香川県高松・東讃・小豆地方にある国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。
高松市 | |
高松城 | 旧東之丸艮櫓、北之丸渡櫓、北之丸水手御門、北之丸月見櫓 |
披雲閣(旧松平家高松別邸) | 本館、本館付倉庫、倉庫 |
小比賀家住宅 | 主屋、土蔵、米蔵、午門 |
国分寺本堂 | |
旧下木家住宅 | |
旧河野家住宅 | |
屋島寺本堂 | |
香川県庁舎旧本館及び東館 | |
瀬戸内海歴史民俗資料館 | |
さぬき市 | |
志度寺 | 本堂、仁王門 |
細川家住宅 | |
旧恵利家住宅 | |
長尾寺経幢 | (1)、(2) |
小豆郡小豆島町 | |
明王寺釈迦堂 |
瀬戸内海に面した海城
たかまつじょう
高松城
たかまつじょう
高松市玉藻町
高松城 | 旧東之丸艮櫓 | 34.348768, 134.051999 江戸中期 三重三階隅櫓、入母屋造、本瓦葺南面続櫓一重櫓、南端入母屋造、本瓦葺 |
北之丸渡櫓 | 34.351096, 134.051671 江戸中期 一重櫓、入母屋造、本瓦葺 | |
北之丸水手御門 | 34.351173, 134.051687 江戸末期 一間薬医門、切妻造、本瓦葺 | |
北之丸月見櫓 | 34.351299, 134.051743 江戸中期 三重三階隅櫓、入母屋造、本瓦葺、南面続櫓一重櫓、南端入母屋造、本瓦葺 | |
披雲閣(旧松平家高松別邸) | 本館 | 34.350278, 134.051622 大正 木造、建築面積1,916.51㎡、一部2階建、入母屋造及び寄棟造、南面車寄附属、桟瓦葺 |
本館付倉庫 | 34.350382, 134.051923 大正 木造、建築面積38.79㎡、寄棟造、桟瓦葺 | |
倉庫 | 34.350258, 134.052005 大正 木造、建築面積48.49㎡、寄棟造、桟瓦葺 |
高松城は高松市中心部の海岸沿いに位置します。天正15年(1587)に讃岐一国を与えられた生駒親正が築城したもので、生駒氏転封後の寛永19年(1642)には、松平頼重が東讃12万石が与えられ、城の大規模な改造を行いました。松平氏の治世は幕末まで続きました。
「高松城」として重文指定された4棟は松平氏による東ノ丸・北ノ丸の新造に伴い建設されたものです。披雲閣(ひうんかく)は、大正時代に旧城主の松平氏が高松城三ノ丸の御殿跡に建設した邸宅です。
城内側より見た月見櫓(写真右)と付属する続櫓(写真中央): ・北之丸月見櫓は北ノ丸の最北端に位置し、かつては瀬戸内海に面していた ・「(舟の)到着を見る」という意味の着見櫓が本来の名称 ・三重三階の総塗籠で、各階に2本の長押をめぐらす ・初重には切妻破風が見られ、その下部に石落としが設けられている ・南面には続櫓と呼ばれる小規模な平櫓が付属する ・延宝4年(1676年)の上棟と考えられている |
城内側より見た水手御門(写真右)と渡櫓(わたりやぐら、写真左) |
城外側より見た渡櫓(写真右)、水手御門(中央)、続櫓(左) 北之丸渡櫓: ・月見櫓の南に位置する総塗籠の平櫓 ・南側3間分は北ノ丸の新造前に所在した海手門の部材を再利用しており、柱が細く、内壁も波型真壁となってい ・月見櫓と同時期に建築されたと考えられている 北之丸水手御門: ・月見櫓の続櫓と渡櫓の間に設けられた一間の薬医門 ・月見櫓と同時期頃に建設されたと考えられているが、地下から古い礎石が発見されており、幕末頃に建替えられたと推定されている ・海に向かって開いた門で、藩主はここで小舟に乗船し、沖で御座船に乗換えて参勤交代等に出かけた |
旧東之丸艮櫓(うしとらやぐら): |
・延宝5年(1677)に東ノ丸の北東隅に建築された三重三階の隅櫓で、名称は高松城の丑寅(うしとら)にあたることに由来 ・三重三階の総塗籠で、初重には二重の屋根を貫く千鳥破風が設けられ、城外側の隅には袴型の石落としがある ・昭和42年に現在地(高松城の南東隅)に移築 |
披雲閣: |
本館: ・木造で、接客、居住、家政などの機能をもつ各部を渡廊下で接続 ・建築面積は1916平方メートルに及ぶ ・南を正面として玄関を構え、西から北へ蘇鉄の間、大書院(写真上)、槙の間(写真下)の各広間を並置し、北方の庭園を望む接客空間としている ・玄関の北には居住と宿泊のための部屋が連なり、玄関の北東には勝手と調理場を設けている |
本館付倉庫(写真中央)と倉庫(写真左): ・本館付倉庫は、木造、二階建、桟瓦葺で、小屋組は和小屋、外壁は下見板張 ・倉庫は、本館付倉庫の東南に建ち、木造、二階建、寄棟造、桟瓦葺で北面に戸口を開き、小屋組はトラス構造、外壁は擬石塗 |
アクセス 高松城まではJR高松駅から徒歩数分です。琴電高松築港駅は高松城に隣接しています。 |
見学ガイド 「高松城」として重文指定された4棟は有料公開されています。これらは公道に面しているので、有料区域外からも見ることができます。東之丸艮櫓は堀を挟んでの見学となります。毎週日曜日には月見櫓の内部公開と水手御門の開扉が行われるようです。 披雲閣も有料公開されています。内部は非公開です。披雲閣は公道からは見ることができません。披雲閣の倉庫と本館付倉庫の周辺は立入りが制限されています。本館東側の裏庭を挟んで倉庫と本館付倉庫の一部をみることができます。 高松駅前の高松シンボルタワー展望台などからも高松城・披雲閣を遠望できます。 |
感想メモ 海と高松港の間には道路が通っており、海城の風情を失っているのは残念ですが、道路のおかげで月見櫓をいつでも近くから見ることができます。 (2018年10月訪問) |
参考 高松市公式サイト |
屋島山上の復古調の建築
やしまじほんどう
屋島寺本堂
やしまじほんどう
高松市屋島東町
屋島寺本堂 | 34.357945, 134.101269 江戸前期 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺 |
屋島寺は高松の市街地東方にそびえる屋島南峯に位置する古刹で、弘法大師を中興の祖としています。本堂は元和4年(1618年)に再建されたものですが、昭和の修理の際に各所に鎌倉時代の特徴の古材が見られたことから、鎌倉様式に復元されています。
・屋根は一重の本瓦葺、入母屋造 ・正面中央の3間は両折両開き桟唐戸、側面の上は連子窓、腰貫の下は板壁など鎌倉時代の様式 ・内部は前2間が外陣、後3間が内陣と脇陣からなる |
正面軒廻り: ・二軒の繁垂木で、和様の出組、中備は蓑束、支輪を飾る ・向拝の海老虹梁や装飾の多い手挟は近世風 |
外陣の格天井 |
アクセス 屋島山上にはJR屋島駅から、ことでん屋島駅経由のバスが運行されています。バスは重文民家のある四国村も経由するので周遊に便利です。屋島寺はバスの終点からすぐです。 |
見学ガイド 本堂はいつでも自由に見学することができます。 |
感想メモ 晴天に恵まれ、屋島からの眺めを堪能することができました。本堂は江戸時代の建築で、華美な彫刻も見られますが、全体としては復古調で落ち着いた雰囲気です。 (2021年4月訪問) |
参考 四国八十八ヶ所霊場会公式サイト、高松市公式サイト |
丹下健三の代表作
かがわけんちょうしゃきゅうほんかんおよびひがしかん
香川県庁舎旧本館及び東館
かがわけんちょうしゃきゅうほんかんおよびひがしかん
高松市番町四丁目
香川県庁舎旧本館及び東館 | 34.340081, 134.044021 昭和 鉄筋コンクリート造、建築面積3,270.39平方メートル、本館及び東館よりなる 本館八階建、塔屋三階付 東館三階建 |
香川県庁舎は高松市の中心部に位置します。旧本館及び東館は、昭和30~33年に建築されたもので、丹下健三の設計です。
・庁舎は高層の旧本館(写真左)と低層の東館からなる |
・旧本館は、鉄筋コンクリート造、8階建、塔屋3階付(上段写真右) ・柱と梁、深い軒や高欄など伝統的な木造建築をモチーフとしている |
・東館は、鉄筋コンクリート造、3階建、規模は南北98.2m・東西16.6m ・一階部分は開放的なピロティとしている |
・ピロティーの長方形の柱の短辺を道路側に向けるなど、道路との境界を意識させないよう工夫されている ・天井には松材を用いたルーバーが設置されている |
・旧本館の中心部に耐震壁などを集中したセンターコアを設け、その周囲を壁のない開放的な空間としている ・センターコアの上部は塔屋となり、一階ロビー部分は周囲に「和敬清寂」の壁画を飾る |
アクセス JR予讃線高松駅下車、南1.5㎞です。駅からは多数のバス路線があります。 |
見学ガイド 県庁開庁中は、ロビーなどの公共空間を自由に見学することができます。 |
感想メモ 高松で暮らしていたときには何度も前を通りましたが、ここまで価値のある建築であるとは知りませんでした。改めて見学すると、外観の美しさだけではなく、構造面でも工夫された建築であることがよくわかりました。 (2023年7月訪問) |
参考 香川県公式サイト、香川県公式観光サイト、高松市公式サイト |
四国霊場第86番札所
しどでら
志度寺
しどでら
さぬき市志度
志度寺 | 本堂 | 34.324287, 134.179598 江戸中期 桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝三間、軒唐破風付、本瓦葺 |
仁王門 | 34.323794, 134.178950 江戸中期 三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺 |
志度寺は県東部さぬき市の市街地に位置する真言宗の寺院で、四国霊場第86番札所です。高松藩によって造営された本堂と仁王門が重要文化財に指定されています。
本堂: |
・桁行七間、梁間五間の大規模な仏堂 |
仁王門: |
・三間一戸の八脚門 ・中世以来の伝統を受けついで軸部が木太く堂々としているが、細部の意匠には近世的な特色もみられる |
アクセス 琴電志度駅から徒歩10分程度です。 |
見学ガイド 境内は自由に見学できます。仁王門は西面しているので、午後の方が綺麗な写真を撮ることができます。 |
感想メモ 境内に植栽が多く、他の札所とは少し異なる雰囲気です。仁王門は古風で力強い建築です。 (2020年7月訪問) |
参考 国指定文化財等DB |
鎌倉時代の石塔
ながおじきょうとう
長尾寺経幢
ながおじきょうとう
さぬき市長尾西
長尾寺経幢 | (1) | 34.266180, 134.171663 鎌倉後期 石造幢 弘安歳次六年癸未七月日の刻銘がある |
(2) | 34.266181, 134.171749 鎌倉後期 石造幢 弘安第九天歳次丙戌五月日の刻銘がある |
長尾寺は県東部さぬき市の内陸部にある四国霊場第八十七番札所です。経幢は中国で唐から宋時代に多く建てられたもので、わが国では鎌倉中期ごろからつくられました。経文の埋納保存や、供養の標識とするため、各地に建てられています。長尾寺の経幢は、西側のものに弘安六年、東側のものに弘安九年の銘が あります。
・左の覆屋の中が弘安6年銘の経幢で、右が弘安9年銘 |
弘安6年銘の経幢: ・凝灰岩製で基礎の上に面取り四角柱の幢身を立て、その上に八角の笠と低い宝珠をのせたもの |
弘安9年銘の経幢(4枚目の写真から「弘安第九天」の文字が読み取れる) |
アクセス 長尾寺は、ことでん長尾駅下車、東250mです。経幢は長尾寺の正門の手前に建てられています。 |
見学ガイド 経幢は常時自由に見学することができます。覆屋の中にありますが、覆屋の正面上半分は開放されており、背面以外は隙間の大きな格子であるため、見学に大きな支障とはなりません。 |
感想メモ 素朴な感じを受ける石造経幢です。凝灰岩が良い感じに風化してやわらかい線を出しています。 (2021年4月訪問) |
参考 現地解説板 |
水軍の拠点に築かれた小堂
みょうおうじしゃかどう
明王寺釈迦堂
みょうおうじしゃかどう
小豆郡小豆島町池田
明王寺釈迦堂 | 34.483846, 134.241952 室町後期 桁行三間、梁間四間、一重、寄棟造、向拝一間、本瓦葺 |
明王寺は小豆島南海岸、池田のオリーブ畑が点在する田園地帯東端に位置します。釈迦堂は大永2年(1522)に地頭・須佐美氏の子孫である源元安入道盛椿(せいちん)によって着工され、11年かかって完成したことが、文字瓦から知られます。小豆島は瀬戸内海の水軍の拠点で、釈迦堂の建立にも水軍が関係したものと考えられています。
釈迦堂 |
・桁行三間、梁間四間、寄棟造、本瓦葺で、向拝一間が付く |
・正面三間に桟唐戸が吊られ、内法貫の藁座と、地長押が支えている ・軒は二軒の疎垂木 |
・柱は大面取の角柱で、柱上は繰型付実肘木を入れた出三斗 ・中備の間斗束にも繰型付実肘木を入れる ・頭貫は禅宗様の木鼻を出す |
・向拝には優美な蟇股を飾る |
・内部は手前一間が外陣で、菱格子の結界の奥が内陣 ・内部も柱上は出三斗で、中備は中央間が蟇股で、両側間が撥束 |
厨子(附指定) |
・禅宗様で鮮やかな彩色が施されている |
アクセス 小豆島池田港の東2kmで、路線バスを利用することもできます。 |
見学ガイド 明王寺は常時自由に参拝することができます。釈迦堂は内部に入ることもできます。内部の写真撮影も禁止されていません。 |
感想メモ オリーブ畑に囲まれたのどかな風景ですが、かつては水軍の本拠地で今とは全く違う世界であったことを思うと感慨深いです。釈迦堂は小堂ですが細部の意匠が優れています。厨子も大変手の込んだ意匠です。 (2024年9月訪問) |
参考 小豆島町公式サイト |