皆天満宮
(かいてんまんぐう)


大和国添下郡
奈良市西ノ京町313
(P無し、近隣停め置き不可、薬師寺P500円/1回から徒歩5分ほど)

■旧社格
村社

■祭神
菅原道真


「秋篠川」西岸、薬師寺という仏教施設の東隣に鎮座。背後にはその施設の東塔という建造物が見えます。また真後ろにはその境内に鎮座する、大津皇子ゆかりの龍王社(未参拝)が池を挟んで鎮座しています。
◎創建由緒等については伝わっていないようです。御本殿は春日大社の境内摂社 紀伊神社の御本殿を移したものとみられます。三柱の様式となっているのはそのためかと。当社に菅原道真公以外の二柱が祀られているのかどうかは不明。もし祀られているとすれば天穂日命と野見宿禰ということになるのでしょうか。
◎当地はかつての添下郡(そふのしものこほり)「六条村」に属しますが、菅原道真等を輩出した「菅原村」の南隣。古代は一帯(後の「菅原村」「宮跡村」「六条村」)を合わせて「菅原邑」と称されていたものと思われます。
◎「菅原氏」は天穂日命を始祖とし(異説有り、当ブログでも天穂日命を始祖とは考えていない)、野見宿禰を祖とする氏族とされます。垂仁朝に「土師職(はぢつかさ)」と「土師姓」を賜り、桓武朝に「菅原姓」を授かるまでは土師姓を称していました。
最古の天満宮とされ、菅原道真の有力な出生地候補の一つである「菅原村」の「式内社 菅原天満宮」を中心とし、「菅原村」から「宮跡村」「六条村」の地には数多くの天神社が鎮座しています。菅(すげ)が繁茂していたことからの氏族名由来とも。

◎「土師氏」に就いては、「巨大古墳あるところに土師氏在り」(塚口義信氏談)とあるように、古墳の築造、埴輪・土器の製造、宮廷等の葬送儀礼等を司った職能集団の氏族。
「菅原」「大江」(大枝)といったへの改姓は、葬送儀礼を伴った「土師」という姓を恥じたからとされ、時代の虚いを感じさせるもの。
垂仁朝に裔の野見宿禰が、皇后日葉酢媛命の御陵築造の際に、それまでの殉死を止めて代わりに埴輪を以て行うことを進上したと紀に見えます(考古学上からは否定されている)。その功により山城国乙訓郡大枝郷を賜ったと。その三世孫の身臣が仁徳朝に河内国志紀郡土師里を本拠地とし(参照 → 道明寺天満宮)たとされます。「葛城王朝」を経て「河内王朝」へと、とりわけ古市古墳群、続く百舌鳥古墳群に於いては大車輪の活躍であったであろうことは想像に難くありません。
時代は降り古墳築造等の需要がなくなると、土師姓をあらため菅原道真や大江広元・匡衡・匡房、菅原道真、和泉式部といった文化人を多く輩出する氏族へと変わっていきました。

*写真は2021年6月と2026年10月撮影のものとが混在しています。


右背後に見えるのは薬師寺東塔という施設。






池を挟んだ先に薬師寺という仏教施設の東塔、奥に西塔が見えます。



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