとに建てられているなど古い時代の様式を示す |
アクセス JR常磐線龍ケ崎市駅、関東鉄道竜ヶ崎駅から江戸崎行きのバスで新利根小学校前下車、徒歩10分です。バスの本数が少ないですが、駅からの距離が12kmあり、片道を歩くのは無理そうです。バス以外の選択肢としては竜ヶ崎駅のレンタサイクルがあります。 |
見学ガイド 現地の案内板によれば、公開は火、水、木だけです。公開日以外は入口のアコーディオンフェンスが閉ざされていて敷地内に入ることはできませんが、フェンスの背が低く、植栽も少ないので、主屋は外からでもよく見ることができます。入口以外はやや背の高いブロック塀なので塀越しに見ることは難しく、視角は入口部分からに限られます。公開日であっても訪問するときは事前連絡が必要であるようです。 |
感想メモ レンタサイクルを利用しましたが、この距離は街乗り用の変速のない自転車では、ちょっときつかったです(無償でサービスを提供されている関東鉄道さんも、この距離の利用は想定されていないと思います)。もし、自転車を利用するなら、交通量の少ない農道ルートを事前に調べておくことをお勧めします。googleが案内するルートは交通量が多くて危険です。 (2020年9月訪問) |
参考 現地解説板、茨城県教育委員会HP |
利根川改修工事で建設
よことねこうもん
横利根閘門
よことねこうもん
稲敷市西代
横利根閘門 | 35.912050, 140.494128 大正 閘室(両岸防舷材を含む)一所 閘頭部(門扉四枚、ラック棒四本、給排水扉二枚、給排水扉開閉装置一基を含む)二所 閘門外擁壁四所 |
横利根閘門は,利根川と常陸利根川を結ぶ横利根川の南端,利根川との合流点近くに位置しています。明治33年から昭和5年にかけて行われた内務省直轄の利根川改修工事で建設されたもので、大正10年3月に竣工しました。横利根閘門は,水位調節時の停船場となる閘室と,その両端で門扉を収容する閘頭部からなります。
手前が南側閘頭部で、奥が北側閘頭部 |
手前が閘室で、奥が北側閘頭部 |
南側の門扉 |
アクセス JR成田線佐原駅下車、1.3kmです。川沿いを佐原方面に戻ります。横利根閘門には佐原駅前のレンタサイクル(大祭中、年末年始休業)も便利です。電動アシストもあります。佐原駅からは3.5kmです。 |
見学ガイド 横利根閘門はいつでも自由に見学できます。周辺は公園整備されていて、見学しやすくなっています。 |
感想メモ 開放的で美しい土木遺産です。 (2021年4月訪問) |
参考 国指定等文化財DB |
民家としては東日本最古の墨書が残る
しいなけじゅうたく
椎名家住宅
しいなけじゅうたく
かすみがうら市加茂
椎名家住宅 | 36.079199, 140.297519 江戸中期 桁行15.3m、梁間9.6m、寄棟造、茅葺 |
椎名家住宅は、延宝2年(1674)の墨書銘が発見されており、年代が明らかな民家としては東日本最古のものであると考えられています。
・桁行15.3m、梁間9.6mの茅葺、寄棟造の直屋で南面し、西側に土間、東側に部屋を配置 ・曲がり材を用いた梁組など関東の古民家にみられる特徴がある |
・前面の格子窓に丸竹を用いているのも古い形式 |
アクセス JR常磐線土浦駅から玉造駅行きのバスで下原下車、徒歩25分です。土浦駅はレンタサイクルが充実しているので、これを利用することができます。ただし電動アシストのレンタル料金は他地域よりかなり高くバスよりも高額になることもあります。土浦駅から霞ヶ浦湖岸の自転車道を延々と続く蓮田を眺めながら約12kmです。湖岸から椎名家のある集落までは上り坂です。 |
見学ガイド 椎名家住宅は現住の個人宅の敷地内にありますが、重文指定された建造物には現在は居住されておらず、常識の範囲内で敷地内に立ち入って見学することが許されています。ひろま、ざしきなどに上がって見学する場合は所有者の方の了解が必要とのことです。 |
感想メモ 古風な民家で見ごたえがあります。 (2020年9月訪問) |
参考 茨城県教育委員会HP |
奈良時代創建の古刹
さいれんじ
西蓮寺
さいれんじ
行方市西蓮寺
西蓮寺仁王門 | 36.071294, 140.437628 室町後期 三間一戸楼門(二階を欠く)、寄棟造、とち葺形銅板葺 | |
西蓮寺相輪橖 | 36.071675, 140.438235 鎌倉後期 青銅製相輪トウ |
天台宗の西蓮寺は、延暦元年(782年)に創建された伝わる天台宗の古刹です。
仁王門は、天文十二年(1543)建立されたもので、もとは三間一戸の楼門でしたが、寛政年間 (1789~1801)に楼門の二階部分が取毀されて一重の山門となりました。その後、安政七年(1860)に現在地に移築され、仁王門に改められました。
相輪橖(そうりんとう)は、元寇(弘安の役) の戦勝を記念して、 弘安十年(1287)に建立されたものとして伝えられています。相輪橖は天台宗の寺院に特徴的に見られるものです。
仁王門の表側(上)と内側(下) |
仁王門の蟇股(上)と蓑束(下): ・それぞれ特異な様式が見られる |
相輪橖(説明図は現地解説板のもの): ・高さは九 ・一六メートルで、基壇、橖身、頭部からなり、全体として錫杖形をしている ・基壇は石造三段積みで、橖身は木製の円柱に10個の銅板の筒をかぶせたもの ・頭部は五輪塔形で、宝珠に火焔ををつけ、風輪以下を取り巻く大輪と、それにに懸けられた12個の小輪から成る |
アクセス 西連寺は霞ヶ浦東岸にあり、公共交通の便はよくありません。JR常磐線の土浦駅または石岡駅からバスで玉造庁舎下車、南に5kmあまりです。玉造庁舎から西連寺入口までは本数が少ないですがコミュニティバスもあります。JR土浦駅からは25kmと少し距離がありますがレンタサイクルを利用することもできます。霞ヶ浦の湖岸には快適なサイクリング道が整備されています。国道は大型車の通行が多く、起伏もあるのでサイクリングには不向きです。 |
見学ガイド 西蓮寺の仁王門と相輪橖は常時自由に見学することができます。 |
感想メモ 相輪橖は想像していたよりずっと大きく、見ごたえがありました。 (2021年4月訪問) |
参考 現地解説板 |