今年も筑駒は1次の抽選はないようですね。
1 筑駒の1次抽選
今年の筑駒の募集要項によると、募集人数の約8倍以上の出願者がいた場合は抽選になると記載されています。
募集人数は120名なので、960名以上ということですね。
最近の出願人数を見ると、多くてもせいぜい700名程度ですので、今後何か事態が大きく変わらない限り抽選が行われることはなさそうです。
2 1次抽選の思い出
最後に抽選が行われたのはいつなのでしょうか?
数十年ほど前、実際に抽選が行われていたことは明らかです。
ここに生き証人がいますので。笑
当時の中学受験環境
私の小学生時代は、「受験戦争」という言葉がポピュラーになり、第1次(?)中学受験ブームが起こっている時代でした。悪名高い都立高校の学校群制度やグループ選抜制度の存在が、首都圏の中学受験人気に拍車をかけていたと思います。
当時、今ほど多くの学習内容は要求されていなかったですし、まだまだ学習内容や学習スケジュール面では牧歌的な時代ではありました。
例えば、あくまで私の記憶ですが、サピで暗記させられる歴史の年号など、私の中学受験時代にはその半分も覚えていなかったと思います。算数も、特殊算は今と同じようなものをやりましたが、難度は全然異なります。図形問題でも、例えば難関校では当たり前の立体切断などは当時ほどんど出題されなかったように思います。
また、今や当たり前の志望校向け特訓だとか、正月特訓などもほとんどなかったと思います。とにかく子供が多い時代だったので、塾としては、受験生一人当たりの単価よりも、どれだけ多くの受験生を集めるかという競争だったのでしょう。今の塾は少人数制を売りにしているところが多く、例えばサピも1クラスせいぜい15-20名ですが、当時の大手塾は1クラス50名くらい押し込む塾が普通だったのではないでしょうか。
つまり、個々の受験生に求められる学習内容は、今よりもだいぶ薄く、狭い内容で、平均的に要求される勉強時間も今よりはるかに少なかったのです。ただ、何せ同世代人口が多かったので、競争そのものは激しかったです。
当時の国立中人気
特に国立大附属校は、学費の安さや進学実績の良さから人気が凄まじく、今となってはビックリするようなもの凄い倍率でした。
都立高校が学校群制度導入で凋落した結果、同様に学費も安く、受験に地域的な縛りが少ない国立大学附属高校の人気が急上昇しました。1960年代後半から80年代にかけて、筑駒・筑附・学芸大附属が東大合格者数トップ10常連になりました。そうすると、その附属中学も人気が急上昇したわけです。
ネットを漁っても当時の記録はでてこないので、私の記憶だけの話なのですが、筑駒の倍率は毎年20倍弱くらいあったと思います。ちなみに筑附やお茶の水女子大付属、学芸大附属中などは、附属小学校があるため中学の募集人数は筑駒より少なく、従って、倍率はもっと高かったと思います。30倍とか40倍くらいあった記憶です。
国立中学は現在と同様2月3日に入試が行われていたという記憶ですが、当時は都立中高一貫もなく、記憶が曖昧ですが海城や早稲田の2次もなかったように思いますし(違っていたら教えて下さい)、結局難関校志望者は2月3日はほぼ国立中一択みたいな世界でした。従って、国立の附属中に受験者が集中したということもあったと思います。
しかし、試験会場のキャパは限られています。国立大の附属校は、外部の試験会場を借りて入試を実施するというようなことはなかったので、自分の学校で賄えないような人数の出願者では入試が実施できないのです。
また、国立の中高の進学校化に対する批判めいたものもあったと思います。折しも「受験戦争」などと言われる苛烈な時代の中で、国立の附属がそれを煽るような入試を行っていいのか、といった批判です。
そのようなことから、この時代に1次試験として抽選が導入されたものと理解しています。
私自身の筑駒受験
そして、その時代に中学受験を経験した私も、筑駒に願書を提出したのでした。調査書も今と同様にあったと思います。小学校の担任の先生から渡された記憶があります。
もっとも、正直な話、私にとって筑駒は第一志望ではなく、当時あまり学校のことを知らない状態でした。筑駒といえば水田学習で、これは私が中学受験生当時からあったと思いますが、その存在すら知りませんでしたね。
まあ当時は上記のとおり抽選がほぼ毎年確実に実施されていたので、一般的に国立大の附属校は第一志望にしにくかったです。どんなにいい学校でも、抽選で撥ねられる可能性がある学校を第一志望にするのは躊躇します。本腰を入れた対策もテンションが上げ辛いです。過去問10年分を仮にやっても、抽選でダメなら受験もできない、という状況では、なかなか時間を割く気になりません。そうであれば、抽選のない2月1日校(=御三家など)を本命校として、2月3日の国立は運よく合格できればいいね、という感じで過去問もほどほどにしておこう、という感じになりますね。たぶん当時の多くの難関校受験生がそのような感じだったのではないでしょうか。
という訳で、筑駒にさほど思い入れのない状態でしたが、自分の成績と、2月3日のほかの中学を天秤にかけて、まあやっぱり一番難度の高い筑駒かな、といった感じで割と軽い気持ちで出願しました。ちなみに、当時の筑駒は抽選があったにもかかわらず、開成・麻布・武蔵より難度が同じかやや高かったと思います。やはり国立・男子校・附属小学校がない中高一貫校、というのは、今も昔も筑駒しかないので、難関校志望の男子の人気は高かったのでしょう。
1次の抽選は、私の記憶では本人か保護者が当日筑駒にいかなければならなかったと思います。私は小学校があったので筑駒には行かれず、親が行きました。小学校から帰宅した私は、親に「はずれたよ」と淡々と伝えられ、私も淡々と「あ、そう。まあ2月1日がんばればいいや」と言った記憶があります。そのくらい当時の私には筑駒への思い入れはなかったのです。結局私の筑駒受験は、私自身が筑駒に足を運ぶことなく終わりました。笑
これも当時の記憶なのですが、確かその時の抽選の倍率は約2倍くらいと聞いた気がします。今の抽選を実施する際の出願者倍率が8倍以上ということなので、これは当時の倍率20倍弱という記憶ともマッチします。
私自身は筑駒熱望組ではありませんでしたが、当時はどんなに筑駒を熱望して、勉強を一生懸命がんばっても抽選で落ちてペーパーにも臨めない受験生がたくさんいたのです。実際、私の小学校当時の受験仲間は(私を含め)くじ運が悪く、塾での成績が非常に良かった2人の友人も筑駒は抽選落ちでした。そのうちの一人は筑駒熱望組でしたので、抽選落ち後は本当に残念そうにしていましたね。なお、その筑駒抽選落ちの2人は開成と麻布にそれぞれ合格して進学しました。
そういう意味では、現在は筑駒熱望組にとっていい状況と言えます。筑駒に入学したいと思うのであれば、それに向けて努力し、その努力の成果を発揮する機会が確実に得られるわけですから。
おわりに
昨年は息子の受験であまり懐古的な記事を書く余裕はなかったのですが、筑駒の1次抽選がないという情報を得て、実際過去に筑駒1次に落ちた時の話を書きたくなった次第です。
また需要があれば、たまに昔話を書きたいと思います。
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中学受験総括⑥-6年開始から夏休み前まで(1週間スケジュール)
中学受験総括⑫-6年9月から12月(必須の模試と他塾模試の必要性)
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