(「由良川」河口、湊十二社近く)





◆ 丹後の原像

【41.「丹後史料叢書」 ~「丹後風土記殘缺」 4】





早く1日3記事に戻さねばならんのですが。


この「楽」さ加減に慣れてしまうと

なかなかそんな気になれない…


いかん!いかん!


ま…でも…もうしばらくは…。




前回の記事より…

当時、加佐郡に鎮座していた三十五座を

現在の神社に比定する作業を行っています。


およそ半分が終わり、

今回はその残り半分を。



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【大意】

神社は合わせて三十五座
* 青葉社
* 天蔵社(※)
* 山口坐祖神(※)
* 日尾月尾社
* 志東社
* 大倉木社
* 御田口社
* 河邊坐三宅社
* 鳴生葛島社
* 同将軍社(※)
* 杜坐彌加宜社
*高田社
*倭文社
* 砧倉社
* 手力雄社
* 日原社
* 出雲社
* 伊加里姫社
* 笠水社
* 笶原社       (ここまで終了)
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* 伊吹戸社
* 十二月栗社
* 石崎坐三輪社
* 凡海坐息津島社
* 凡海息津島瀨坐日子社
* 大川社
* 五蔵社(伍蔵社)(*)
* 布留社
* 船戸社
* 伊知布西社
* 麻良多社
* 水戸社
* 奈具社
* 神前社
* 氣比社
* 劔社
* 阿良須社


(※)について

「蔵」の文字が潰れており、異なる文字が使われている可能性有り、「藏」かもしれません


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【伊吹戸社】
この社名で探すも見出だせず。「伊吹戸命」「伊吹戸尊」「伊吹戸大明神」…と「舞鶴市」で検索をかけると結城神社(未参拝)がヒット。
「胆吹明神」が祀られていたとあります。地名は「青井」、鍛冶氏族が住み着き奉斎していた社であろうと思われます。

【十二月栗社】
検索をかけると舞鶴市「長浜」の地に鎮座する高倉神社(未参拝)の境内社 十二月栗神社(しわすぐりじんじゃ)がヒット。
ところが「長浜」という地は、「西舞鶴」と「東舞鶴」とのちょうど間の地。「東舞鶴」から始まり「西舞鶴」に突入したのに逆戻り。遷座があったのでしょうか。

【石崎坐三輪社】
与謝野町(與謝郡)に鎮座する木積神社ではないかとされています。
海部穀定氏(元籠神社宮司)の「元初の最高神と大和朝廷の元初」によれば、舞鶴市「瀬崎」という地にあった「石崎坐三輪社」が與謝郡へ遷座されたと。それが配祀神として祀られる大物主神のことのようです。

【凡海坐息津島社・凡海息津島瀨坐日子社】
2社まとめて。「凡海(おほしあま)」というのは「若狭湾」のことと思われます。そうすると「息津島」というのは「冠島」のことではないかと。
現在は老人嶋神社が鎮座しているとのことですが、野生動物の調査研究とごく限られた地元民が年に一度だけ上陸を許されているだけなので、詳細は不明。
既に何度も触れていますが、丹後の根源に関わる島です。

【大川社】
式内名神大社 大川神社で間違いないかと思います。丹後屈指の大社。
120社余りの丹後の神社を当ブログで紹介していますが、籠神社に次いで立派な社殿を有しているように思います。また多くの他社の境内社としても祀られています。ご祭神は諸説あるものの、豊受大神と同神と見なされる保食神が祀られていると考えています。

【五蔵社(伍蔵社)】
ネットでいろいろ調べてみると、舞鶴市「西方寺」に鎮座する猪蔵神社(未参拝)を宛てる説があるようです。鎮座地は「由良川」の中流域、支流の「岡田川」畔。小さな山村集落があるもよう。
天武天皇白鳳元年(推定673年)、江州粟津原で合戦の際に鹿取神宮・鹿島神宮(いずれも未参拝)から武神を勧請したと伝わっています。
壬申の乱のことでしょうか?春日大社より先に勧請したというのは疑いたくなるところ。

【布留社】
詳細不明、検索してもまったく手掛かりを得られません。掲載順から察するに「由良川」を遡上しているように思います。従って舞鶴市小倉の布留山神社ではないように思います。「大倉木神社」にも宛てられていることですし。

【船戸社】
福知山市大江町「蓼原(たではら)」に鎮座する船戸神社・富士神社のことかと思います。7~8年ほど前に参拝しているはずなのですが、写真も無ければ資料も無し、記憶すらほとんど無し…。

【伊知布西社】
舞鶴市「桑飼下杉ヶ迫」に鎮座する伊智布西神社で間違いないでしょう。「由良川」畔、縄文時代の遺跡が発見されています。

【麻良多社】
こちらも舞市「丸田」に鎮座する麻良多神社で間違いないでしょう。鍛冶神を祀る社であると思われ、境内はとても趣深い古社然。

【水戸社】
詳細不明、検索しても手掛かりを得られません。「水戸(おそらく「みなと」)」とあるからには「由良川」沿い、しかも河口に鎮座していたかと。するとそれらしき社が舞鶴市「西神崎」に鎮座する「湊十二社」が浮かび上がります。
「由良川」まで伸びるかつての参道を進むと絶景が現れました(冒頭写真)。

【奈具社】
宮津市「由良」の奈具神社で間違いないでしょうか。「奈具神社」は京丹後市にも鎮座しています。そちらは竹野郡に含まれます。
穏やかな雰囲気でありつつもどこか寂しげな雰囲気の境内、豊受大神の悲劇の伝承と相まってすっかりお気に入りのお社となりました。丹後に行き始めた15年ほど前は必ず参拝していたお社です。

【神前社】
詳細不明、検索してもまったく手掛かりを得られません。一旦「由良川」河口まで下ったのに、この後はまた上の方へ遡った社が掲載されています。従って「由良川」河口の社なのか、遡った社なのかすらの見当も付かず。

【氣比社】
舞鶴市「岡田由里」に鎮座する氣比神社のことと思われます。
昨年末に周辺を巡り当社へも参拝したはずなのですが…なぜか記事が上がっていません。写真を探し出して近いうちに記事を上げます…。

【劔社】
こちらも詳細不明、検索してもまったく手掛かりを得られません。

【阿良須社】
福知山市大江町「北有路」に鎮座する阿良須神社であろうと思います。東舞鶴にも阿良須神社が鎮座していますが、掲載順からみると大江町の方かと。
紹介記事でも記しているように、製鉄鍛冶の匂いがぷんぷん。このお社が実はちょっと重要ではないかと考えているのは私だけでしょうか。

【出雲社】漏れていたので追加掲載します
こちらも詳細不明、検索してもまったく手掛かりを得られません。日原神社と伊加里姫神社との間に掲載されているので、その間か或いは周辺なのであろうかと。
「出雲」とはっきりと冠しているお社。籠神社の原初の神は出雲国の熊野の神である…などとも言われ、実際に海部氏が原初に拠点としていたのは丹後国熊野郡。「出雲」を冠するお社となると、大変に気になるのですが…残念ながら現状は手掛かり一切無し。


(宮津市「由良」の奈具神社)


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今回はここまで。

次回は加佐郡の「史跡」といった類いについて、
詳細が記されています。

少々大変になるかと思いますが翻訳作業を。


社名や「史跡」的なものが掲載されているのは加佐郡のみで、他郡の掲載はありません。

おそらくは失われたということなのだろうと思います。