長野県の国宝・重要文化財建造物 (2)松本・安曇野・大町編 | 国宝・重要文化財指定の建造物

国宝・重要文化財指定の建造物

全国の国宝・重要文化財に指定された建造物についてのブログです。

このブログについて:

長野県松本・安曇野・大町地方で国宝や国の重要文化財に指定された建造物のうち、私がこれまで訪問したものを紹介しています。
個人の備忘録みたいなものですが、実際に訪ねてみたら目当ての文化財が塀や樹木の陰で見えないといったことも時々あるので、ここでは、このあたりも詳しく書いて、閲覧してくれた方の参考になるように考えました。また、文化財の位置は国指定文化財等データベースで確認できますが、間違った情報も結構多いので、ここでは現地で実際に確認した座標を記載しています。
記載内容は訪問日時点のものです。情報が古くなってしまっている可能性もあり、修復工事が始まって見学できないこともあるので、注意してください。

松本市
松本城天守 天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓
旧松本高等学校 本館、講堂
旧開智学校校舎  
大宮熱田神社本殿  
大宮熱田神社若宮八幡宮本殿  
旧松本区裁判所庁舎  
馬場家住宅 主屋、隠居屋、文庫蔵、奥蔵、中門、表門及び左右長屋
牛伏川本流水路(牛伏川階段工)  
筑摩神社本殿  
若宮八幡社本殿  
田村堂  
大町市
仁科神明宮 本殿、中門(前殿)
盛蓮寺観音堂  
若一王子神社本殿  
旧中村家住宅 主屋、土蔵
安曇野市
松尾寺本堂  
曾根原家住宅  
東筑摩郡麻績村
神明社 本殿、拝殿、假殿、舞台、神楽殿
北安曇郡白馬村
神明社 本殿、諏訪社本殿

 

 

黒漆塗りの国宝天守

松本城天守


まつもとじょうてんしゅ
松本市丸の内
松本城天守 天守 36.238626, 137.968891
国宝・江戸前期
五重六階、本瓦葺
乾小天守 36.238808, 137.968844
国宝・桃山
三重四階、本瓦葺
渡櫓 36.238728, 137.968851
国宝・江戸前期
二重二階、本瓦葺
辰巳附櫓 36.238535, 137.968992
国宝・江戸前期
二重二階、本瓦葺
月見櫓 36.238544, 137.969091
国宝・江戸前期
一重、地下一階付、本瓦葺

 

松本城は松本の市街地中心部に位置します。
松本城の前身の深志城は戦国時代の永正年間に築城されたと考えられており、甲斐の武田氏が守護小笠原氏を追放し、信濃支配の拠点としたことから重要性を増すこととなりました。武田氏滅亡後は、徳川氏の支援を得た小笠原氏が奪取して城下町の経営を進めました。天正十八年(1590)の家康の関東移封に伴い、小笠原氏に替わって豊臣系大名である石川氏が入部し、城と城下町の建設が大きく進展しました。関ヶ原の戦後は、小笠原・戸田・松平・堀田・水野・戸田氏とめまぐるしく藩主が交代し、明治維新を迎えました。
・松本城天守は天守(写真中央)と乾小天守(いぬいこてんしゅ、写真左)を渡櫓(わたりやぐら)によって連結し、これに辰巳附櫓(たつみつけやぐら、天守の右)と月見櫓(右端)をつないだ連結複合式の天守
・現存天守としては唯一の黒漆塗り
 
・壁面には鉄砲狭間(さま)・矢狭間が見られる
 
・天守の一階壁面の一部を外に張り出して石落を設けている
 
・天守(写真右)、乾小天守(左)を二層の渡櫓がつなぐ
 
乾小天守と渡櫓: 
・天守とともに戦国時代末期に築造されたもので、これらにも狭間、石落が見られる
 
辰巳附櫓(左)と月見櫓(右): 
・寛永年間に建造されたこれらの櫓は戦のための設備が簡略化されており、辰巳櫓には石落の突出がなく、月見櫓は非常に開放的な構造
 
アクセス
JR篠ノ井線松本駅下車、徒歩約20分です。バス便も多数あります。
見学ガイド
松本城は有料で公開されています。開園時間は年末を除き8:30~17:00です。GWや夏季には開園時間が延長されます。外観は、周辺の園地からいつでも自由に見ることができます。

 

感想メモ
いつ見ても黒漆塗りの天守は美しく、長居をしてしまいます。複合天守で、時代による様式の差を見ることができるのも興味深いです。
(2018年4月訪問、2020年9月再訪)

 

参考
松本城公式サイト、国指定文化財等DB

 

 

大正時代前期の大規模な木造洋風建築

旧松本高等学校


きゅうまつもとこうとうがっこう
松本市県三丁目
旧松本高等学校 本館 36.231149, 137.981986
大正
木造、建築面積1,273.05平方メートル、二階建、桟瓦葺一部鉄板葺
講堂 36.231498, 137.982088
大正
木造、建築面積637.29平方メートル、一部二階建、銅板葺、西南部玄関・南面東昇降口附属

 

旧制松本高等学校は松本城の南東に位置します。大正中期の高等教育機関拡張期に開校した文部省直轄学校のひとつで、信州大学の前身です。重文指定された本館と講堂は、当初から現位置にあり、本館が大正9年(1920)、講堂が大正11年(1922)に竣工しました。本館・講堂は、明治時代中期における旧ナンバースクール高等学校建設の後を受けて、大正時代前期に高等学校が飛躍的に増設された時期の建築様式の代表例です。これは西洋建築様式を簡略化して木造建築に応用したもので、公共建築に多く用いられました。大正時代前期の木造洋風建築例としては規模も大きく、保存も良好です。

 


本館
 
北西隅切部: 
・本館はコの字形の平面をもつ木造二階建校舎で、北西の隅切部に玄関を設ける
 
・玄関二階の三連窓上部には駒形破風が設けられている
 
・西面(上段写真)と中庭部(下段写真): 
・外壁は下見板張
 

 


講堂
 
南面:
・木造平屋一部二階建で、本館同様の外観だが、内外の装飾細部の意匠密度を高めている
・南面西端に玄関、東端に昇降口が設けられている
 
・曲線的な玄関ポーチ
 
・南面東側昇降口は舞台側の出入口になっている
 
・大棟と東側昇降口の棟との交点には塔屋が設けられている
 
西面
 
アクセス
松本駅から2km弱です。周遊バスの停留所が近くにあります。駅前のシェアサイクルも利用できます。
見学ガイド
旧松本高等学校の周囲は公園として整備されていて、いつでも自由に見ることができます。本館の内部の一部は有料で一般公開されています。講堂はイベント会場として使用されています。

 

感想メモ
明治の煉瓦建築のような重苦しさがなく、軽快で信州の風景にうまく溶け込んでいます。
(2020年9月、2023年3月訪問)

 

参考
文化遺産オンライン、松本市公式サイト

 

 

梓川の水の恩恵をうける里々の守護神

大宮熱田神社


おおみやあつたじんじゃ
松本市梓川梓
大宮熱田神社本殿 36.231003, 137.845170
室町後期
一間社流造、こけら葺
大宮熱田神社若宮八幡宮本殿 36.222243, 137.845272
室町中期
一間社流見世棚造、こけら葺

 

大宮熱田神社は松本平の西端部に鎮座します。梓川の水の恩恵をうける里々の守護神で、古くは松本平を眼下に一望できる本神山山頂に祀られていました。その後、祭事や参詣者の便のために、現在地に神殿を造営して遷座し、更に「熱田大神」「天照大神」「八幡大神」が合祀されたのが現在の神社です。

 


本殿
 
・一間社流造、こけら葺で、向拝柱も円柱であるのが特徴
 

 


若宮八幡宮本殿
 
・一間社流見世棚造、こけら葺の小規模な社殿
・身舎・向拝ともに角柱で、懸魚・向拝・紅梁などに地方色が表れている
 
アクセス
最寄駅は松本電鉄の波田駅ですが神社まで5kmほどあります。松本駅前の電動アシストのシェアサイクルを利用することもできます。松本駅から13kmで後半は軽い登りです。
若宮八幡宮本殿は、大宮熱田神社本殿から離れた場所にあるので注意が必要です。文化庁のデータベースの位置表示は間違っています。若宮八幡宮は大宮熱田神社の南1.2kmの林の中にあります。林は鳥獣避けのフェンスで囲われていますが、八幡宮の前に扉が設けられていて施錠もされていないので中に入ることができます。
見学ガイド
大宮熱田神社本殿には拝殿の右側から回り込むことができます。回り込んだところに説明板が設置されているので、ここまでは立ち入りが想定されているようです。本殿は、背が高く連子の隙間がやや狭い瑞垣に囲まれており、周囲に樹木が繁茂しているため、視角はかなり制限されます。
八幡宮本殿は残念ながら覆屋の中です。覆屋の三方に格子窓がありますが内側に目の細かい金網が張られているので、中をほとんど見ることができません。コンデジをMFにしてやっと中の様子がわかる程度です。

 

感想メモ
大宮熱田神社は公共交通の空白地帯にあって、アクセスがちょっと大変でした。これでシェアサイクルがなかったら訪問を断念していたかもしれません。せっかく辿り着きましたが、両社殿ともあまりよく見ることができず、ちょっと残念でした。
(2020年9月訪問)

 

参考
八十二文化財団HP、松本市公式観光情報HP

 

 

洋風の平面を持つ和風建築

旧松本区裁判所庁舎


きゅうまつもとくさいばんしょちょうしゃ
松本市島立
旧松本区裁判所庁舎 36.231526, 137.933782
明治
木造、建築面積742.18㎡、桟瓦葺一部鉄板葺

 

松本区裁判所庁舎は、明治41年 (1908)、松本城二の丸御殿跡に建てられましたもので、現在は市街地西方の田園地帯に移築されています。平面は横長のH形をしており、その中央正面が突き出た形になっています。中央部分に中廊下をはさんで判事室・書記室・検事室等を設け、左右の翼屋部には正面に向かって左側に支部訟廷及び書記室等を、向かって右側には区訟廷・予審廷を設けています。
庁舎正面(上)と南側面(下):
・木造平屋瓦葺で、伝統的な和風の建築様式
・全国的に地方の裁判所は和風の建築様式を基本とすることが多く、これもその例に倣ったもの
・合計5個の突出部があり、それぞれの屋根に入母屋破風をつける
・正面の屋根に2個、左右側面の屋根に各3個の千鳥破風をつける
 
訟廷: 
・裁判官席として高い段が設けられている
 
アクセス
松本電鉄大庭駅下車、徒歩20分です。
見学ガイド
松本市歴史の里の保存施設として有料公開されています。内部も見ることができます。東面しているので、早い時間の訪問がおすすめです。

 

感想メモ
和風建築ですが、平面が洋風で、屋根には洋館のペディメントのような千鳥破風を載せているのが面白かったです。
(2020年8月訪問)

 

参考
松本市公式サイト

 

 

本棟造民家の典型例

馬場家住宅


ばばけじゅうたく
松本市内田
馬場家住宅 主屋 36.167152, 137.985755
江戸末期
桁行18.8m、梁間16.4m、一部二階、切妻造、妻入、正面庇及び東側突出部付、鉄板葺、正面南方湯殿・雪隠及び北側面釜場・流し附属
表門及び左右長屋 36.167216, 137.985496
江戸末期
桁行19.9m、梁間3.7m、切妻造、中央部切り上げ、桟瓦葺、左右屋根塀附属
中門 36.167124, 137.985590
江戸末期
三間一戸薬医門、桟瓦葺、左右屋根塀附属
文庫蔵 36.167137, 137.985901
江戸末期
土蔵造、桁行7.3m、梁間4.5m、二階建、正面庇附属、切妻造、桟瓦葺
隠居屋 36.167053, 137.986039
江戸末期
桁行12.4m、梁間5.5m、入母屋造、北面東突出部 桁行5.3m、梁間4.5m、切妻造、西面流し附属、北面奥蔵に接続
奥蔵 36.167183, 137.986112
江戸末期
土蔵造、桁行12.8m、梁間4.5m、一部二階、切妻造、西面庇附属、桟瓦葺

 

馬場家住宅は、松本平の南東部、塩尻市境に近い田園地帯に位置します。
馬場家の言い伝えでは、武田信玄の家臣・馬場美濃守信春の縁者が先祖であり、天正10年(1582)頃この地に住みついたとされています。馬場家は屋号を「古屋敷」といい、江戸時代には広大な田畑を所有していたほか、高島藩主・諏訪氏と親密な関係を持つ特別な地位にありました。
・馬場家住宅は松本平の南東部、筑摩山地を背にして建つ
 

 


主屋
 
・嘉永4年(1851)の建築で、長野県中南部に分布する本棟造の典型的なもの
・間口九間,、奥行七間で、ゲンカン、ザシキ、イリカワなどの整った接客部を備える
 
・正面の棟には雀おどしを飾る
 
ザシキ
 

 


表門及び左右長屋
 
・安永6年(1859年)に中門とともに建築されたもので、馬場家の特別な家格によって藩から特に建設を許されたものと考えられている
 

 


文庫蔵
 
・弘化2年(1845)建築の文書や家財を収納するため土蔵
・妻には屋号の古屋敷の「古」の文字が見られる
 
・軒瓦には馬場家の家紋「一枚柏」が見られる
 

 


中門
 
・藩主が馬場家を訪れるときにのみ開けられた
・藩主は正面玄関からではなく、この門を通って縁側に腰掛けたと伝わる
 
本柱の桁の家紋: 
・馬場家の家紋は一枚柏だが、ここのみに三枚柏の家紋が飾られている
 

 


隠居屋
 
・当主隠居後の居宅
 

 


奥蔵
 
・隠居屋に接して建てられており、穀物や塩、味噌などの貯蔵庫として用いられた
 
アクセス
JR篠ノ井線松本駅と村井駅を結ぶバスで寿台東口下車、南1.5kmです。松本駅周辺のレンタサイクルを利用することもできます。駅からは8.3㎞で、100m程度上ります。
見学ガイド
馬場家住宅は有料で公開されています。主屋と文庫蔵は内部も見ることができます。隠居屋と奥蔵は非公開ですが公開区域から一部を見ることができます。

 

感想メモ
桜が満開の快晴の週末に訪問しました。これ以上ないベストコンディションで、美しい景観を満喫することができました。この地域の本棟造の屋敷で一般公開されているものは少ないので、内部もゆっくり見ることができてありがたかったです。
ここから4キロほど山に入ると重要文化財の牛伏川階段工がありますが、高低差300mの上りで、ここまで塩尻駅前の電動アシストなしのレンタサイクルで来て、ちょっと消耗していたので、今回は断念しました。
(2023年4月訪問)

 

参考
馬場家住宅公式サイト

 

 

室町時代の三間社流造

筑摩神社本殿


つかまじんじゃほんでん
松本市筑摩
筑摩神社本殿 36.226320, 137.982570
室町中期
三間社流造、檜皮葺

 

筑摩神社は中心市街地の南方、薄川左岸に鎮座します。古来からこの地に鎮座し、筑摩八幡宮、国府八幡宮の名でよばれてきました。中世には小笠原氏が筑摩郡に入ると、源氏の守護神として厚い信仰を受けました。
本殿は小笠原政康が永享11年(1439年)に寄進したものです。その後数回の補修がありましたが、室町時代の手法を各所に残しています。
・本殿は三間社流造で、この地域の神社建築の中では最大
 
・妻飾は虹梁大瓶束で、柱上の組物は三斗を二段に積んでいる
 
向拝: 
・直線的な繋虹梁は室町時代の特徴
・向拝柱上は前後とも出組で桁を持ち出し、三本の桁で軒を支える珍しい様式
・手挟の意匠も特異
 
アクセス
JR篠ノ井線松本駅下車、東2kmです。松本の文化財巡りにはシェアサイクルが便利です。
見学ガイド
筑摩神社は常時自由に参拝することができます。本殿は瑞垣越しに見ることができます。

 

感想メモ
立派な三間社で、細部も珍しい意匠です。本殿の正面には拝殿があるので斜め方向から瑞垣越しに見ることになりますが、連子がやや厚いのでコンデジでもなかなか本殿全体をとらえることができませんでした。でも、拝殿の縁には上ることができるようになっていて、脇障子の横から手を伸ばして撮影することができました。ちょっと行儀が悪くて、すみませんでした。
木階が破損したようでブルーシートが掛けられていました。シートの下には室町様式の擬宝珠があるそうです。
(2023年3月訪問)

 

参考
松本市公式サイト

 

 

松本城の鎮守社を譲り受けた社殿

若宮八幡社本殿


わかみやはちまんぐうほんでん
松本市筑摩
若宮八幡社本殿 36.221232, 137.982824
桃山
一間社流造、こけら葺

 

若宮八幡社は筑摩神社南方の住宅地に鎮座します。八幡社の創建は不明ですが、古くから仁徳天皇を祀る社であったといわれます。本殿は、旧社殿が破損したのち、寛文10年(1670年)に、松本城二の丸の鎮守社の社殿を造営をした際に、旧鎮守社の社殿をもらい受け、この地へ移したものと伝えられています。この社殿が城内に建てられたのは、城郭の拡張計画が立てれた天正13年(1585)頃であると考えられています。
・一間社流造、こけら葺の小規模で簡素な社殿
・身舎も角柱であるのは珍しい
・城の鎮守社として、江戸時代以前のものは全国的にも類例がない
 
アクセス
JR篠ノ井線松本駅下車、南東2.6kmです。筑摩神社の鳥居からまっすぐ南に600mです。バス便もあります。松本の文化財巡りにはシェアサイクルが便利です。
見学ガイド
筑摩神社は常時自由に参拝することができます。本殿は瑞垣越しに見ることができます。

 

感想メモ
非常に小さな社殿で、公園の片隅にあって見過ごしてしまいそうでした。瑞垣が低く、拝殿と瑞垣の間に立ち入ることができるので、大変よく見ることができました。
この社が城内にあったのは100年弱、市井に出て既に300年以上。いろいろな情景を眺めてきたのだろうなと思います。
(2023年3月訪問)

 

参考
松本市公式サイト

 

 

厨子として作られた田村将軍を祀る神祠

田村堂


たむらどう
松本市波田
田村堂 36.191901, 137.840152
室町後期
桁行一間、梁間一間、一重、入母屋造、妻入、こけら葺

 

田村堂は松本平南西端の梓川右岸段丘上に位置します。もとは、明治初頭に廃寺となった若澤寺にあったもので、田村将軍をまつる神祠です。室町後期の製作であると考えられています。
・桁行1間、梁間1間、一重、入母屋造、妻入、こけら葺で、当初は厨子として製作されたもの
・完成当初は総金箔塗
・禅宗様の扇垂木で詰組だが、和様の長押を用いている
 
アクセス
松本電鉄渕東駅から南に徒歩10分。河岸段丘を1段上ったところです。
見学ガイド
田村堂は覆屋の中にあります。覆屋の3面が格子窓になっていて内部は比較的明るいのですが、残念ながら格子にガラスがはめられていて、ガラスの汚れと反射を気にしながら見学することになります。

 

感想メモ
ガラス越しの見学でしたが、写真にするとガラスの汚れが飛んでくれたので良かったです。
(2020年9月訪問)

 

参考
八十二文化財団HP、現地説明板

 

 

地方色豊かな架構の社殿

若一王子神社本殿


にゃくいちおうじじんじゃほんでん
大町市大町
若一王子神社本殿 36.515876, 137.853497
室町後期
一間社隅木入春日造、檜皮葺

 

若一王子神社は大町の市街地北方の田園地帯に鎮座します。嘉祥2年(849)創建と伝わる古社で、領主の仁科家が累代社殿の修造を加えて来ました。現在の本殿は戦国末期の弘治2年(1556)に仁科盛康によって造営されたものです。
・一間社隅木入春日造、檜皮葺で、棟は箱棟
・箱棟前面には鬼面を飾る
 
・向拝軒桁の前後にも桁を置き、合計三本に桁で軒を支える
・向拝柱上の複雑な斗きょうで三本の桁を支え、さらにその内側に一手出して拳鼻型の手挟を三重の斗で支える
・身舎側は二段の木鼻を出し、下段の木鼻で海老虹梁を受ける
 
・軒は二軒の繁垂木で、身舎側面中央には大きな室町風の蟇股を置く
 
・背面の妻飾は虹梁大瓶束で、頭貫上には蟇股を飾る
 
アクセス
大糸線北大町駅下車、西0.7㎞です。松本方面から便利な信濃大町駅だと北2㎞で、バス便も利用することができます。本数は多くありません。
見学ガイド
本殿脇には拝殿の左側から回り込むことができます。瑞垣に囲われていますが、瑞垣の背が低いので左右・背面から本殿全体をよく見ることができます。

 

感想メモ
独特の様式と精緻な細部意匠が見られる興味深い社殿です。境内には立派な三重塔や観音堂もあって神仏習合の不思議な雰囲気を味わうことができます。
(2020年8月、2023年8月訪問)

 

参考
若一王子神社公式サイト、現地解説板

 

 

上層農家の大規模な住宅

旧中村家住宅


なかむらけじゅうたく
大町市美麻
旧中村家住宅 主屋 36.605802, 137.888121
江戸中期
桁行25.5m、梁間10.9m、寄棟造、茅葺、西南隅もんぐち附属
土蔵 36.605579, 137.888237
江戸後期
土蔵造、桁行10.8m、梁間7.3m、二階建、切妻造、茅葺、正背面軒支柱付

 

旧中村家住宅は大町市街地の北方の山間部、旧美麻村に位置します。中村家は慶長年間に上方からこの地に移り帰農し、代々庄屋などを務めた旧家です。主屋は元禄11年(1696)に隣村の大工の手で建てられたもので、県下の住宅建築としては最古の遺構です。土蔵も安永9年(1780)の建築で、古い部類に属します。
・写真右が主屋で、左が土蔵
・土蔵は主屋と向かい合う形で屋敷入口付近(写真左端)にあったが、昭和後期の道路拡幅のため現在地に移築されている
 

 


主屋
 
・桁行14間・梁行6間の茅葺・寄棟造の大規模な建築
・非常に多くの柱で頑丈な造りとしている
 
・屋根は茅で非常に厚く葺かれている
 
・南面には縁を設けている
 
・縁は西側背面南端部(写真左)にまで続く
 
・南面東端にはもんぐちを付属させている
・もんぐちには門のほか、湯殿などを設けている
 
・正面上手には武家専用の出入口である式台を設けている
 
・屋根の一部を切り上げ、煙抜きを設けている
 
・主屋の上手には武家のみが入室を許された奥の間が設けられている
庭のある南面を正面としていることや、奥行きの浅い床の間としているのは、古い時代の特徴
・奥の間には竿縁天井が張られ、長押を回すなど上質な造りとしている
・奥座敷の周囲には畳敷きのゆりか(入側)が設けられている(中段写真)
 
・主屋の下手側は土間としている
・土間の一部には蓆を敷き、土座としている
・板敷の茶の間も、もとは土座であった
 
・最も下手側は馬屋としている
 

 


土蔵
 
・桁行6間・梁行4間の切妻造
・屋根は置き屋根で茅葺
 
・軒支柱を立てて置き屋根を支えている
 
・内側は栗の厚板を落とし込んで、頑丈な板壁としている
 
アクセス
JR信越本線長野駅と大糸線白馬駅を結ぶバスで美麻ぽかぽかランド前下車、西700mです。信濃大町駅、北大町駅からのコミュニティバスは中村家住宅の近くに停車します。
見学ガイド
旧中村家住宅は有料で公開されています。

 

感想メモ
山間部の静かな集落にありますが、非常の規模の大きな迫力のある建物です。この辺りは江戸時代の商品作物四木三草のひとつ麻の特産地であったということで、これがもたらした富の大きさを実感させられます。
(2023年8月訪問)

 

参考
現地解説板、大町市公式サイト

 

 

小型で簡素な見世棚造の社殿

神明社


しんめいしゃ
北安曇郡白馬村三日市場
神明社 本殿 36.644147, 137.860955
桃山
一間社切妻見世棚造、厚板葺
諏訪社本殿 36.644156, 137.860895
桃山北安曇郡白馬村三日市場
一間社流見世棚造、厚板葺

 

三日市場神明社は、仁科氏の氏族、沢渡九八郎盛忠がこの地に城を構えるに当り社殿の造営工事を行ったもので、神明社社殿は向拝付、屋根直線板葺の一間社、諏訪社本殿は流造、屋根板葺の一間社でたいへん簡素なものです。
アクセス
JR大糸線神城駅、南神城駅それぞれから2.3kmです。長野駅と白馬駅を結ぶバスが神明社の近くを通ります。文化庁のデータベースは全く異なる山中の位置を示しています。この地域にはいくつかの神明社がありますが、重文社殿があるのは、三日市場神明社で、位置は上表の座標に示すとおりです。
見学ガイド
神明社の本殿、諏訪社本殿とも覆屋の中にあって、外部から全く見ることはできません。

 

感想メモ
覆屋の中にあるとの情報がありましたが、隙間くらいはあるかもと期待して、大町の中村家からの帰路に立ち寄りました。大変頑丈な造りの覆屋で1ミリの隙間もありませんでした。
静かな山間の村です。ただし、熊注意の看板多数。
(2023年8月訪問)

 

参考
白馬村公式サイト