香川県坂出・丸亀・西讃地方にある国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。
| 丸亀市 | |
| 丸亀城天守 | |
| 丸亀城 | 大手一の門、大手二の門 |
| 坂出市 | |
| 神谷神社本殿 | |
| 白峯寺 | 本堂、大師堂、阿弥陀堂、行者堂、薬師堂、頓證寺殿、勅額門、客殿、御成門 |
| 白峯寺十三重塔 | (1)、(2) |
| 鍋島灯台 | |
| 観音寺市 | |
| 豊稔池堰堤 | |
| 観音寺金堂 | |
| 三豊市 | |
| 覚城院鐘楼 | |
| 常徳寺円通殿 | |
| 本山寺本堂 | |
| 本山寺二王門 | |
高さ日本一、「石垣の名城」
まるがめじょう
丸亀城
まるがめじょう
丸亀市一番丁
| 丸亀城天守 | 34.286285, 133.800210 江戸前期 三重三階櫓、本瓦葺 | |
| 丸亀城 | 大手一の門 | 34.287458, 133.799361 江戸中期 櫓門、入母屋造、本瓦葺 |
| 大手二の門 | 34.287615, 133.799452 江戸中期 高麗門、本瓦葺 | |
丸亀城は丸亀の市街地中心部に位置します。慶長2年(1597年)、生駒氏が築城したのが始まりで、元和元年(1615年)の一国一城令により生駒氏が高松城を残し、丸亀城を廃城した後に、正保2年(1645年)、山崎氏が再築を始めたものです。
| ・右が大手一の門、左が二の門、奥が天守 |
天守: |
| 北面と石垣: ・高さ約15メートルの三重三階の天守で、万治3(1660)年に完成したもの ・1層目は東西6間、南北5間で、高さ約2mまで腰板張りとし、北面に石落としを設け、二の丸搦め手に備えている ・2層目は東西4間半、南北3間半、南北に 唐破風をつけ、3層目は東西3間、南北2間、東西に千鳥破風、 北面には素木の格子窓を設ける |
| 西面(左)と南面(右): ・通し柱を使わず各階に柱を建て、上階を急激に狭めている ・本来なら間口の広い東西方向に棟を設けるべきところを南北方向に三角形の入母屋屋根を見せる ・これらにより、北側の城下から見上げたときに天守が大きく見える工夫がなされている |
| 漆喰塗籠の軒廻り |
大手一の門: |
| 外面(上)と内面(下): ・寛文10(1670)年頃に建築された櫓門で、東側(外面側)には、出陣に際し武者を一堂に集めるための大規模な桝形がある |
大手二の門: |
| 外面(上)と内面(下): ・桝形の北側に位置する高麗門で、一の門と同時に建てられたもの ・丸亀城の正門であり、石垣に使用されている石も大きい |
| アクセス JR予讃線丸亀駅下車、南東1kmです。 |
| 見学ガイド 城内は常時自由に見学することができます。天守閣内部は有料公開されており、開館時間は午前9時~午後4時半です。大手一の門内部は無料で見学が可能で、開館時間は午前9時~午後4時です。 |
| 感想メモ 大手口から眺めると大きな天守閣が遠くにそびえ立っているように見えて、あんな遠くまで上らないといけないのかと思いました。築城した人の策略にまんまとはまったようです。実際には天守まではそれほどの距離がなく、上りきったら目の前にはコンパクトなの天守閣がありました。ただ、距離が近い分、坂道の傾斜はかなり急でした。 (2021年4月訪問) |
| 参考 現地解説板、丸亀城公式サイト |
江戸期の四国遍路の様相を伝える伽藍
しろみねじ
白峯寺
しろみねじ
坂出市青海町
| 白峯寺 | 本堂 | 34.334461, 133.927152 江戸中期 桁行三間、梁間三間、入母屋造、向拝一間、本瓦葺 |
| 大師堂 | 34.334326, 133.927184 江戸後期 桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝一間、本瓦葺 | |
| 阿弥陀堂 | 34.334657, 133.926907 江戸中期 正面三間、側面二間、宝形造、本瓦葺 | |
| 行者堂 | 34.334541, 133.926661 江戸後期 桁行三間、梁間二間、入母屋造、向拝一間、本瓦葺 | |
| 薬師堂 | 34.334470, 133.926536 江戸後期 正面一間、側面一間、一重もこし付、宝形造、本瓦葺 | |
| 頓證寺殿 | 34.334591, 133.926138 江戸中期 崇徳上皇殿 一間社、正面入母屋造、背面切妻造、妻入、向拝一間、銅板葺、渡廊下付 本地堂 正面三間、側面及び背面二間、宝形造、向拝一間、銅板葺、渡廊下付 白峯権現堂 一間社流造、銅板葺、渡廊下付 拝殿 桁行七間、梁間三間、入母屋造、正面向拝三間、軒唐破風付、背面向拝三間、軒唐破風付、銅板葺 | |
| 勅額門 | 34.334229, 133.926391 江戸中期 三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺 | |
| 客殿 | 34.333576, 133.926714 江戸中期 桁行18.0メートル、梁間11.0メートル、入母屋造、本瓦葺、西面玄関附属、入母屋造、妻入、軒唐破風付、銅板葺、南面渡廊附属、両下造、桟瓦葺 | |
| 御成門 | 34.333639, 133.926466 江戸中期 四脚門、切妻造、正面及び背面軒唐破風付、左右袖塀付、銅板葺 | |
| 白峯寺十三重塔 | 1 | 34.333812, 133.924597 鎌倉後期 石造十三重塔(相輪を除く) 弘安元年亥寅の刻銘がある |
| 2 | 34.333822, 133.924485 鎌倉後期 石造十三重塔(相輪を除く) 元亨四年の刻銘がある |
白峯寺は坂出市の東部、五色台の中腹に位置する四国霊場第81番札所です。白峯は古くより霊山として信仰され、崇徳上皇が崩御された後にこの地に葬られ、後に西行がその御陵を詣でるなどの記録が残ります。近世には高松藩の庇護を受けて伽藍が整備されています。白峯寺十三重石塔として重文指定されている2基の石塔と、白峯寺として重文指定されている江戸時代の本堂、大師堂、阿弥陀堂、行者堂、薬師堂、頓證寺殿(とんしょうじでん)、勅額門、客殿、御成門の9棟の建造物があります。
十三重石塔: |
| ・西塔(写真手前)は「元亨四(1324) 金剛佛子」の銘があり、東塔(写真奥)は弘安元年(1278)の建立 ・東塔は板石を組み合わせた基壇で、基壇から七重までの内部を空洞とし、塔身の種子も不動三尊を刻んだ珍しいもの |
御成門: |
| ・山門を入ってすぐ右の四脚門 ・切妻造、正面及び背面軒唐破風付、左右袖塀付、銅板葺で江戸中期の建築 |
客殿: |
| ・御成門の奥に見える入母屋造、本瓦葺の建物 ・高松藩主が寄進した建物で、桁行方向に左右三間続きの典型的な客殿方式 |
本堂: |
| ・境内の一番奥、石段を上り詰めたところのある建物 |
大師堂: |
| ・本堂に向かって右側の建物 |
阿弥陀堂: |
| ・本堂に向かって左側にある正面蔀戸・両側面連子窓の建物 ・白峯寺の堂宇の中では最も古いもの |
行者堂: |
| ・本堂の手前、一段下がったところにある建物 |
薬師堂: |
| ・行者堂からさらに一段下がったところにある建物 |
頓證寺殿: |
| ・讃岐に流された崇徳上皇を祀る建物で、延宝8年(1680)の建立 ・拝殿(写真)の後方に崇徳上皇殿、本地堂、白峯権現堂を配し、各々と拝殿を渡り廊下で接続する特異な形態 |
勅額門: |
| ・頓証寺の随身門 |
| アクセス JR坂出駅から市営バス王越線で高屋下車。バスの本数が少ないので注意が必要です。バス停から約6km舗装道路を上ります。十三重石塔は山上のドライブインから白峯寺への分岐を少し下ったところにあります。 |
| 見学ガイド 十三重石塔はいつでも自由に見学できますが、それ以外の建造物は山門内にあり、閉門時間が定められているので、要確認です。客殿については周辺の立ち入りは制限されているため、塀越しでの見学になります。 |
| 感想メモ これまで訪ねた文化財の中で公共交通でのアクセスが大変なもののうちのひとつです。バス停からの距離がかなりあって、それもずっと上り。それでも、讃岐平野や瀬戸大橋の眺望がすばらしく、楽しく上ることができました。 文化庁のDBでは、大師堂の構造が板葺きで宝形造になっています。現地の建物と全く違うので重文指定時の官報を確かめると、DBの記載は附指定されている本堂内の厨子の構造を誤記したものであることが分かりました。 (2020年7月訪問) |
| 参考 国指定文化財等DB、坂出市公式サイト |
もとは南都の三金堂制を倣った西金堂
かんのんじこんどう
観音寺金堂
かんのんじこんどう
観音寺市八幡町1丁目
| 観音寺金堂 | 34.134490, 133.647608 江戸中期 桁行三間、梁間四間、一重、寄棟造、向拝一間、本瓦葺 | |
観音寺は銭形砂絵の眺望で知られる琴弾山の山麓に位置します。もとは琴弾八幡宮の神宮寺でしたが、明治の神仏分離により琴弾宮と別れ、八幡宮が担っていた第六十八番札所も併せ、もとの第六十九番札所とともに二つの札所をもつに至っています。
弘法大師が中興して奈良興福寺にならった三金堂制をとったと伝え、現本堂はその西金堂にあたります。本堂は、南北朝時代の本堂の部材を用いて万治年間(1658から61)に再建されたもので、その後、江戸時代に何度か改造が行われ現在に至っています。
弘法大師が中興して奈良興福寺にならった三金堂制をとったと伝え、現本堂はその西金堂にあたります。本堂は、南北朝時代の本堂の部材を用いて万治年間(1658から61)に再建されたもので、その後、江戸時代に何度か改造が行われ現在に至っています。
| ・桁行三間、梁間四間の本瓦葺寄棟造に向拝一間が付く ・低い亀腹の上に立ち、三方に縁を回らす ・軸部は円柱を内法長押、切目長押で固めている 外回りの建具は舞良戸を用いる |
| ・向拝柱は面取角柱で、柱上に大きな手挟を入れる |
| ・柱上は和様の出三斗で、中備は間斗束 ・柱頭部の粽や、台輪、木鼻などに禅宗様の特徴が見られる ・粽は延宝五年(1677)の改造で付加されたもの |
| アクセス JR予讃本線観音寺駅北1.5kmです。本数は少ないですがバス便もあります。 |
| 見学ガイド 観音寺は常時自由に参拝することができます。金堂も自由に見学することができます。 |
| 感想メモ 仁尾からの帰路、思い立って観音寺に立ち寄ることにし、高室医院バス停で下車して歩き始めました。 微生物研究所の巨大な施設の脇を通り抜けるときは、少し不安な気持ちになりながらも足を進め、やがて山道を上って銭形展望台へ。観音寺の少し先にあるその展望台からは、街を見下ろす眺望が広がり、かなり高い場所まで来たような感覚を覚えました。 その後、観音寺へ向かい、参拝を終えて仁王門から表参道へ出ると、すぐに街並みが広がっていて、山中にいたはずなのに一気に現実に引き戻されたような、不思議な感覚に包まれました。 本堂は、和様を基調とした落ち着いた佇まいで、静かな品格を感じさせます。 しかし、細部には江戸の職人の遊び心とも思える禅宗様の意匠が散りばめられており、興味深い建築でした。 (2022年7月訪問) |
| 参考 解説版新指定重要文化財11 |
城址に建つ桃山様式の鐘楼
かくじょういんしょうろう
覚城院鐘楼
かくじょういんしょうろう
三豊市仁尾町仁尾丁
| 覚城院鐘楼 | 34.201929, 133.647935 桃山 桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺 | |
覚城院は仁尾の港町を見下ろす高台に位置する真言宗の寺院です。弘法大師創建と伝わる古刹で、応永年間(1394~1428)に再興され、天正7年(1579)には落城した仁尾城跡地に移築されて今日に至っています。
| ・桁行三間、梁間二間の鐘楼で、木製の袴腰を持つ ・屋根は入母屋造、本瓦葺で、大型の鯱を載せる |
| アクセス 覚城院が位置する仁尾地区にはJR予讃本線宅間駅、高瀬駅、観音寺駅などからバスが出ています。仁尾での降車バス停は路線により異なります。降車後覚城院までは徒歩10分程度です。 |
| 見学ガイド 覚城院は常時自由に参拝することができます。鐘楼も自由に見学することができます。 |
| 感想メモ 屋根に大きな鯱を載せた珍しい形の鐘楼でした。城址らしい風景です。鐘楼の内部に入って梵鐘を見上げることもできました。これまで重文指定の袴腰付き鐘楼の中に入ったことは、多分なかったと思います。 門前の路地裏には、中華そばとうどんを出す「長兵衛」さんがあり、思わず反射的にうどんを注文してしまいました。 あとで知ったのですが、どうやら中華そばが名物だったようです。 (2022年7月訪問) |
| 参考 覚城院公式サイト |
四国には珍しい禅宗様仏殿
じょうとくじえんつうでん
常徳寺円通殿
じょうとくじえんつうでん
三豊市仁尾町仁尾丁
| 常徳寺円通殿 | 34.202938, 133.646172 室町中期 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺 | |
常徳寺は仁尾の港町に位置する臨済宗の寺院です。南北朝時代末期の明徳2年(1391)ころの創建といわれています。円通殿は応永8年(1401)の建立で、宝永年間に大改造されたものを昭和の改修で創建当時の姿に復しています。四国には珍しい中世の禅宗様建築です。
| ・方三間の禅宗仏殿の平面で入母屋造瓦葺 |
| ・柱はすべて円柱で、石造礎盤上に立つ ・正面三間は桟唐戸 |
| ・軒は二軒の平行繁垂木 ・側面前方一間は桟唐戸、中央間は花頭窓、後方一間は板壁 ・背面(写真右端)の両端には脇仏壇を置くための突出部を持つ ・妻飾は宝永改造時のもの |
| ・柱頭は禅宗様の粽を持つ ・柱頭を台輪でつなぎ、貫及び台輪は木鼻を出す |
| ・柱上は禅宗様の出組 ・中備は大斗花肘木上に双斗を置く特殊な様式 |
| アクセス 常徳寺が位置する仁尾地区にはJR予讃本線宅間駅、高瀬駅、観音寺駅などからバスが出ています。仁尾での降車バス停は路線により異なります。降車後常徳寺までは徒歩10分程度です。 |
| 見学ガイド 常徳寺は常時自由に参拝することができます。円通殿も自由に見学することができます。 |
| 感想メモ 常徳寺の周辺には、古い町並みが今も残されており、どこか懐かしく心地よい雰囲気が漂っています。近くには仁尾酢の醸造元もあり、ほのかに漂う酢の香りが、思わず空腹を呼び起こしました。 円通殿の解説板を読んで、四国には禅宗様式の建築が少ないことに初めて気づきました。 仏殿は、独特の表情をたたえた、非常に興味深い建築です。 (2022年7月訪問) |
| 参考 三豊市公式サイト、解説版新指定重要文化財11 |
興福寺系の工匠の手による鎌倉建築
もとやまじ
本山寺
もとやまじ
三豊市豊中町本山甲
| 本山寺本堂 | 34.139712, 133.694137 国宝・鎌倉後期 桁行五間、梁間五間、一重、寄棟造、向拝三間、本瓦葺 | |
| 本山寺二王門 | 34.139158, 133.693653 室町中期 三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺 | |
本山寺は讃岐平野西端部、財田川右岸の田園地帯に位置する真言宗寺院で、四国八十八ヶ所霊場第七十番札所です。弘法大師創建と伝わる古刹で、古くは長福寺という寺号でしたが、江戸時代19世紀頃に本山寺と称されるようになりました。讃岐地方の社寺は、戦国時代に長宗我部元親の軍勢による焼き討ちに会いましたが、本山寺の本堂と二王門は戦火を逃れ、中世の姿を今日に伝えています。
本堂 |
| ・鎌倉時代に興福寺系の工匠の手により建てられた ・桁行五間、梁間五間で、屋根は本瓦葺・寄棟造に向拝三間が付く |
| ・軸部は円柱を長押で固める ・軒は二軒の平行繁垂木 ・柱上は和様の出組で、中備は間斗束に板蟇股を載せる ・正面五間すべてを和様の蔀戸としているが、側面前方一間には禅宗様の藁座付き桟唐戸を吊る |
| ・向拝柱は大面取角柱 ・古風な直線状の繋虹梁で、手挟を置かない |
| ・頭貫木鼻は繰型の付いた大仏様 |
| ・向拝水引虹梁には、古風な左右対称意匠の透彫蟇股を飾る |
二王門 |
| ・室町時代中期の建立とされる切妻造、本瓦葺の三間一戸八脚門 ・柱は円柱で、石造の礎盤上に立つ ・長押を用いず貫で柱を固めるなど、禅宗様の色彩が濃い |
| ・化粧屋根裏で、棟は板蟇股で受ける |
| アクセス JR予讃本線本山駅下車、南東1kmです。高瀬駅から門前まで入るバス便があります。 |
| 見学ガイド 本山寺は常時自由に参拝することができます。本堂、二王門とも自由に拝観することができます。 |
| 感想メモ 四国霊場のお寺は世俗的な雰囲気のところも多いですが、重厚な国宝の本堂を伽藍の中心に据える本山寺は、どこか奈良の古寺のような凛とした空気を感じました。 (2022年7月訪問) |
| 参考 本山寺公式サイト |






















































































































































































































































































































