大川神社


丹後国加佐郡
京都府大川徹光山169-1
(P有)

■延喜式神名帳
大川神社 名神大 の比定社

■旧社格
府社

■祭神
保食神


「由良川」の畔、「徹光山(てっこうざん)」(標高200mほど)の東側山腹に鎮座する社。
◎創祀は第24代顕宗天皇元年、由良の漁師 野々四郎に、金色の鮭に乗り五穀と養蚕の種を持つ神が降臨し「大川」の地に鎮座したいという神託があったことによります。
これは多くの古書が概ね同様に記しているもの。顕宗天皇三年というものが散見しますが。「金色の鮭に乗り…」という社伝は他所でも多く見られるもの。
◎一方で「丹哥府志」はさらに詳しい創建譚を。「顕宗天皇三年に神託があり、由良の海 上小島より遷し祭る」と。「上小島」とは若狭湾内にある「冠島・沓島」のうちの「冠島」のこと。「野々四郎という者が由良の湊に船を浮かべ釣糸を垂らしていると、白衣を着た異人が金色の鮭に乗り、左に蟹を携え、右に五穀の種を持って現れた」(以上大意)とあります。
◎天武天皇五年(676年)に勅使をもって幣帛が捧げられ、持統天皇七年(693年)には「祈雨の政」が行われたとされ、創建はこの頃であろうと思われます。
◎ご祭神については諸説有り。その「丹哥府志」は豊受持命、他に大川大明神、稲倉豊宇気持命など。創祀譚からも五穀豊穣を祈る神であったと思われますが、丹後国に多くみられる、保食神と豊受大神を同神とされているようです。
◎相殿神には金属神に関わる神がみられます。「丹哥府志」の言う「異人」という記述も含め、「徹光山」において採鉱がなされていたように考えます。
◎当社は加佐郡唯一の名神大社。加佐郡内に鎮座する多くの神社に、境内社として当社分霊が祀られています。