国宝・重要文化財指定の建造物 -2ページ目

国宝・重要文化財指定の建造物

全国の国宝・重要文化財に指定された建造物についてのブログです。


京都府丹後中丹地域にある国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。
福知山市
島田神社本殿
舞鶴市
行永家住宅主屋、道具蔵、新蔵
舞鶴旧鎮守府倉庫施設舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫、舞鶴海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫、舞鶴海軍兵器廠雑器庫並預兵器庫、舞鶴海軍需品庫需品庫(3)、舞鶴海軍需品庫需品庫(2)、舞鶴海軍需品庫需品庫(1)、舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫
舞鶴旧鎮守府水道施設岸谷川上流支流砂防堰堤、旧岸谷川上流本流取水堰堤、旧岸谷川上流支流取水堰堤、旧接合井、岸谷川下流取水堰堤、旧第一配水池、旧第二配水池、与保呂川支流砂防堰堤、桂取水堰堤、桂量水堰堤
金剛院塔婆(三重塔)
綾部市
石田神社境内社恵比須神社本殿
光明寺二王門
旧岡花家住宅
齋神社本殿
宮津市
旧三上家住宅主屋、道具蔵、庭座敷、什器蔵、新座敷、酒造蔵、釜場、表門
智恩寺多宝塔
宮津洗者聖若翰天主堂
京丹後市
本願寺本堂
縁城寺宝篋印塔
経ケ岬灯台灯台、旧第一物置
与謝郡与謝野町
旧尾藤家住宅主屋、奥座敷、内蔵、新座敷、雑蔵、新蔵、奥蔵、米蔵

 

 

旧日本海軍の赤レンガ倉庫

舞鶴旧鎮守府倉庫施設


まいづるきゅうちんじゅふそうこしせつ
舞鶴市北吸、浜
舞鶴旧鎮守府倉庫施設舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫35.476057, 135.387466
明治
鉄骨煉瓦造、建築面積四二四・三六平方メートル、二階建、鉄板葺(内装を除く)
舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫35.474596, 135.385393
明治
煉瓦造、建築面積七五六・○五平方メートル、二階建、鉄板葺(内装を除く)
舞鶴海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫35.474703, 135.385183
明治
煉瓦造、建築面積七五六・○五平方メートル、二階建、桟瓦葺(内装を除く)
舞鶴海軍兵器廠雑器庫並預兵器庫35.474779, 135.384942
明治
煉瓦造、建築面積七五六・○五平方メートル、二階建、スレート葺
舞鶴海軍需品庫需品庫(1)35.475444, 135.382954
明治
三棟よりなる 各煉瓦造、建築面積五五○・四八平方メートル、二階建、桟瓦葺
舞鶴海軍需品庫需品庫(2)35.475151, 135.383269
明治
三棟よりなる 各煉瓦造、建築面積五五○・四八平方メートル、二階建、桟瓦葺
舞鶴海軍需品庫需品庫(3)35.474835, 135.383676
明治
三棟よりなる 各煉瓦造、建築面積五五○・四八平方メートル、二階建、桟瓦葺

舞鶴旧鎮守府倉庫施設は東舞鶴の海上自衛隊の港湾施設に隣接しています。この場所はかつての海軍舞鶴鎮守府の軍需部本部地区に当たります。舞鶴旧鎮守府倉庫施設は、海軍舞鶴鎮守府開庁時に整備された倉庫施設で、このうち魚形水雷庫、予備艦兵器庫、弾丸庫並小銃庫、雑器庫並預兵器庫は舞鶴海軍兵器廠の武器倉庫として、需品庫三棟は舞鶴海軍需品庫(鎮守府の組織名)の需品倉庫として、明治34年から36年にかけて建設されました。
旧舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫(手前)、弾丸庫並小銃庫(中央)、雑器庫並預兵器庫(奥):
・文庫山の東側に並列して建つ同規模同構造の倉庫
・桁行72.3メートル梁間10.5メートル、切妻造桟瓦葺の煉瓦造二階建
・四方に出入口を設け、両妻側端部を軍港引込線の線路が南北に通り抜けていた
・壁面のレンガはイギリス積み



舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫:

平側西面

平側東面



舞鶴海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫:

妻側南面

妻側北面

平側東面

イギリス積みの壁面



舞鶴海軍兵器廠雑器庫並預兵器庫:

妻側南面

妻側北面



軍需部第三水雷庫(附指定):

・三棟の武器倉庫の南側に建つ
・煉瓦造二階建で大正8年に増設されたもの



舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫:

・上段写真が西面、下段が東面
・桁行37.8メートル、梁間11.2メートル、切妻造鉄板葺の鉄骨煉瓦造二階建で、現存最古級の鉄骨造建築

・壁面はフランス積み



舞鶴海軍需品庫需品庫:

・三棟の需品倉庫は、文庫山の南側山際に直列して建つ
・三棟とも同規模同構造で、桁行39.4メートル、梁間14.0メートル
・切妻造桟瓦葺の煉瓦造二階建で、壁面はイギリス積
・平側南面に二箇所の出入口、東西両妻面に貨車出入口を開け、線路の上方に物揚口を設ける

舞鶴海軍需品庫需品庫(1)

舞鶴海軍需品庫需品庫(2)

舞鶴海軍需品庫需品庫(3)


朝霧に包まれた舞鶴旧鎮守府倉庫施設

アクセス
JR舞鶴線東舞鶴駅下車、北西1.5㎞です。駅の近くから、心地よい遊歩道が整備されています。
見学ガイド
各棟とも外観は常時見ることができます。魚形水雷庫、予備艦兵器庫、弾丸庫並小銃庫は博物館や物販施設として利用されており、内部も見ることができます。

感想メモ
各々厳めしい名前のレンガ建築ですが、今では家族連れでにぎわう場所になっていて、建物も優しい表情を見せています。
(2018年8月訪問)
出張で前泊、早朝に訪問することができました。朝霧が立ち込めていて神秘的でした。
(2023年4月訪問)

参考
国指定文化財等DB

 

 

三間社流造の身舎のみが残された本殿

石田神社境内社恵比須神社本殿


いしだじんじゃけいだいしゃえびすじんじゃほんでん
綾部市安国寺町宮ノ腰
石田神社境内社恵比須神社本殿35.340150, 135.311350
鎌倉後期
桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、銅板葺

石田神社は綾部の市街地の東北、山間の集落にある安国寺の近くに鎮座します。安国寺は足利尊氏出生の地と伝えられる古刹で、石田神社はその鎮守です。境内社恵比須神社本殿は延慶4年(1311)に石田神社の本殿として建立されたもので、棟札によって建立年代や大工名が明かな数少い鎌倉時代後期の神社本殿の遺構です。
・桁行三間、梁間二間、切妻造で、三間社流造の庇部分が失われたもの
・木割が非常に大きい

・妻飾は禅宗様の虹梁大瓶束で、神社建築にこのような様式が取り入れられたものとしては早い例

・蟇股は左右対称の鎌倉様式

アクセス
JR舞鶴線梅迫駅下車、南1.2㎞です。バス便もあります。
見学ガイド
石田神社は、常時自由に参拝することができます。境内社恵比須神社本殿も近くから見ることができます。

感想メモ
雪の降る地域の神社の境内社ということで、多分覆屋の中かと思っていましたが、そんな心配が全くいらない堂々とした社殿でした。社殿の規模は大きくありませんが、木割が太く、構造上必要な太さよりもはるかに太い柱は不思議な力を持っているようでした。
(2023年4月訪問)

参考
森の京都DMO公式サイト、現地解説板

 

 

摂丹型民家の代表例

旧岡花家住宅


おかはなけじゅうたく
綾部市本宮町
旧岡花家住宅35.295448, 135.261565
江戸中期
桁行12.1m、梁間9.3m、入母屋造、妻入、茅葺

旧岡花家住宅は綾部の市街地の南東部、由良川左岸の宗教法人大本本部構内に移築されています。もとは京丹波町西部の山間の集落にあったものです。岡花家は、江戸時代は村役層の属していたと考えられており、住宅は江戸中期の建築です。
・入母屋造り茅葺で妻入縦割り床上3室の特徴がある摂丹型の民家
・この形式の民家は、中世末期の在地支配層の身分の建築的表現を受け継ぐものであると考えられている
・岡花家住宅は妻入りの正面を西面させているが、一般的摂丹型の民家では正面を南面させる

・正面向かって左側に広縁を設け、その奥に座敷・部屋を縦方向に並べる
・右側に大戸を開き、その奥は土間とし、土間の手前に厩、奥に炊事場を設ける

・座敷、部屋が並ぶ南面(写真左)は比較的閉鎖的な造り

・土間側の南面には木戸や窓が設けられている

・土間の突き当りの東面(写真右)にも部屋が設けられているが、外面は閉鎖的

広縁の軒裏

アクセス
JR山陰本線綾部駅下車、南東1.4㎞です。バス便もあります。旧岡花家住宅は宗教法人大本本部の構内にあります。
見学ガイド
旧岡花家住宅は大本本部の開門中、庭園から外観を見ることができます。

感想メモ
以前、別の宗教団体の構内にある文化財を見学していた時に少し嫌な思いをしたので、今回も身構えて訪問しましたが心配無用でした。庭園は奇麗に整えられていて、木立の間の祠に神官が祝詞を奉じる神聖な雰囲気でしたが、境内は地域の方々も自由に出入りができるようで堅苦しさはありませんでした。
(2023年4月訪問)

参考
全国重文民家の集い公式サイト、北山型と摂丹型の民家(中山等)

 

 

宮津にある白壁の大規模商家

旧三上家住宅


みかみけじゅうたく
宮津市河原、白柏
旧三上家住宅主屋35.538117, 135.191101
江戸後期
桁行18.0m、梁間11.1m、一部二階、入母屋造、南面・東面及び西面庇付、北面取合の間附属、桟瓦葺及び鉄板葺
新座敷35.538059, 135.191196
江戸後期
桁行8.6m、梁間8.9m、一部二階、南面切妻造、北面主屋に接続、東面及び西面庇付、桟瓦葺
庭座敷35.537984, 135.191188
江戸末期
桁行9.9m、梁間5.9m、切妻造、南面・北面及び西面庇付、東面玄関・南面湯殿及び便所附属、仏間、桁行4.0m、梁間3.0m、両下造、北面主屋に接続、桟瓦葺
表門35.538041, 135.191275
江戸末期
一間薬医門、切妻造、桟瓦葺
酒造蔵35.538087, 135.190919
江戸後期
土蔵造、桁行15.3m、梁間5.5m、二階建、西面切妻造、東面釜場に接続、桟瓦葺
釜場35.538193, 135.191040
江戸後期
土蔵造、桁行11.4m、梁間5.8m、東面切妻造、西面酒造蔵に接続、東面庇付、桟瓦葺
道具蔵35.537952, 135.191091
江戸後期
土蔵造、桁行5.9m、梁間2.9m、二階建、切妻造、北面庇附属、桟瓦葺
什器蔵35.538008, 135.190932
江戸後期
土蔵造、桁行6.0m、梁間4.0m、二階建、切妻造、桟瓦葺

旧三上家住宅は宮津の市街地西部に位置します。三上家は屋号を元結屋といい、江戸時代において宮津城下有数の商家のひとつで、酒造業・船業・問屋等をむ一方で、藩財政や宮津城下の町政に深く関わっていました。安永五年(1776)に現在地に屋敷を構えたことに始まると伝え、天明三年(1783)の晒屋火事により屋敷は焼失しますが、主屋ほかの再建工事は同年中に行われ、その後、座敷・土蔵・玄関・酒造施設を順次増築し、現在に見られる屋敷構に至ったものです。
屋敷北面:
・右端の切妻が釜場、その左が入母屋の主屋と平入切妻の新座敷、その左が表門で門の奥が庭座敷
・防火のため、外に面する柱を漆喰で塗り込めた大壁造としている



主屋:

・入母屋造の妻入で、宮津の町家のほとんどが切妻造平入の建物で構成されるのに比べ、 家格にふさわしい威容を誇る

・屋根には煙出が設けられている

・土間部は上部は吹き抜けとし、小屋組を露出している
・垂木を放射状に打つ届垂木の技法が用いられている



新座敷:

・写真左が新座敷:
・文政3年(1820)に、主屋の東側に増築されたもの
・一階の格子、二階の土格子の意匠を主屋棟と揃え、腰板の高さも合わせるなど、統一が図られている

・新座敷には仏間が設けられている(写真奥は庭座敷)



庭座敷:

・天保8年(1837)に新座敷の東に増築された
・庭園を座視鑑賞できるように建てられている

・ニワザシキ(写真手前)とツギノマ(写真中央)からなり、ツギノマの下手北側(写真右)に入側が接続し式台玄関に続く
・随所に銘木を惜しみなく用い、金砂子を全面に撒いた床障壁や、波間に踊る鯉を図柄とした欄間彫刻など、贅を尽くしている



表門:

・天保9年に宮津藩視察に来た幕府巡見使を迎えるため、庭座敷の式台玄関とともに急遽増築されたもの
・間口一間の切妻造桟瓦葺の薬医門で、両脇に袖壁を構える



釜場:

・主屋の西、酒造蔵の北に隣接している建物で、米を蒸す大きなかまどを備えている

・内部は主屋の土間と一体的な空間となっている
・釜場の一角には麴室(写真右奥)を備える

・屋根は通気が考慮されている



酒造蔵:



什器蔵:



道具蔵

アクセス
京都丹後鉄道宮津駅下車、西1㎞です。
見学ガイド
旧三上家住宅は有料で公開しています。表通りに北東に面しているので、朝以外は逆光です。

感想メモ
白壁の建物が連なる迫力のあるお屋敷です。通りに北面していて、南側の庭はそれほど広くなく、建物が密集しているので、写真撮影が難しかったです。
(2023年4月訪問)

参考
宮津市公式サイト、現地解説板、天橋立観光協会公式サイト

 

 

雪舟「天橋立図」の多宝塔とも考えられる

智恩寺多宝塔


ちおんじたほうとう
宮津市文殊
智恩寺多宝塔35.558007, 135.184219
室町後期
三間多宝塔、こけら葺

智恩寺は天橋立の南端に隣接し、古来より文殊信仰の聖地として信仰を集めてきました。もとは密教寺院であったものが、嘉暦元年(1326)頃、禅僧嵩山居中が中興を果たし、禅宗寺院となりました。
多宝塔は明応10年(1501)に丹後守護代の延永春信や大谷寺住持・智海らによって建てられたもので、密教の大日如来像が安置されるなど禅宗と密教の一体化を目指す智海の思想が反映されています。
・こけら葺きの三間多宝塔で、和様を基調としている

・上重の柱は円柱で、貫は用いす長押で固める
・軒は二軒で、組物は拳鼻付きの四手先
・柱間は幣軸付きの板戸と連子窓を設ける
・腰は出組で切目縁を支える

・下重の柱も円柱で、貫は用いす長押で固める
・軒は二軒で、組物は拳鼻付きの出組、中備は中央間のみ双斗で、他は間斗束
・中央間に幣軸付きの板戸を吊り、両側間に連子窓を設ける

アクセス
京都丹後鉄道天橋立駅下車、すぐです。
見学ガイド
智恩寺は常時自由に参拝することができます。多宝塔も自由に見ることができます。

感想メモ
和様を基調とした均整の取れた美しい多宝塔です。雪舟が天橋立図に描いた多宝塔かどうかについては議論があるようですが、水墨画のモデルになりそうな美しい塔です。
(2023年4月訪問)

参考
智恩寺公式サイト、宮津市公式サイト

 

 

地元大工の手による木造天主堂

宮津洗者聖若翰天主堂


みやづせんじゃせいよはねてんしゅどう
宮津市柳縄手
宮津洗者聖若翰天主堂35.535205, 135.195063
明治
三廊式教会堂、木造、建築面積208.09㎡、一部二階建、桟瓦葺

宮津洗者聖若翰天主堂は、宮津市の中心市街地、大手川北岸に位置します。明治中期、カトリック教会が教線を拡大する中で、但馬から若狭にかけて布教を進めたルイ・ルラーブ神父の設計により、地元の大工が施工を担って明治29年(1896)に完成した天主堂です。昭和2年(1927)の北丹後地震で被災し、正面ファサードなどが改められましたが、全体として当初の姿をよく残しています。長崎以外に現存する木造カトリック教会堂としては最古級の遺構です。
・ロマネスク様式を基調とした木造教会堂建築
・正面(写真右)切妻造、背面(写真左)半八角形の寄棟造で、その側背面に下屋を廻し、総桟瓦葺とする

・正面は妻壁を立ち上げモルタル塗の化粧壁とし、入口を三か所開く
・両端に小尖頭を立て、簇柱(ぞくちゅう)と半円アーチを各所に配す
・正面入口は三か所とも引戸を入れ、上部に半円のファンライトを設けてステンドグラスを嵌める

・上部中央にステンドグラスの薔薇窓を飾り、その上に「天主堂」の文字を陽刻する
・破風はロンバルト帯で飾り、頂部に鬼瓦のような形状のフィニアルと十字架を載せる

・後陣は半八角平面で中央に祭壇を構え、後陣の側背面の下屋部分を香部屋(地震後の増築)とする
・側背面の壁は下見板張とし、軒下は軒天井を張り、軒はバージボードを廻す

アクセス
丹鉄宮津駅下車、西600mです。
見学ガイド
外観は常時自由に拝観することができます。内部は、月、水、金、第二・第四日曜の午後、第二・第四土曜の午前及び午後に拝観することができます。

感想メモ
早朝に訪れました。空は曇っていましたが、宮津らしい、しっとりと落ち着いた朝の空気に包まれていました。地元の棟梁によって建てられた木造の教会堂は、周囲の風景に自然と溶け込み、温かみのある佇まいを見せています。
(2025年4月訪問)

参考
月刊文化財2024年3月号

 

 

和様の住宅風の仏堂

本願寺本堂


ほんがんじほんどう
京丹後市久美浜町
本願寺本堂35.601608, 134.902406
鎌倉後期
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、檜皮葺

アクセス
京都丹後鉄道久美浜駅東700mです。
見学ガイド
本願寺は常時自由に拝観することができます。本堂外観は常時見学することができます。
本願寺は久美浜湾の最奥部、久美浜の山裾に位置します。縁起によると、行基が開創し、その後、恵心僧都(えしんそうず)が復興したと伝えます。本堂は、鎌倉後期のものであると考えられています。
・桁行5間、梁間5間、単層入母屋造で、勾配が緩やかな檜皮葺
・正面側面は扉口を除き蔀戸を吊る

・軒は疎垂木で、柱は面取角柱、柱上は舟肘木と非常に質素
・長押で角柱を固める


感想メモ
五間堂としては小ぶりで、軒まわりなどは非常に簡素で落ち着いた和様の建物でした。
駅からの直行ルートはあまり面白みがないので、帰路は遠回りして久美浜湾の近くの旧市街を経由しました。かつて廻船業で栄えた趣のある街並みです。久美浜湾は湖のように静かで、旧市街からこれにそそぐ水路は水面が足元のすぐ近くにあって印象的でした。
(2022年8月訪問)

参考
京丹後市公式サイト

京都府丹波地域にある国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。
亀岡市
梅田神社本殿
遠山家住宅主屋、米蔵、借物蔵、長屋門
金輪寺五重塔
寶林寺九重塔
出雲大神宮本殿
愛宕神社本殿
延福寺十三重塔
南丹市
春日神社本殿
普濟寺仏殿
九品寺大門
大山祗神社本殿
小林家住宅主屋、小屋、土蔵
石田家住宅
船井郡京丹波町
大福光寺本堂
大福光寺多宝塔
渡邊家住宅
観音堂
九手神社本殿

 

 

鎌倉新様式の細部意匠

梅田神社本殿


うめだじんじゃほんでん
亀岡市旭町宮ノ元
梅田神社本殿35.084985, 135.556696
室町前期
一間社流造、檜皮葺

梅田神社は、亀岡市の最北端、桂川に注ぐ三俣川右岸の扇状地に鎮座しています。室町時代には丹波守護の細川氏の崇敬を受け、宝徳2年(1450)には細川勝元が神領地を寄進し、境内地とともに赦免地としたと伝えられています。本殿は建武5年(1338)の建立とされています。
・一間社流造、檜皮葺で7級の木階を設ける

・身舎・庇とも組物は連三斗で、身舎中備は正面蟇股、残り三面は蓑束

・庇の中備も蓑束
・庇頭貫はやや細めで、緩やかな曲線を用いて虹梁形につくる

・妻は扠首組

・身舎頭貫に大仏様系の木鼻を用い、斗棋肘木に禅宗様の笹繰を施す

アクセス
JR山陰線八木駅、亀岡駅からの路線バスがあります。
見学ガイド
梅田神社は常時自由に参拝することができます。本殿もすぐ近くから拝観することができます。

感想メモ
正月に参拝しました。近くの出雲大神宮は初詣客で賑わっていましたが、こちらは大変静かでした。均整の取れた美しい社殿で、鎌倉新様式の細部意匠も大変興味深いものがあります。
(2026年1月訪問)

参考
総覧日本の建築6-I

 

 

丹波国一宮の大規模な本殿

出雲大神宮本殿


いずもだいじんぐうほんでん
亀岡市千歳町出雲
出雲大神宮本殿35.059402, 135.578403
室町前期
三間社流造、檜皮葺

出雲大神宮は丹波国分寺史跡の北方、御影山山麓にある式内社,で、丹波国一宮です。本殿の背後にある御影山は古くから神体山として崇められ、神殿を常設する以前の神体山信仰の形態を示す図面が残されています。本殿は,貞和2年(1349),足利尊氏の造立とも、文安2年(1445)細川勝元の造営であるともいわれています。
・滋賀県下に広く見られる前庇を前室とした形式の三間社流造で、正面に向拝一間をつける
・前庇を外陣、身舎を内陣・内々陣にあてる
・外陣と内陣部分には高欄付きの縁をまわし、身舎側面の中央柱の位置に脇障子を立てて見切り、身舎後半部には縁をまわしていない
・前庇と向拝の中備に極彩色の華麗な蟇股を置く
・妻は扠首組
・規模が大きく、木割も太く、簡潔な意匠でまとめられている

・外陣正面には蔀戸が吊られている

・前室、向拝とも面取角柱で、柱上は連三斗
・向拝には彩色が施された手挟が付く

・瑞垣脇より2019年に撮影(2026年正月にはこの場所への立ち入りが禁止されていた)

アクセス
JR山陰線亀岡駅と千代川駅を結ぶ川東線のバスが参道入口に停車します。
見学ガイド
出雲大神宮は常時自由に参拝することができます。本殿前面は拝殿で塞がれているため、正面からは屋根しか拝観することができませんが、磐座に至る参道から本殿側面を拝観することができます。

感想メモ
お正月に訪問しました、駅からの臨時シャトルバスも運行されていて、大勢の参拝客で賑わっていました。本殿は丹波国一宮にふさわしく、簡素ながらも堂々とした社殿です。
(2019年1月、2026年1月訪問)

参考
総覧日本の建築6-I、出雲大神宮公式サイト

 

 

優美な笹竜胆の蟇股を持つ

春日神社本殿


かすがじんじゃほんでん
南丹市園部町高屋
春日神社本殿35.124227, 135.500191
室町前期
一間社流造、檜皮葺

春日神社は桂川の上流、大堰川右岸の田園地帯に鎮座します。奈良春日大社と縁故があるといわれ、平安時代の創立とされています。現在の社殿は、形式などから室町時代初期の建立と考えられています。
・一間社流造檜皮葺で、地長押、 切目長押、内法長押を廻す
・縁を三方に廻し、浜床を付す

・大面取りの向拝柱(写真左)や直線的な繋虹梁はこの時代の特徴

・身舎正面の笹竜胆の蟇股は左右対称で、これもこの時代の特徴を示す

左側面: 
・二軒の繁垂木で、妻飾は扠首組
・柱上は三斗組で、柱間には蓑束を配している

・鬼瓦も時代の特徴を表すとされている

アクセス
JR山陰本線船岡駅下車、徒歩20分です。駅前の府道を右に進み、橋の手前を右折、川沿いを進んで最初の集落に入ってすぐです。
見学ガイド
春日神社本殿は、いつでも自由に見学することができます。拝殿や瑞垣など、視界を遮るものが一切ないので、どの角度からも大変よく見ることができます。

感想メモ
均整の取れた美しい社殿です。室町前期の建築の特徴が凝縮されていて興味深いです。
(2020年12月訪問)

参考
現地案内板

 

 

典型的な禅宗様の小堂

普濟寺仏殿


ふさいじぶつでん
南丹市園部町若森
普濟寺仏殿35.057049, 135.457002
室町前期
桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺、背面突出部附属、板葺

普濟寺は園部の市街地南方の山間部に位置しています。創建は明らかではありませんが、荒廃していた寺院を寛永11年(1634)に亀山城主菅沼織部正定芳が復興し、曹洞宗に改めたものです。仏殿の建立年代は南北朝時代であると考えられています。
・方三間、単層、檜皮葺で、軒が大きく反りあがる禅宗様建築

・禅宗様の藁座付桟唐戸と花頭窓

・二手先尾垂木付詰組、波状連子をはめた弓欄間、柱上の粽と台輪なども禅宗様の特徴

・二軒の扇型垂木で、尾垂木の先端は鋭く繰られている

アクセス
JR山陰本線亀岡駅と園部駅を結ぶバスで農芸高校前下車、北400mです。バスの本数が少ないため、JR園部駅西口のレンタサイクルが便利です。駅からは約7kmで、高低差100m程度の上りですが、電動アシストなら全く問題ありません。
見学ガイド
普濟寺仏殿は常時自由に見学することができます。仏殿は南東に面しています。

感想メモ
小堂ですが禅宗様の特徴が詰め込まれていて興味深いです。
(2021年12月訪問)

参考
現地解説板

 

 

戦乱で荒廃した古刹に唯一残された鎌倉建築

九品寺大門


くぼんじだいもん
南丹市園部町船阪
九品寺大門35.101231, 135.441746
鎌倉後期
三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺

九品寺は園部の市街地西方の田園地帯に位置します。弘法大師創建とも伝わる古刹ですが、中世の戦乱によって伽藍は焼失するなどして荒廃し、現在では大門のみが残ります。
・三間一戸の楼門で、屋根は入母屋造桧皮葺
・鎌倉時代後期の様式を伝える

・軒は二軒の平行繁垂木で、和様の二手先のす疎組の組物
・腰組も和様の二手先で、下層頭貫の木鼻には禅宗様の渦巻き模様がみられる

アクセス
JR山陰本線亀岡駅と園部駅を結ぶバスで九品寺前下車すぐです。バスの本数が少ないため、JR園部駅西口のレンタサイクルが便利です。駅からは約5kmです。
見学ガイド
九品寺大門は常時自由に見学することができます。大門は東面しています。

感想メモ
今は門以外の古建築は残されていませんが、立派な楼門で、往時の繁栄が偲ばれます。
(2021年12月訪問)

参考
現地解説板

 

 

箱棟の鬼面が特徴

大山祗神社本殿


おおやまずみじんじゃほんでん
南丹市園部町大河内溝ノ上
大山祗神社本殿35.054638, 135.406410
室町中期
一間社流造、こけら葺

大山祗神社は京都・大阪・兵庫の三府県境に近い山間の集落に鎮座しています。藤原純友の弟が熊野三所権現 を祀ったことに始まり、文中3年 (1374) に楠正季がこの地に社地を改めたと伝えられています。本殿は、応永26年(1419)に造り替えられたと伝えられています。
・一間社流造で、杮葺きの屋根に箱棟をのせ、鬼板をすえる

・鬼板は鬼面の彫刻を取り付けた珍しいもの

アクセス
JR山陰本線亀岡駅と園部駅を結ぶバスから八田地区のコミュニティバスに乗り継ぐルートがありますが、本数が少ないのであまり現実的ではないように思います。
園部駅西口のレンタサイクルが便利です。神社までの距離は約12kmで、高低差200mの上り、アップダウンもありますが、電動アシストだとそれほど大変な距離ではありません。国道477号線経由と県道大河内口八田線経由の2ルートがありますが、距離はほとんど変わりません。それぞれ、普濟寺、九品寺の近くを経由するので、往復で使い分けるとこの辺りの文化財を効率的に回ることができます。
見学ガイド
大山祗神社には常時自由に参拝することができます。本殿には覆屋がかけられていますが、前面が開放され、覆屋内にも立ち入ることができるので、本殿を間近に見ることができます。覆屋の背が低いので、屋根の箱棟はほとんど見ることができません。

感想メモ
このあたりまで訪ねてくる人は珍しいようで、地元のおばあさんが話しかけてこられました。園部から自転車で来たと言うと、よう遠いところから来られたと感心してもらえました。
神社は集落の奥の林の中です。神秘的な雰囲気と適度に荒れた世俗的な雰囲気が入り混じっています。
(2021年12月訪問)

参考
現地解説板

 

 

蕨の毘沙門さんの鎌倉建築

大福光寺


だいふくこうじ
船井郡京丹波町下山岩ノ上
大福光寺本堂35.217079, 135.431785
鎌倉後期
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、檜皮葺
大福光寺多宝塔35.216788, 135.431631
鎌倉後期
三間多宝塔、檜皮葺

雲晴山大福光寺は由良川上流の高屋川右岸河岸段丘上に位置します。真言宗御室派の古刹で、南北朝時代には、足利氏の祈祷所として栄えました。本尊に毘沙門天を祀ることから蕨の毘沙門さんとも呼ばれています。方丈記最古の写本を所蔵していることでも知られています。
もとは現在地より北方の空山(深山)にありましたが、嘉暦2年にこの地に移り、諸堂が建立されました。天正年間の兵火により多くの堂宇は焼失しましたが、本堂と多宝塔は難を逃れました。
本堂と多宝塔



本堂

・方五間単層入母屋造桧皮葺で、鎌倉時代の様式を残す
・長押、連子窓、隅角のある肘木、切目縁などの和様と、藁座付き桟唐戸、扇垂木などの禅宗様を折衷している
・長押と藁座が併存して桟唐戸を支えるのは過渡期の様式であり珍しい



多宝塔

・方三間二層桧皮葺で、鎌倉・室町時代の様式を伝える
・上重は円柱、下重は大面取角柱で、それぞれ長押で固める
・上下とも二軒の平行繁垂木で、組物は和様で、上重が四手先、下重が出組

・下重に彩色が施された蟇股12枚(内4枚は江戸時代の後補)を飾る

アクセス
JR山陰本線下山駅下車徒歩25分です。駅前の交番の前の坂道を下り、下りきったら鋭角に左折します。橋を渡ったところで右折し、今度は河岸段丘をのぼります。登り口に大福光寺の案内板があります。上り終えた辺りに工業団地との分岐があるので、左折すると、あとは段丘上のなだらかな坂道を道なりに進みます。
見学ガイド
本堂と多宝塔はいつでも自由に見ることができます。

感想メモ
それほど多くの人が訪れる地域ではありませんが、ここにも立派な鎌倉建築が残り、鴨長明の方丈記の写本も所蔵するなど、京都の文化の奥深さを感じます。
(2020年12月訪問)

参考
京丹波町観光協会公式サイト

 

 

北船井型の茅葺き民家

渡邊家住宅


わたなべけじゅうたく
船井郡京丹波町下山岩ノ上
渡邊家住宅35.216682, 135.430947
江戸中期
桁行12.8m、梁間9.8m、入母屋造、北面突出部附属、茅葺

渡邊家住宅は大福光寺の近くの田園地帯にあります。建築年代に関する記録は残されていませんが、およそ17世紀末から18世紀はじめに建てられたものであると推測されています。
・北船井型と呼ばれる平入、入母屋造りの茅葺き民家で、内部は、田の字型間取りの4間と土間などから成る

アクセス
JR山陰本線下山駅下車徒歩25分です。大福光寺のすぐ近くに位置しています。
見学ガイド
渡邊家住宅は通常は非公開です。町役場のサイトには事前予約制で見学が可能との記載があります。住宅は公道からも見ることができますが、周囲の附属屋のため全体を見るのは難しいと思います。

感想メモ
周囲より一段高い敷地に建つ立派な建築です
(2020年12月訪問)

参考
京丹波町観光協会公式サイト

京都市右京区・西京区にある国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。
京都市右京区
妙心寺仏殿、法堂、玄関、大方丈、小方丈、庫裏、南門、勅使門、山門、浴室、経蔵、寝堂、北門
玉鳳院開山堂
玉鳳院四脚門(微笑庵前門)
衡梅院本堂
退蔵院本堂
天球院本堂
靈雲院書院
仁和寺金堂
仁和寺御影堂、観音堂、五重塔、鐘楼、経蔵、飛濤亭、遼廓亭、二王門、本坊表門、中門、御影堂中門、九所明神本殿(左殿)、九所明神本殿(右殿)、九所明神本殿(中殿)
福王子神社本殿、拝殿、鳥居
常寂光寺塔婆(多宝塔)
覚勝院宝篋印塔
大覚寺客殿(対面所)
大覚寺宸殿
愛宕念仏寺本堂
広隆寺桂宮院本堂
広隆寺講堂
為因寺宝篋印塔
神護寺大師堂
高山寺石水院(五所堂)
高山寺如法経塔
高山寺宝篋印塔
長福寺宝塔
竜安寺本堂
京都市西京区
西芳寺湘南亭本家、待合及廊下、待合及廊下
善峰寺多宝塔
松尾大社本殿

 

 

木賊(とくさ)葺きの本殿

福王子神社


ふくおうじじんじゃ
京都市右京区宇多野福王子町
福王子神社本殿35.029084, 135.709135
江戸前期
一間社春日造、こけら葺
拝殿35.028955, 135.709103
江戸前期
桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、こけら葺
鳥居35.028872, 135.709087
江戸前期
石造明神鳥居

福王子神社は、仁和寺の西方、周山街道に近い市街地に鎮座しています。この地には、宇多天皇の母の陵墓があったと伝えられています。明治時代までは仁和寺の鎮守として崇敬され、現在では周辺地域の氏神として信仰を集めています。社殿は仁和寺諸堂とともに応仁の乱で焼失し、現存する社殿は仁和寺が寛永年間に再興された際、徳川家光によって再建されたものです。


本殿

・一間社春日造の正統的な様式の社殿
・亀腹上に土台を置いて柱を立て、身舎は三方に縁を回す

・正面には格子戸を建て、内外陣境には幣軸付板扉を構える

・組物は三斗組として中備に蟇股を置く

・庇は海老虹梁でつなぐ

・屋根はこけら葺きよりも寸法の大きな木片を用いた木賊葺き



拝殿

・桁行三間、梁間二間、入母屋で、屋根はこけら葺、妻は木連格子
柱は角柱で柱間はすべて開放
・四面には切目縁を回し、床は拭板敷

・軒は一軒疎垂木で、柱上は舟肘木



鳥居

・形の整った石造明神鳥居

アクセス
嵐電宇多野駅下車、北400mです。JR京都駅、JR山陰線円町駅、阪急大宮駅・西院駅・烏丸駅などからは、バスで福王子下車すぐです。、
見学ガイド
福王子神社は常時自由に参拝することができます。本殿は瑞垣越しの拝観になります。拝所や摂社などがあり、視角は限られます。

感想メモ
珍しい木賊葺きの社殿です。昭和48年の重文指定時には銅板葺きとして登録されているので、その後旧態に復されたもののようです。
(2022年2月訪問)

参考
京都市観光協会公式サイト、国指定文化財等DB、解説版新指定重要文化財11

 

 

関西形式の宝篋印塔

覚勝院宝篋印塔


かくしょういんほうきょういんとう
京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町
覚勝院宝篋印塔35.024293, 135.674543
室町前期
石造宝篋印塔、基壇付

覚勝院宝篋印塔は、清凉寺近くの覚勝院境外墓地に建つ室町時代の宝篋印塔です。
・関西形式の宝篋印塔で、均整がとれ、細部の意匠も優れている

・笠は上部6段、下部2段と標準的で、隅飾は二弧輪郭付

・塔身には四仏を刻む

・基礎は格狭間が一区画の関西形式で、正面のみ格狭間内に蓮華を浮彫する
・基礎上端は複弁反花

アクセス
JR山陰線嵯峨嵐山駅北1kmです。宝篋印塔は清凉寺の北東に隣接する覚勝院境外墓地の中にあります。大沢池近くの覚勝院の境内とは離れた場所にあります。
見学ガイド
覚勝院墓地は関係者以外立ち入り禁止ですが、生垣の背が低いので生垣越しに宝篋印塔を見学することができます。

感想メモ
以前、覚勝院を訪問した時は門が閉ざされたいたので宝篋印塔の見学をあきらめましたが、塔は境外の墓地の中にあると知り再訪しました。残念ながら墓地は関係者以外立ち入り禁止でしたが、生垣越しに宝篋印塔の優美な姿を見ることができました。生垣から少し距離があったので細部は良く見えませんでしたが、デジカメの写真を拡大してみて細部も繊細な意匠であることがよく分かりました。
(2023年2月訪問)

参考
石仏と石塔!(河合 哲雄)

 

 

御所の御殿の様式を伝える

大覚寺


だいかくじ
京都市右京区嵯峨大沢町
大覚寺客殿(対面所)35.028339, 135.678178
桃山
桁行正面七間、背面八間、梁間四間、一重、入母屋造、檜皮葺
大覚寺宸殿35.028124, 135.678327
江戸前期
桁行20.0m、梁間13.6m、一重、入母屋造、檜皮葺

大覚寺は嵯峨野の北部、大沢池の畔に境内を構える真言宗寺院です。貞観18年(876)に嵯峨天皇の離宮嵯峨院を仏寺に改めたのが大覚寺の起こりで、鎌倉時代には後嵯峨院、亀山院に続き後宇多院が入寺して、後の南朝につながる大覚寺統の皇統の発端となりました。後宇多院は伽藍の整備を行い、真言宗道場として興隆をみましたが、応仁の乱の兵火で諸堂は灰塵に帰してしまいました。現在の寺観は桃山時代以降、漸次その基礎が整えられたものです。


客殿(対面所)

・前身の建物は法皇が院政を執られていた御殿で、応仁の乱で焼失
・この建物は桃山時代の再建で、門跡の居室・寝室、日常の接客の御殿として用いられたもの
・御所の常御殿と類似した平面を示す
・写真左の南側を正面とした妻入りで、縁の内側に入側を設け、3列の座敷が並ぶ
・東端の列には、奥から「剣璽の間」「御冠の間」「紅葉の間」「竹の間」が並ぶ
・「剣璽の間」は三種の神器を安置した部屋で、「御冠の間」は門跡が冠を置いて執務された部屋、「紅葉の間」「竹の間」は門跡に接見するための部屋

・南面の縁と、障子の内側が入側
・三列の座敷はさらにその奥に並ぶ(特別公開時に撮影、座敷内部は撮影禁止)

・写真は東側面
・門跡が執務された東列の座敷の東側に細長い「狭屋の間」が配されており、幼くして寺に入られた門跡のために障子の低い位置に動物の絵が描かれている
・写真左から客殿に延びる廊下は「村雨の廊下」で、刀が振り上げられないよう天井が低く造られている

・右が西側面で左が北背面(特別公開時に撮影)

・柱は角柱で、柱上は舟肘木、軒は一軒疎垂木、木舞裏(写真は西側面で特別公開時に撮影)

・正面の妻は意匠が凝らされている



宸殿

・江戸時代、後水尾天皇より下賜された寝殿造りの建物
・天皇に入内された徳川2代将軍秀忠の娘、東福門院和子が、 女御御殿の宸殿として使用していたもの

・四周に鴬張りの広縁を回す
・南側正面は全面に蔀を吊る
・これらは御所御殿の造りを伝えるもの

・広縁は疎垂木で木舞裏天井
・柱上は舟肘木

・蔀戸の金具には蝉の装飾が施されている
・蝉は殺生を行わず生涯を終えることから、平和の象徴であると考えられていた

・背面は全面を舞良戸とし、この奥にも座敷が配置されている

・側面の開口部も舞良戸

・妻には繊細な意匠が施されている

・南面中央の牡丹の間は、最も格式の高い部屋で、襖絵は狩野山楽によるもの(複製)

・牡丹の間は格式の高い折上小組格天井

・牡丹の間と東側の柳松の間の間には繊細な意匠の欄間が嵌められている

・柳松の間も豪華な襖絵で飾られるが、天井は格子天井で、折上は見られない

アクセス
JR山陰線嵯峨嵐山駅、阪急松尾大社駅などから門前まで入るバスがあります。
見学ガイド
大覚寺は有料で拝観することができます。客殿内部は非公開で、少し離れた場所から外観を拝観することができます。宸殿は広縁から室内を拝観することができます。室内の写真撮影も認められています。客殿内部は不定期で特別公開されることがあります。

感想メモ
客殿の特別拝観の際に訪問しました。入口は通常の拝観入口ではなく、普段は非公開の明智陣屋から入ります。それだけでも特別な雰囲気があり、気分が高まります。拝観中には、僧侶の方から千年にわたる大覚寺の長い歴史について詳しくうかがうことができました。
客殿は桃山時代に再建された建物で、法皇が実際に院政を執られた当時の建物ではありません。しかし、内部の造りには院政期の様式がよく伝えられており、まるでこの場所が院政の舞台であったかのような感覚を覚えます。
拝観を終えた後は写経を行い、静かな時間を過ごしたのち、大覚寺を後にしました。
(2026年2月訪問)

参考
僧侶のお話、現地パンフ、総覧日本の建築6-I

 

 

古い様式の宝篋印塔

為因寺宝篋印塔


いいんじほうきょういんとう
京都市右京区梅ケ畑奥殿町
為因寺宝篋印塔35.047027, 135.681545
鎌倉前期
石造宝篋印塔(覆鉢及び九輪上部を欠く)
文永二年乙丑八月八日造立の刻銘がある

為因寺は、右京区の市街地から周山街道を高雄方面に入った梅ケ畑の高台にある寺院で、江戸時代までこの付近にあった比丘尼寺・善妙寺の寺跡を継ぐものです。宝篋印塔も、もとは善妙寺にあったもので、釈迦の十大弟子の一人で初めて女人を出家させたとされる阿難尊者を供養するために尼僧たちが建立したものであると考えられています。
・高さ2メートルの宝篋印塔
・基礎の一部が欠け、相輪も破損しているが、ほぼ完存している
・高山寺の宝篋印塔とともに、最も古い様式を示す

・笠の四隅の突起は、別石で非常に大きい
・四隅の突起の外側の線が直立した古い形を伝えている

・塔身正面には、「阿難塔」の文字が刻まれている

・塔身背面には、鎌倉時代中期の文永二年(1265)八月の紀年銘を持つ 

アクセス
JR京都駅、JR山陰線円町駅、阪急大宮駅・西院駅・烏丸駅などからバスで高雄小学校前下車、集落の中の道路を西に進み、すぐに駐在所が見えてくるので、駐在所に向かって左折し、駐在所で右折して駐在所の横の路地を道なりに進んだ左側に為因寺があります。一般の民家のような建物なのでうっかりすると通り過ぎてしまいます。宝篋印塔は門を入ってすぐを右に回り込んだところにあります。
見学ガイド
境内は日中であれば自由に拝観できるものと思われます。宝篋印塔の周囲に柵等は設けられていないので、間近に見ることができます。背面には植栽があって回り込むことができません。コンデジであれば手を伸ばして背面の写真を撮ることができます。

感想メモ
一般の住宅のようなお寺で、境内に入るのは気が引けますが、非公開との情報もないので拝観させてもらいました。
笠の隅の飾りが非常に大きな宝篋印塔です。宝篋印塔のあった善妙寺は承久の乱で命を落とした公家の未亡人が出家して暮らして寺院で、宝篋印塔は乱から約40年後に尼僧たちによって建てられたものとのこと。山間の小寺の前庭にある石塔ですが歴史の深さを感じさせます。
(2022年2月訪問)

参考
現地解説板

 

 

弘法大師の住居跡に建つ仏堂

神護寺大師堂


じんごじだいしどう
右京区梅ケ畑高雄町
神護寺大師堂35.054061, 135.669532
桃山
桁行左側面四間、右側面五間、梁間三間、一重、入母屋造、こけら葺

神護寺は高雄山中腹に位置する真言宗の古刹です。もとは和気氏の氏寺で、809年(大同4)から14年間弘法大師が住持しました。その後、荒廃しましたが、平安末期、文覚上人が再興しました。大師堂は桃山時代に豊前国小倉藩初代藩主・細川忠興が弘法大師の住まいであった納涼坊跡に再建したものです。
・妻入り、入母屋造、こけら葺きの住宅風の和様建築
・正面には蔀戸を吊る
・軒は疎垂木で、柱は角柱、柱上は舟肘木と簡素な造り

アクセス
JR京都駅、JR山陰線円町駅、阪急大宮駅・西院駅・烏丸駅などからバスで高雄下車、20分です。
見学ガイド
神護寺は有料で公開されています。拝観時間は9:00~16:00です。大師堂は通常は外観のみの見学ですが、11月初旬に内部が特別公開されます。大師堂は東面しています。

感想メモ
バス停から谷底まで下り、川を渡って、同じくらいの高さまで、また上ります。行きも帰りも大変でした。バスの乗車時間も長くて、繁忙期で、もし立席ならかなりの苦行です。
高雄には紅葉時期しか来たことがなかったと思いますが、静かな時期も良いものです。
(2022年2月訪問)

参考
京都市観光協会公式サイト

 

 

鳥獣人物戯画で知られる

高山寺


こうざんじ
京都市右京区梅ケ畑栂尾町
高山寺石水院(五所堂)35.060114, 135.678569
国宝・鎌倉前期
桁行正面三間、背面四間、梁間三間、正面一間通り庇、一重、入母屋造、妻入、庇葺きおろし、向拝一間、こけら葺
高山寺如法経塔35.061462, 135.678528
鎌倉後期
石造一重塔
高山寺宝篋印塔35.061465, 135.678515
鎌倉後期
石造宝篋印塔(九輪上部を欠く)

高山寺は高雄の北、栂尾に位置する古刹です。創建は奈良時代に遡るともいわれ、もとは神護寺の別院でしたが、建永元年(1206)に明恵(みょうえ)上人が後鳥羽上皇より寺域を賜り、名を高山寺として再興しました。鳥獣人物戯画などの宝物を所蔵し、日本最古の茶園が残されていることでも知られています。
石水院は五所堂とも呼ばれ、現在の建物は、創建当時東経蔵として金堂の東にありました。安貞2年(1228)の洪水で、東経蔵の谷向いにあったもとの石水院が滅亡し、その後、東経蔵が春日・住吉明神をまつり、石水院の名を継いで、中心的堂宇となりました。寛永14年(1637)の古図では、内陣と顕経蔵・密経蔵から成る経蔵兼社殿となっています。明治22年(1889)に現在地へ移築され、住宅様式に改変されました。明恵上人時代の唯一の遺構で、国宝に指定されています。


石水院

・桁行南面3間、北面4間、梁間3間、西面1間通り庇
・一重入母屋造、妻入、向拝付

・北面

・西面(廂(ひさし)の間はかつて春日・住吉明神の拝殿であったところで、正面には神殿構の板扉が残る
・欄間に富岡鉄斎筆「石水院」の横額がかかる
・落板敷の中央に、今は小さな善財童子(ぜんざいどうじ)像が置かれている
・周囲は蔀戸、菱格子戸で区画されている

・拝殿跡には、古風な左右対称の蟇股がみられる

・南縁の欄間には後鳥羽上皇の筆と伝わる「日出先照高山之寺」の勅額がかかる



宝篋印塔、如法経塔

・宝篋印塔の右隣が如法経塔
・開山堂上の明恵上人御廟の前庭に建立されている
・宝篋印塔は高さ約3.2メートル、如法経塔は高さ約1.4メートル
・宝篋印塔は、高山寺型と呼ばれる古式の塔で、大きな隅飾を持つのが特徴
・如法経塔は、一重で基礎上に塔身、笠、宝珠を置く簡素な形式

アクセス
JR京都駅、JR山陰線円町駅、阪急大宮駅・西院駅・烏丸駅などからバスで栂ノ尾下車すぐです。JRバスの始発は京都駅で、市営バスの始発は烏丸駅です。乗車時間が長いので、繁忙期は始発駅から座っていくのがおすすめです。
見学ガイド
石水院は有料で公開されています。拝観時間は8:30~17:00です。庭に降りることができないので、建物の全体像を見ることはできません。外観は塀越しに屋根の一部を見ることができる程度です。石水院以外は自由に参拝することができますが、紅葉時期は有料になります。二基の石塔は開山廟の敷地内にありますが、敷地の手前に柵が設けられているので、離れたところから低い塀越しに見学することになります。二基の宝篋印塔のうち重文指定されているのは奥の大きな方の宝篋印塔です。重文指定の如法経塔は、その奥側に隣接している石塔です。

感想メモ
国宝の石水院は神仏分離でもとの姿が失われていますが、明治時代に改変された書院風の意匠も周囲の環境と調和して落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
(2022年2月訪問)

参考
高山寺公式サイト

 

 

珍しい両流造の社殿

松尾大社本殿


まつおたいしゃほんでん
京都市西京区嵐山宮町
松尾大社本殿34.999934, 135.685019
室町後期
桁行三間、梁間四間、一重、両流造、檜皮葺

松尾大社は嵐山南方の桂川右岸に鎮座します。渡来人秦氏が一族の氏神として信仰した古社で、平安遷都以降,上・下賀茂社とともに王城鎮護の社として崇敬厚く、境内に霊亀ノ滝、亀ノ井の名水があることから、中世以降は酒造家の信仰を集めてきました。本殿は、創建以来、皇室や幕府の手で改築され、現在の本殿は室町初期の応永の建造で、天文11年(1542)に大修理されたものです。
・上段写真が本殿左(南)側面で、下段写真が右側面
・側面2間の身舎の前後両方に庇を設ける方式で、両流造(松尾造)と称される
・内部は身舎部分を内陣、前後庇部分をおのおの外陣・後陣として3室に分ける
・この様式は天文の改造時に採用されたものであると考えられている

・桁行は三間

・写真手前は釣殿で、木階から奥が本殿

・本殿の箱棟には菊の御紋が飾られ、唐破風形の珍しい棟端を持つ

アクセス
阪急嵐山線松尾大社駅下車すぐです。
見学ガイド
松尾大社は常時自由に参拝することができます。本殿は瑞垣に囲われており、屋根の一部を拝観できる程度です。神職の説明による特別拝観が時間を定めて実施されています。

感想メモ
北側の神苑(有料)からは何とか両流であることが確認できましたが、逆光です。向拝などの細部意匠が優れているとの解説がありましたが、これも全く拝観することはきませんでした。
(2023年2月訪問)
正月に参拝しました。檜皮葺の屋根に雪が残り、美しい姿を拝観することができました。社殿の南側は瑞垣越しに屋根の一部を拝観することができますが、忍び返しの柵などが邪魔をしてうまく写真を撮ることができません。行儀が悪かったですが片手をを突き上げて何枚か撮ると、うまく両流造の姿を捉えることができました。
(2026年1月訪問)

参考
松尾大社公式サイト、京都市観光協会公式サイト、総覧日本の建築6-I

岡山県岡山・備前地域にある国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。
岡山市北区
守福寺宝殿
八幡神社鳥居
岡山城月見櫓
岡山城西丸西手櫓
吉備津神社本殿及び拝殿
吉備津神社御釜殿
吉備津神社南随神門
吉備津神社北随神門
鼓神社宝塔
旧犬養家住宅主屋、土蔵
旧旭東幼稚園園舎
備前市
旧閑谷学校講堂、習芸斎及び飲室、文庫、小斎、公門
旧閑谷学校聖廟大成殿、中庭、文庫、東階・西階(東階)、東階・西階(西階)、校門(鶴鳴門)、石階、繋牲石、外門、厨屋、練塀
旧閑谷学校石塀
閑谷神社(旧閑谷学校芳烈祠)本殿(芳烈祠)、幣殿(階)、拝殿(中庭)、神庫(庫)、石階、繋牲石、中門(外門)、練塀
真光寺本堂
真光寺三重塔
大滝山三重塔
瀬戸内市
本蓮寺本堂
本蓮寺番神堂東祠、中祠、西祠
本蓮寺中門
餘慶寺本堂
和気郡和気町
旧大國家住宅主屋、蔵座敷、酉蔵、中蔵、乾蔵、井戸場
加賀郡吉備中央町
吉川八幡宮本殿
妙本寺番神堂

 

 

室町時代の石造の権現堂

守福寺宝殿


しゅふくじほうでん
岡山市北区下足守
守福寺宝殿34.726474, 133.816240
室町前期
石造、切妻造、妻入、向拝一間
暦応元年戊寅十一月二十二日の刻銘がある

守福寺宝殿は、岡山市北西部、下足守の集落奥の山林に入ったところにあります。王子権現を祀る王子堂として、室町時代初期に前身の建物(平安時代の絵図に描かれている)から建て替えられたものであると考えられています。
・花崗岩製で、間口0.8m、高さ2m、奥行きは1.4m
・長方形の板石で三方を囲み、側面は二石からなる
・向拝柱と身舎の間に板石を渡して、高床にしている
・正面は切妻で中央に束を刻み出し、背面は寄棟
・軒には垂木を刻み出している

・向かって左側向拝柱正面には「王子・・」の文字が刻まれている

・向かって右側向拝柱正面には「暦応元年戊寅十一月二十二日」の文字が刻まれているとのことだが、判読は難しい

アクセス
JR吉備線足守駅下車、北4kmです。備中高松駅のレンタサイクルを利用することができます。守福寺までは6kmで、後半は高低差80mの上りです。
見学ガイド
守福寺宝殿は常時自由に参拝することができます。すぐ近くから見ることができます。

感想メモ
吉備路レンタサイクルで向かいました。平地用のレンタサイクルなので上りはなかなか大変でした。宝殿は集落の裏山の人の気配のないところにあって、少し鳥肌が立ちます。
宝殿は素朴な石造物ですが、垂木や束なども丁寧に刻み出しています。
(2024年5月訪問)

参考
岡山県公式サイト、おかやまの石造物(岡山県)

 

 

在銘の石鳥居として最古級

八幡神社鳥居


はちまんじんじゃとりい
岡山市北区下足守
八幡神社鳥居34.720080, 133.807523
室町前期
石造両部鳥居
康安元年辛丑十月二日の刻銘がある

八幡神社は岡山市北西部の田園地帯に鎮座する旧足守藩の総鎮守です。石鳥居は康安元年(1361)の造立で、近隣の鼓神社宝塔(重要文化財)と同じく石工妙阿の作です。
・花崗岩製の明神鳥居で、高さ4.3メートル
・柱が太く低目ぎみに見える時代的特徴を示す
・柱の基部に稚児柱(後補)を伴う両部鳥居で、石鳥居では珍しい形式

・向かって右側の柱の内側に「康安元年辛丑十月二日、願主神主賀陽重人」、「大工沙弥妙阿」、「祝主僧頼澄」の刻銘がある

アクセス
JR吉備線足守駅下車、北3kmです。備中高松駅のレンタサイクルを利用することができます。守福寺までは4.5kmで、ほぼ平坦です。
見学ガイド
八幡神社鳥居は常時自由に見学することができます。

感想メモ
しっかりと安定感のある鳥居です。風化が進んでいて銘文を読むことはできませんでした。
(2024年5月訪問)

参考
岡山県公式サイト、岡山市公式サイト、石仏と石塔!(河合哲雄)

 

 

要塞と展望座敷の二つの顔を持つ櫓

岡山城


おかやまじょう
岡山市北区丸の内一丁目、二丁目
岡山城月見櫓34.665349, 133.935145
江戸前期
二重二階隅櫓、一部地階、本瓦葺
岡山城西丸西手櫓34.664943, 133.930906
桃山
二重二階隅櫓、本瓦葺

岡山城は、岡山駅の東方、旭川右岸に位置しています。岡山に進出した戦国武将・宇喜多直家の子である宇喜多秀家によって築城され、天守は1597年に完成したとされています。その後、城主となった小早川秀秋や池田氏によって城郭および城下町はさらに拡張され、現在の姿へと発展しました。
天守は第二次世界大戦で失われましたが、江戸時代以前の建築としては、月見櫓と西丸西手櫓が現存しています。西丸西手櫓は、姫路藩主・池田輝政の子である利隆が岡山に入城した慶長8年(1603)頃に建築されたものです。一方、月見櫓は元和から寛永年間(1615~1643)にかけて建築されたと考えられています。
・写真右が黒漆塗の下見板が特徴で烏城と呼ばれる天守(昭和時代の再建)で、左は対照的に白漆喰の月見櫓



月見櫓

・岡山城本丸中の段の北西隅にあり、城の裏口を守備する役割を担っていた
・一部地下付きの塗籠造り本瓦葺き二階建

・城内(南東)側から眺めると三層の層塔型を呈している

・城外側から眺めると二層の望楼型を呈している

・南面及び東面は一階と地階の間に庇が設けられている

・棟の鬼瓦は池田家の家紋である揚羽蝶の意匠

・一階は、西面(下段写真)が唐破風造りの出格子窓、北面(上段写真)が片流屋根を持つ出格子窓を設け、共に石落しを組み込んで、城外側へ備えとしている
・二階は、西面の初層屋根の妻部に千鳥破風の格子窓、北面の踊場に唐破風造りの武者窓、北壁に引き違い窓を設けて、一階同様に城外側への備えを厳しくしている

・一階北面出格子窓には石落としが設けられている

・二階西側の千鳥破風の裏は武者隠しの小部屋で、外部を監視・攻撃できるようにしてある

・二階北面の踊場の唐破風造りの武者窓

・地階部分にあたる石垣頂部には半円形の刳りを入れた銃眼がほぼ一間おきに開けられている

・二階の城内側の東面と南面には雨戸を持った手摺付きの縁側が廻り、内側に明り障子を立てるなど、日常生活向けの御殿仕様となっている
・これは、櫓が建てられたのが元和の偃武の時期にあたり、豊臣家が滅亡して戦乱の危機が低下したことによるもの

・二階は天井を張り、柱に釘隠しの装飾なども施し、障子も入れている



西丸西手櫓

・塗籠造り、二階建入母屋造、本瓦葺で大棟両端に一対の鯱をのせる
・東面(城内側)一階には二か所の小窓が設けられている
・内部は土間で武器や兵糧の保管場所として利用された
・東面二階の窓は広く開放的で障子や雨戸が入り、内部は座敷になっている
・こうした造りは戦乱の危機が低下した時期になって改装された結果と考えられている

・二階は南・西・北の三面に堅牢な格子付きの出窓を設けて城外への視界を確保し、内部も板張りの廊下を設けて守備兵が迅速に動けるようになっている

・一階城外側(西)壁面には壁から張り出した石落しと格子窓が二か所設けられ、唐破風が飾られている

・出入口は妻側の南北両面に設けられている

アクセス
月見櫓はJR山陽本線岡山駅下車東1.7kmです。岡山電軌を利用する場合は城下電停下車東600mです。西丸西手櫓は月見櫓の西方にあって、城下電停下車すぐです。
見学ガイド
月見櫓は常時外観を見学することができます。不定期で雨戸が開かれ内部が公開されます。西丸西手櫓は西側の公道から駐車場越しに見学することができます。東側にある旧内山下小学校が行事等で開放されているときは櫓をすぐ近くから見ることができます。

感想メモ
月見櫓の特別公開に合わせて訪問しました。普段は公開されていないため、石段は非常に急で手すりもなく、往時のままの城を訪ねているような感覚を味わえました。城外側が堅固な守りのいかめしい造りであるのに対し、城内側は月見を楽しむのにふさわしい、のどかなお座敷となっており、その対照が実に興味深いものでした。
また、西丸西手櫓は通常、ビルの谷間から眺めることしかできませんが、この日は幸いにも隣接する小学校跡地でイベントが開催されており、敷地内に立ち入ることができました。そのおかげで、櫓を間近からじっくりと眺めることができました。
(2025年11月訪問)

参考
岡山城公式サイト、現地案内板、月見櫓特別公開パンフ、岡山県公式サイト

 

 

比翼入母屋造の国宝社殿

吉備津神社


きびつじんじゃ
岡山市北区吉備津
吉備津神社本殿及び拝殿34.670784, 133.850602
国宝・室町中期
本殿 桁行正面五間、背面七間、梁間八間、一重、比翼入母屋造、檜皮葺
拜殿 桁行三間、梁間一間、一重、正面切妻造、背面本殿屋根に接続、檜皮葺
   三方もこし付、もこし本瓦葺
吉備津神社御釜殿34.669686, 133.849624
桃山
桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺
吉備津神社南随神門34.670584, 133.850414
室町前期
三間一戸八脚門、入母屋造、本瓦葺
吉備津神社北随神門34.671137, 133.850675
室町後期
三間一戸八脚門、入母屋造、檜皮葺

吉備津神社は、備前国と備中国の境に位置する吉備の中山の西麓に鎮座します。創立はきわめて古く、古来、備中国の一宮、吉備国の総鎮守として尊崇を受けてきました。現本殿・拝殿は、明徳元年(1390)に後光厳天皇の勅命を受け、足利義満が再興に着手し、応永32年(1425)に竣工したものです。


本殿及び拝殿:

・本殿は、桁行正面五間、背面七間、梁間八間の大建築で、入母屋造を前後に二つ並べた比翼入母屋造

・妻飾は前後とも同じ意匠で、虹梁大瓶束

・軒は一軒で、組物は、神社建築としては非常に珍しい挿肘木を用いた大仏様の二手先

・本殿は和様の亀腹上に建ち、縁を大仏様の挿肘木と皿斗付の組物で支え、禅宗様の擬宝珠高欄を回す

・拝殿(写真は東側面)は、本殿正面に接続して建つ
・正面一間、側面三間、檜皮葺、妻入りで、正側面三方に裳階がつく
・柱は本殿と同じ太さの円柱を用いている

・拝殿の身舎は、二軒で、全体に縦格子がはめられている

・拝殿の裳階は、一軒で、組物は和様の出三斗

拝殿内部



御釜殿:

・現在の建物は慶長11年に再建されたもの
・桁行七間、梁間三間、単層、入母屋造、平入、本瓦葺
・南北に伸びた長方形で、北二間(下段写真)に釜を安置する釜屋の古形式を伝える遺構
・ここでは、古来から吉凶を占う「鳴釜神事」が行われている

・周囲の四面とも柱間に二段の連子窓をつくりつけ、その下方を板壁にしている

・柱頂部の粽、隅扇垂木など禅宗様の特徴がみられる
・柱上に禅宗様の台輪を回しているが、一般的な禅宗様とは異なり木鼻の上には台輪を突出させていない



南随神門:

・長い回廊の中間にある三間一戸の八脚門で、延文2年(1357)の再建
・桁行約6.2m、梁間約3.2m、棟高約7m、単層、入母屋造、本瓦葺
・木部は丹塗り、壁は白壁
・和様に唐様がとり入れられ、木割も太く、板蟇股や木鼻には鎌倉時代の様式・手法がみられる
・本殿より70年余り古く、吉備津神社では最古の建物



北随神門:

・三間一戸の八脚門で、室町時代中期の再建と考えられている
・桁行約7.5m、梁間約3.9m、棟高約8.2mで、単層、入母屋造、檜皮葺
・木部は丹塗り、白壁で、南随神門と構造・様式がよく似ているが、細部の意匠にはより繊細な表現がみられる

アクセス
JR吉備線吉備津駅下車、南700mです。
見学ガイド
吉備津神社は常時自自由に参拝することができます。本殿・拝殿は北面していますが、東側面が広く空いているので、午前中は比翼入母屋造の姿を奇麗に見ることができます。御釜殿も午前中の方がきれいに見ることができます。

感想メモ
以前訪問した時は午後で、本殿が逆光になっていましたが、今回は快晴の朝に訪問したので、比翼入母屋造の美しい姿を見ることができました。
(2024年5月訪問)

参考
岡山県公式サイト、国指定文化財等DB、岡山市公式サイト

 

 

梅鉢型園舎の原型

旧旭東幼稚園園舎


きょくとうようちえんえんしゃ
岡山市北区二日市町
旧旭東幼稚園園舎34.645108, 133.929220
明治
木造、建築面積350.63平方メートル、桟瓦葺一部銅板葺

旧旭東幼稚園園舎は、岡山市中心部の南方、旭川右岸近くの岡山市立中央図書館に移築復原されています。岡山市旭東尋常小学校附属幼稚園の園舎として、明治四十一年に竣工したもので、移築前は、旭川対岸に位置していました。遊戯室を園舎の中心に置き、遊戯室の周囲に保育室を配置した平面を最初に採用した幼稚園園舎建築であり、梅鉢型園舎の原型となったものであるとされています。
・木造平屋建で、八角形平面の遊戯室(写真中央)の四方に保育室(写真右端)三室と保姆室(写真左から二番目)が取り付く、梅鉢型園舎の形態
・保姆室北西面には棟を直交させた桁行五間、梁間三間、切妻造、桟瓦葺の幼児昇降所及湯呑所棟(写真左端)が取り付く
・遊戯室はマンサード風の八注屋根を架け、桟瓦を葺き、小屋根は銅板葺とする

・遊戯室(写真中央)の東西南北の各面は、中央間に内開きのガラス入両開戸を建て込み、その両脇は半間幅のガラス窓を嵌め込む
・花崗岩の石階段を設けて園庭への出入口とする
・採光に配慮し、天井下は引違ガラス窓の連窓を入れた高窓層とする

・外部意匠は、腰を目板打ちの縦板張、上部を下見板張とし、化粧の柱形や筋違などを現して強調するスティックスタイル

・保育室(写真右)は、桁行四間、梁間三間規模、切妻造、桟瓦葺

・遊戯室は、各辺三間規模で、中心に八角形断面の柱を立てる
・天井は棹縁で、天井板を大和張風に張る

アクセス
岡山電気鉄道清輝橋駅下車、南1㎞です。もう少し近くまで入る路線バスもあります。
見学ガイド
旧旭東幼稚園園舎は内部も一般公開されています

感想メモ
外観も美しいですが、採光が工夫されていて、内部がたいへん明るい建物です。訪問したのは休館日でしたが、窓ガラスがきれいに掃除されいるので、ガラス越しに室内の様子をよく見ることができました。
(2025年11月訪問)

参考
月刊文化財平成19年7月号

 

 

備前四十八ケ寺の一つに数えられる古刹

真光寺


しんこうじ
備前市西片上
真光寺本堂34.744795, 134.180319
室町後期
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺
真光寺三重塔34.744501, 134.180084
室町中期
三間三重塔婆、本瓦葺

真光寺は片上湾の最奥部に面した高台に位置します。行基が開基し、その後報恩大師が備前四十八ケ寺の一つとして加えた真言宗の古刹です。


本堂:

・応永年間再建の三間堂を永正13年(1516)に五間堂に改修したもの
・単層の本瓦葺の入母屋造
・軒は二重繁垂木、柱は総円柱で長押で固めている
・組物は出三斗で、中備は絵様を施した実肘木付の蓑束



三重塔:

・方三間本瓦葺きの三重塔
・寺伝によると、牛窓の蓮華頂寺にあったものを慶長十八年(1613)、現在地に移築したもの
・様式、手法などから、室町時代のものと考えられている
・総高が18.2m(うち相輪高5.9m)のやや小規模な塔で、軒先の反転が美しく三重の逓減も安定している

写真上段から,第三重、第二重、初重:
・各重とも二軒の繁垂木で、尾垂木付きの和様の三手先の組物
・各重に高欄を設け、初重のみが擬宝珠高欄で他は跳ね高欄

・第二重、三重には縁板を張っていないが、切目縁を模した意匠が施されている(写真は第二重)

初重軒回り:
・蟇股、間斗束なども、時代の特色を示している

・初重の各面の中央間に置いた蟇股には、月輪に種子を書いた彫刻が飾られている

・和様を基調としているが、木鼻は禅宗様

アクセス
赤穂線西片上駅下車、西300mです。
見学ガイド
真光寺は常時自由に参拝することができます。本堂、三重塔とも、すぐ近くから見ることができます。

感想メモ
瀬戸内海の入り江の奥の小高い丘の上の位置していて、かつては趣の大変深い場所だったのでしょうが、今は目の前に国道のバイパスが通っていて、そういった風情はちょっと失われています。でも、そのおかげで、駅からアップダウンなしで楽に参拝することもできるようになっていて、国道の歩道橋が三重塔を眺めるのにちょうど良い場所にもなっています。
三重塔の上重には縁が設けられていませんが、切目縁を模した意匠を施してごまかしているなど興味深い建築です。
(2024年5月訪問)

参考
現地解説板、岡山県公式サイト

香川県高松・東讃・小豆地方にある国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。
高松市
高松城旧東之丸艮櫓、北之丸渡櫓、北之丸水手御門、北之丸月見櫓
披雲閣(旧松平家高松別邸)本館、本館付倉庫、倉庫
小比賀家住宅主屋、土蔵、米蔵、午門
国分寺本堂
旧下木家住宅
旧河野家住宅
屋島寺本堂
香川県庁舎旧本館及び東館
瀬戸内海歴史民俗資料館
男木島灯台灯台、旧吏員退息所、旧第一物置
さぬき市
志度寺本堂、仁王門
細川家住宅
旧恵利家住宅
長尾寺経幢(1)、(2)
小豆郡小豆島町
明王寺釈迦堂

 

 

瀬戸内海に面した海城

高松城


たかまつじょう
高松市玉藻町
高松城旧東之丸艮櫓34.348768, 134.051999
江戸中期
三重三階隅櫓、入母屋造、本瓦葺南面続櫓一重櫓、南端入母屋造、本瓦葺
北之丸渡櫓34.351096, 134.051671
江戸中期
一重櫓、入母屋造、本瓦葺
北之丸水手御門34.351173, 134.051687
江戸末期
一間薬医門、切妻造、本瓦葺
北之丸月見櫓34.351299, 134.051743
江戸中期
三重三階隅櫓、入母屋造、本瓦葺、南面続櫓一重櫓、南端入母屋造、本瓦葺
披雲閣(旧松平家高松別邸)本館34.350278, 134.051622
大正
木造、建築面積1,916.51㎡、一部2階建、入母屋造及び寄棟造、南面車寄附属、桟瓦葺
本館付倉庫34.350382, 134.051923
大正
木造、建築面積38.79㎡、寄棟造、桟瓦葺
倉庫34.350258, 134.052005
大正
木造、建築面積48.49㎡、寄棟造、桟瓦葺

高松城は高松市中心部の海岸沿いに位置します。天正15年(1587)に讃岐一国を与えられた生駒親正が築城したもので、生駒氏転封後の寛永19年(1642)には、松平頼重が東讃12万石が与えられ、城の大規模な改造を行いました。松平氏の治世は幕末まで続きました。
「高松城」として重文指定された4棟は松平氏による東ノ丸・北ノ丸の新造に伴い建設されたものです。披雲閣(ひうんかく)は、大正時代に旧城主の松平氏が高松城三ノ丸の御殿跡に建設した邸宅です。
城内側より見た月見櫓(写真右)と付属する続櫓(写真中央):
・北之丸月見櫓は北ノ丸の最北端に位置し、かつては瀬戸内海に面していた
・「(舟の)到着を見る」という意味の着見櫓が本来の名称
・三重三階の総塗籠で、各階に2本の長押をめぐらす
・初重には切妻破風が見られ、その下部に石落としが設けられている
・南面には続櫓と呼ばれる小規模な平櫓が付属する
・延宝4年(1676年)の上棟と考えられている

城内側より見た水手御門(写真右)と渡櫓(わたりやぐら、写真左)

城外側より見た渡櫓(写真右)、水手御門(中央)、続櫓(左)
北之丸渡櫓:
・月見櫓の南に位置する総塗籠の平櫓
・南側3間分は北ノ丸の新造前に所在した海手門の部材を再利用しており、柱が細く、内壁も波型真壁となってい
・月見櫓と同時期に建築されたと考えられている
北之丸水手御門:
・月見櫓の続櫓と渡櫓の間に設けられた一間の薬医門
・月見櫓と同時期頃に建設されたと考えられているが、地下から古い礎石が発見されており、幕末頃に建替えられたと推定されている
・海に向かって開いた門で、藩主はここで小舟に乗船し、沖で御座船に乗換えて参勤交代等に出かけた



旧東之丸艮櫓(うしとらやぐら): 

・延宝5年(1677)に東ノ丸の北東隅に建築された三重三階の隅櫓で、名称は高松城の丑寅(うしとら)にあたることに由来
・三重三階の総塗籠で、初重には二重の屋根を貫く千鳥破風が設けられ、城外側の隅には袴型の石落としがある
・昭和42年に現在地(高松城の南東隅)に移築



披雲閣:

本館:
・木造で、接客、居住、家政などの機能をもつ各部を渡廊下で接続
・建築面積は1916平方メートルに及ぶ
・南を正面として玄関を構え、西から北へ蘇鉄の間、大書院(写真上)、槙の間(写真下)の各広間を並置し、北方の庭園を望む接客空間としている
・玄関の北には居住と宿泊のための部屋が連なり、玄関の北東には勝手と調理場を設けている

本館付倉庫(写真中央)と倉庫(写真左):
・本館付倉庫は、木造、二階建、桟瓦葺で、小屋組は和小屋、外壁は下見板張
・倉庫は、本館付倉庫の東南に建ち、木造、二階建、寄棟造、桟瓦葺で北面に戸口を開き、小屋組はトラス構造、外壁は擬石塗

アクセス
高松城まではJR高松駅から徒歩数分です。琴電高松築港駅は高松城に隣接しています。
見学ガイド
「高松城」として重文指定された4棟は有料公開されています。これらは公道に面しているので、有料区域外からも見ることができます。東之丸艮櫓は堀を挟んでの見学となります。毎週日曜日には月見櫓の内部公開と水手御門の開扉が行われるようです。
披雲閣も有料公開されています。内部は非公開です。披雲閣は公道からは見ることができません。披雲閣の倉庫と本館付倉庫の周辺は立入りが制限されています。本館東側の裏庭を挟んで倉庫と本館付倉庫の一部をみることができます。
高松駅前の高松シンボルタワー展望台などからも高松城・披雲閣を遠望できます。

感想メモ
海と高松港の間には道路が通っており、海城の風情を失っているのは残念ですが、道路のおかげで月見櫓をいつでも近くから見ることができます。
(2018年10月訪問)

参考
高松市公式サイト

 

 

四国最古の民家建築

小比賀家住宅


おびかけじゅうたく
高松市御厩町
小比賀家住宅主屋34.309163, 133.989680
江戸前期
桁行26.6m、梁間9.8m、寄棟造、茅葺、四面庇付、本瓦葺、南面玄関付属
午門34.308870, 133.989747
江戸後期
長屋門、桁行35.4m、梁間5.9m、寄棟造、茅葺、東面及び北面庇付、本瓦葺
土蔵34.309295, 133.989576
江戸中期
土蔵造、桁行9.1m、梁間4.5m、二階建、切妻造、本瓦葺
米蔵34.309339, 133.989887
江戸末期
土蔵造、桁行10.1m、梁間6.1m、二階建、切妻造、本瓦葺、西面庇付

小比賀家住宅は、高松市街地の南東に広がる田園地帯に位置しています。由緒書によれば、小比賀家は甲斐源氏の流れを汲み、武田氏滅亡後の慶長年間に現在の御厩へ移住したと伝えられています。その後、この地で庄屋・大庄屋を務め、天明五年には武士に取り立てられました。
屋敷地は東西約70メートル、南北約85メートルに及ぶ広大な規模で、両側に松を配した馬場の正面に午門(うまもん)が構えられています。この門の両脇から延びる外周土塀が屋敷全体を囲み、午門の奥には前庭を隔てて主屋が建ち、その背後には土蔵や米蔵が並びます。
小比賀家住宅は、17世紀前半にまで遡る四国地方最古級の民家であり、構造・意匠ともに優れています。正面に長大な長屋門を据えた屋敷構えは、大庄屋層の住宅としての風格を今に伝えています。
・左の茅葺が主屋で、右が午門

・右の茅葺が主屋で、左手前が土蔵



主屋

・建築年代は、構造手法から十七世紀前半ごろまで遡ると推定されている
・その後、たびたび改造を受けていたが、昭和五十一年に解体修理で、江戸時代中期の姿に復旧整備されている
・桁行十三間半、梁間五間の大型民家で、中央部の十間半に二間半を上屋として寄棟造、茅葺の屋根をあげ、四周に本瓦葺で勾配のゆるい一間半幅の下屋をめぐらした四方蓋造
・平面は東側(写真右側)六間を土間部、西側七間半を居室部とする六間取り系の間取り

・土間部は、南面に大戸口を開く

・居室部には、式台を設ける

・土間部は、東側四間半を内庭(土間)、居室沿いを幅一間半の板敷の広舗とする

・居室部は置くに行くほど格式が高くなる
・手前から二番目の部屋が式台の付いた玄関の間

・土間部分では、根曲材を用いた雄大な梁組をあらわし、竹簀子天井を見せている

・居室部の最も手前の部屋も梁組を見せている



午門

・桁行十六間半におよぶ長大な長屋門で、農家の表門としては全国屈指の規模
・建築年代は十八世紀末から十九世紀初めと推定されている
・梁行二間半で、寄棟造、茅葺
・西側(写真左)は納屋、東側は馬房と牛房を並べる

・両側に松を植えた「タテ馬場」の正面に大門を開く

・東側に一間の本瓦葺の下屋をつけ、飼料場とする

・馬屋は、農耕用の牛房(写真左奥)よりも質の高い造りとしている



土蔵

・主屋座敷背後に建つ二間×四間、二階建、切妻造、本瓦葺の土蔵で、十八世紀に遡る建築



米蔵

・主屋の東北にある三間×六間、二階建、切妻造、本瓦葺の土蔵で、一部に古材を使っているが、十九世紀中ごろの建築

アクセス
JR予讃線鬼無駅下車、南2kmです。高松駅から住宅の近くまで入る路線バスもありますが、休日は運休です。高松駅周辺のシェアサイクルを利用する場合は、ほぼ平坦な道を約8kmです。
見学ガイド
小比賀家住宅は毎月第3日曜日のみ公開されています。

感想メモ
月に一度の公開日に訪れました。公開日とはいえ訪問者は多くないようで、インターフォンを押して御当主に見学をお願いするという、少し緊張する形式です。
屋敷地は丁寧に手入れされ、風格ある建物が整然と並んでいました。厳格な身分制度が存在した時代の建物らしく、迎える客の格式に応じて部屋の意匠がはっきりと区別されています。
特に興味深かったのは、武士が使う馬のための馬屋と、農耕に使われる牛のための牛房で、内装の質に明確な差がつけられていたことです。こうした細部から、当時の社会の厳しさや身分による扱いの違いが生々しく伝わってきました。
(2025年9月訪問)

参考
解説版新指定重要文化財12、高松市公式サイト

 

 

屋島山上の復古調の建築

屋島寺本堂


やしまじほんどう
高松市屋島東町
屋島寺本堂34.357945, 134.101269
江戸前期
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺

屋島寺は高松の市街地東方にそびえる屋島南峯に位置する古刹で、弘法大師を中興の祖としています。本堂は元和4年(1618年)に再建されたものですが、昭和の修理の際に各所に鎌倉時代の特徴の古材が見られたことから、鎌倉様式に復元されています。
・屋根は一重の本瓦葺、入母屋造
・正面中央の3間は両折両開き桟唐戸、側面の上は連子窓、腰貫の下は板壁など鎌倉時代の様式
・内部は前2間が外陣、後3間が内陣と脇陣からなる

正面軒廻り:
・二軒の繁垂木で、和様の出組、中備は蓑束、支輪を飾る
・向拝の海老虹梁や装飾の多い手挟は近世風

外陣の格天井

アクセス
屋島山上にはJR屋島駅から、ことでん屋島駅経由のバスが運行されています。バスは重文民家のある四国村も経由するので周遊に便利です。屋島寺はバスの終点からすぐです。
見学ガイド
本堂はいつでも自由に見学することができます。

感想メモ
晴天に恵まれ、屋島からの眺めを堪能することができました。本堂は江戸時代の建築で、華美な彫刻も見られますが、全体としては復古調で落ち着いた雰囲気です。
(2021年4月訪問)

参考
四国八十八ヶ所霊場会公式サイト、高松市公式サイト

 

 

丹下健三の代表作

香川県庁舎旧本館及び東館


かがわけんちょうしゃきゅうほんかんおよびひがしかん
高松市番町四丁目
香川県庁舎旧本館及び東館34.340081, 134.044021
昭和
鉄筋コンクリート造、建築面積3,270.39平方メートル、本館及び東館よりなる
本館八階建、塔屋三階付
東館三階建 

香川県庁舎は高松市の中心部に位置します。旧本館及び東館は、昭和30~33年に建築されたもので、丹下健三の設計です。
・庁舎は高層の旧本館(写真左)と低層の東館からなる

・旧本館は、鉄筋コンクリート造、8階建、塔屋3階付(上段写真右)
・柱と梁、深い軒や高欄など伝統的な木造建築をモチーフとしている

・東館は、鉄筋コンクリート造、3階建、規模は南北98.2m・東西16.6m
・一階部分は開放的なピロティとしている

・ピロティーの長方形の柱の短辺を道路側に向けるなど、道路との境界を意識させないよう工夫されている
・天井には松材を用いたルーバーが設置されている

・旧本館の中心部に耐震壁などを集中したセンターコアを設け、その周囲を壁のない開放的な空間としている
・センターコアの上部は塔屋となり、一階ロビー部分は周囲に「和敬清寂」の壁画を飾る

アクセス
JR予讃線高松駅下車、南1.5㎞です。駅からは多数のバス路線があります。
見学ガイド
県庁開庁中は、ロビーなどの公共空間を自由に見学することができます。

感想メモ
高松で暮らしていたときには何度も前を通りましたが、ここまで価値のある建築であるとは知りませんでした。改めて見学すると、外観の美しさだけではなく、構造面でも工夫された建築であることがよくわかりました。
(2023年7月訪問)

参考
香川県公式サイト、香川県公式観光サイト、高松市公式サイト

 

 

四国霊場第86番札所

志度寺


しどでら
さぬき市志度
志度寺本堂34.324287, 134.179598
江戸中期
桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝三間、軒唐破風付、本瓦葺
仁王門34.323794, 134.178950
江戸中期
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺

志度寺は県東部さぬき市の市街地に位置する真言宗の寺院で、四国霊場第86番札所です。高松藩によって造営された本堂と仁王門が重要文化財に指定されています。


本堂:

・桁行七間、梁間五間の大規模な仏堂



仁王門:

・三間一戸の八脚門
・中世以来の伝統を受けついで軸部が木太く堂々としているが、細部の意匠には近世的な特色もみられる

アクセス
琴電志度駅から徒歩10分程度です。
見学ガイド
境内は自由に見学できます。仁王門は西面しているので、午後の方が綺麗な写真を撮ることができます。

感想メモ
境内に植栽が多く、他の札所とは少し異なる雰囲気です。仁王門は古風で力強い建築です。
(2020年7月訪問)

参考
国指定文化財等DB

 

 

東讃地方山間部の農家

細川家住宅


ほそかわけじゅうたく
さぬき市多和額東
細川家住宅34.191401, 134.177228
江戸後期
桁行12.7m、梁間5.8m、寄棟造、茅葺

細川家住宅は、さぬき市南部、徳島県との県境に近い山間部に位置する農家住宅です。敷地は南斜面を切り開いて造成され、東西に細長く広がっています。主屋は構造手法から18世紀中頃の建築と推定されており、香川県東部の山間地における農家住宅として、平面構成・構造の両面において典型的な形式を良好に伝えています。
・桁行六間半、梁間三間の寄棟造
・茅葺屋根を軒先まで低く葺き下ろした「つくだれ造」
・外壁は厚い大壁で、開口部は南面に三か所、東面に小さな窓を一か所開くだけの、閉鎖的な造り

・讃岐の民家は下屋を緩い勾配の瓦屋根としたものが多いが、山間部の積雪のある地域ではこのようにまっすっぐに葺き下ろしている

・桁行五間半、梁間二間の上屋周囲に半間の下屋をまわす構造(写真左の半間が下屋)

・平面は横二間取り形式で、西側(写真手前)が間ロ二間半のニワ(土間)、東にダイドコロとザシキを並べる
・土間とダイドコロの境は前寄り半間を土壁とする以外はすべて開放

・ダイドコロの床は、土間の上にもみがらを置き莚を敷いた土座
・中央に囲炉裏を切る
・ザシキとの境は、一間のみ板戸引違いとするほかは土壁

・東側上手は二間半四方のザシキで、背面下屋部分を床の間、仏壇、物入とする

・ザシキの床は莚を敷いた竹座

・天井は上屋梁の上に竹簀子を置いたもの

アクセス
ことでん長尾駅からバスで牧場前下車、南500mです。
見学ガイド
細川家住宅は定休日を除き自由に見学することができます。土間などから内部も見ることができます。

感想メモ
かなり山奥ですが、この先に四国霊場の大窪寺があるため、さぬき市のコミュニティバスがあって助かりました。大変古風な民家です。床上部がなく、土座、竹座なのは衝撃的でした。
(2024年12月訪問)

参考
解説版新指定重要文化財12

 

 

鎌倉時代の石塔

長尾寺経幢


ながおじきょうとう
さぬき市長尾西
長尾寺経幢(1)34.266180, 134.171663
鎌倉後期
石造幢
弘安歳次六年癸未七月日の刻銘がある
(2)34.266181, 134.171749
鎌倉後期
石造幢
弘安第九天歳次丙戌五月日の刻銘がある

長尾寺は県東部さぬき市の内陸部にある四国霊場第八十七番札所です。経幢は中国で唐から宋時代に多く建てられたもので、わが国では鎌倉中期ごろからつくられました。経文の埋納保存や、供養の標識とするため、各地に建てられています。長尾寺の経幢は、西側のものに弘安六年、東側のものに弘安九年の銘が あります。
・左の覆屋の中が弘安6年銘の経幢で、右が弘安9年銘

弘安6年銘の経幢:
・凝灰岩製で基礎の上に面取り四角柱の幢身を立て、その上に八角の笠と低い宝珠をのせたもの

弘安9年銘の経幢(4枚目の写真から「弘安第九天」の文字が読み取れる)

アクセス
長尾寺は、ことでん長尾駅下車、東250mです。経幢は長尾寺の正門の手前に建てられています。
見学ガイド
経幢は常時自由に見学することができます。覆屋の中にありますが、覆屋の正面上半分は開放されており、背面以外は隙間の大きな格子であるため、見学に大きな支障とはなりません。

感想メモ
素朴な感じを受ける石造経幢です。凝灰岩が良い感じに風化してやわらかい線を出しています。
(2021年4月訪問)

参考
現地解説板

 

 

水軍の拠点に築かれた小堂

明王寺釈迦堂


みょうおうじしゃかどう
小豆郡小豆島町池田
明王寺釈迦堂34.483846, 134.241952
室町後期
桁行三間、梁間四間、一重、寄棟造、向拝一間、本瓦葺

明王寺は小豆島南海岸、池田のオリーブ畑が点在する田園地帯東端に位置します。釈迦堂は大永2年(1522)に地頭・須佐美氏の子孫である源元安入道盛椿(せいちん)によって着工され、11年かかって完成したことが、文字瓦から知られます。小豆島は瀬戸内海の水軍の拠点で、釈迦堂の建立にも水軍が関係したものと考えられています。


釈迦堂

・桁行三間、梁間四間、寄棟造、本瓦葺で、向拝一間が付く

・正面三間に桟唐戸が吊られ、内法貫の藁座と、地長押が支えている
・軒は二軒の疎垂木

・柱は大面取の角柱で、柱上は繰型付実肘木を入れた出三斗
・中備の間斗束にも繰型付実肘木を入れる
・頭貫は禅宗様の木鼻を出す

・向拝には優美な蟇股を飾る

・内部は手前一間が外陣で、菱格子の結界の奥が内陣
・内部も柱上は出三斗で、中備は中央間が蟇股で、両側間が撥束



厨子(附指定)

・禅宗様で鮮やかな彩色が施されている

アクセス
小豆島池田港の東2kmで、路線バスを利用することもできます。
見学ガイド
明王寺は常時自由に参拝することができます。釈迦堂は内部に入ることもできます。内部の写真撮影も禁止されていません。

感想メモ
オリーブ畑に囲まれたのどかな風景ですが、かつては水軍の本拠地で今とは全く違う世界であったことを思うと感慨深いです。釈迦堂は小堂ですが細部の意匠が優れています。厨子も大変手の込んだ意匠です。
(2024年9月訪問)

参考
小豆島町公式サイト