[丹後国丹波郡] 多久神社
御本殿の覆屋内に掲げられる豊受大神の奉納絵馬







◆ 丹後の原像
【102.豊受大神にじわりと… ~10】






前々々職(およそ一年半前)に於いて、
丹後へと敬神活動へと向かう際には

丹後の古代史に対しての
自身のある一定の課題を抽出し
その研修とブログ上にて結果報告を行うことにより、

餞別と言いますか…
スポンサーと言いますか…

御支援者?パトロン?的な方から
遠征費用の一部を御負担頂いておりました。

一期一会的な仕事柄にも関わらず、
大変に御愛顧賜っておったものです。

未だ大した成果を出せてはおりませぬが
将来を予知してのことだったのかも。

自身では使い切れず
相続税に持って行かれるのなら…ということでしたが、
私にとっては身に余る光栄でした。

後は一切追わぬという御約束でしたので
御消息は存じかねるも

御年99歳やったかな?
既に3月より昏睡状態に入られたと御子息様より伺ってはおります。

世に多大なる御功績を遺された御方。
「住吉大神を…と思てるうちに神功皇后さんに御縁を賜りましてのう…」と常々語られていました。

いつしか皇后の元へと行かれるのでしょうか。

私もいつしか豊受大神の御元へと
旅立てるようにと…


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[丹後国丹波郡] 藤社神社

豊受大神が最初に降臨したという「比治真名井原」の最有力候補地。



■ 豊受大神に迫る


◎余談を挟みます…

これまで多くの丹後国内の神社を巡って伝承を吸い上げ、またその度に丹後の古代史をあれやこれやと推察してきました。いや…実態は妄想という方が正しいか。

思えば…
丹後に魅せられ、

太古の浪漫と、
今なお面影を伝える
美しい丹後の景観とが相まり、

およそ70回ほどか
丹後の憧憬に耽ってきました。

生死を分かつほどの岐路に直面した時には
なぜかいつも「天橋立」を歩いていて、

人生の終わりを覚悟した際には
いつも豊受大神が寄り添って下さったように思います。

このことを悟って以降は
豊受大神という偉大なる大神の下僕として
余生を過ごそうと考えることとなりました。


今、信じてきたそれらが悉く否定される時期に突入しました。何れこのような類いの結果になるであろうことは、早くから薄々感じてはおりました。今、正にその第一段階にあるのでしょう。

[丹後国輿謝郡] 「天橋立」の日の出の瞬間
「天橋立」は豊受大神の社の参道である。




◎豊受大神の実態


雄略天皇二十二年に「丹波直」の裔である大佐々古命により、豊受大神は「度会の山田原」へ遷座されたと伝わります。これは「止由気宮儀式帳」に、雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の比治の真奈井にいる御饌神(みけつかみ)である等由気太神(トユケオオカミ、=豊受大神)を近くに呼び寄せよ」と言われたので、外宮に祀るようになったというもの。

そして彼等一族を司祭者として、国家により奉斎される「豊受大神宮」(外宮)へと昇華しました。


ところが豊受大神の遷座は元より、豊受大神の実態を伴うもの、或いはそれを匂わせるものすら皆無。従って豊受大神の神名の記述がみられる、記の編纂前に創出された神なのではないかと疑いを持ったわけです。



[丹後国丹波郡] 冨持神社

社伝によると豊受大神が最初に降臨したという「比治真名井」は「磯砂山」であり、山の周辺を「比治」と呼んだが、「冨持(ふぢ)」へと転訛したとのこと。




以下は個人的な推測、いや妄想というレベルのもの。自身でも確証できるというものでもなく、今後、この考えを真っ向から否定する可能性も無いとは言い切れません。現状の到達点として記しておきます。


豊受大神宮(外宮)の神官を務めた「度会神主」は「磯部氏」(石部氏とも)が改姓したもの。「磯部氏」は「丹波国造家の支族」が、雄略天皇二十二年に豊受大神の遷座とともに移遷し、「磯部(石部)」姓を名乗ったものと思われます。


「丹波国造家」が奉戴したのはおそらく大国主命。また彼等が管掌した「海直(アマノアタヒ)」が奉戴したのは豊玉彦神。ところが伊勢へと移遷し、奉戴したのは大歳神や大土御祖神・大国玉神といった父子神。これはおそらく、それらの神々を奉戴した氏族との婚姻関係があったのではないかと想像します。


ここで問題が浮上してきました。豊受大神宮の前身にてそれらの神々を祀っていましたが、「地祇」であること。国家的祭祀を行おうとする対象の神が「地祇」であってはいけない。かつて丹後で奉戴していた大国主命や豊玉彦神もまた「地祇」であったのです。

そこで「天神」、或いはどちらとも判別し難い新しい神を創出し、国家的祭祀を行おうと考えたのではないかと。そこで新たに生み出されたのが豊受大神。


大国主命のような国土開拓神でもあり、豊玉彦神のような海神でもあり(丹後は日本海の玄関口でもあり、また海産物の宝庫でもある)大歳神のような穀霊神でもあり、大土御祖神や大国玉神のような地主神でもある、総合型の神が創出されたのです。もちろん神名から察せられる通りに、穀霊という神格が根幹を為すもの。

磯部氏が納得し得る神に置き換えられたということでしょうか。


新たに創出された神なのですから、もちろん事蹟などは存在しません。系譜を重視する記にはひっそりと、農耕関連の神と思われる和久産巣日神の子として潜り込ませられたのでしょう。紀は「正史」ですから、相変わらずこういったことには無視を貫きます。邪馬台国が記されないのと同様のことかと。


こうして新たに創出された豊受大神を、あたかも丹後で奉斎が続けられていた神として体裁を整え、その神が伊勢へ遷座されたとして豊受大神宮が本格的に創建がなされたのであろうかと考えます。


またそれに伴い、丹後に於いては一斉に古来より豊受大神を祀っていたと体裁を整えたのでしょう。

記の成立より七年遅れて、養老四年(719年)籠神社が創建されました。奥宮となった眞名井神社にて豊受大神が祀られていたのを遷座させたというのが社伝とされていますが、これはその時に体裁を整えたもの。

大宮賣神社では若宮賣神として、大宮賣神に併祭されることとなりました。また丹波道主命の娘 八乎止女が「府岡」(丹波道主命居館跡、船岡神社)にて豊受大神を奉斎していたということとなり、それ故か丹波郡では主要社がすべて豊受大神を祀るということになったのであろうと考えます。


これが現時点に於いての自身の到達点。確証となり得るものを甚だ欠いており、今後、自身のあらゆる敬神活動の成果より、この考えが覆る可能性も十分にあるかと思われます。



[丹後国輿謝郡] 眞名井神社




◎附 丹後の「天女」伝説


「丹後国風土記」逸文の「奈具社」の項に、以下のように記されます。これは自身が豊受大神に没頭する原因の一つになったもの。附(つけたり)として掲載しておきます。


━━丹後国風土記に、丹波郡の郡家の西北の隅の方に「比治の里」があり、この里の「比治山」の頂きに井(池)があり、「真奈井」と言う。今は既に沼と成っている。この井に天女八人が舞い降りて来て水浴みしていた。そこに和奈佐という名の老夫婦が現れ、密かに一人の天女の衣装を隠した。衣装のある天女たちは天に帰ったが、衣を隠された天女だけ人間界にとり残され、老夫婦のいうがままに従い娘となって10余年間暮らした。天女は酒造りが上手く、一杯飲めば万病に効く酒を造り機織りも教え、家はたちまち裕福になった。ところが老夫婦は「おまえはやはり我が子ではない」と天女を追放する。天女は嘆き「天の原 ふりさけ見れば 霞立つ 家路迷どひて 行方知らずも」と唄い、老夫婦の元を去った。「荒汐の里」(荒塩神社に比定)に至り、次に「哭木の里」(名木神社に比定)へ至り、さらに「婦哭の里」に至る(船木の奈具神社に比定)に至り、「わが心なぐしくなりぬ」とここに安住の居を構えたという。これにちなんでこの地を「奈具」と呼ぶようになった。そして村びとたちによって天女は豊宇賀能売命として奈具神社に祀られた━━


[丹後国竹野郡] 奈具神社




◎あとがき


従前より薄々と感じてはいましたが、その通りの結果に至りました。豊受大神は飛鳥時代末~奈良時代初頭頃に新しく創出された、実態のない神であると。


とは言え、丹後にはそのモデルというべきか、源流というべきか、前身というべきか、篤く崇められていた神がいたはず。それは大宮賣神が丹後に於いての最高神を奉る巫女(シャーマン)であった可能性もあるのかと。
それが自然信仰の神であったのかもしれぬし、太陽神といった類いの絶対神であったのかもしれぬし、名も無き農耕の守護神であったのかもしれぬ。また大国主命なのかもしれないし、豊玉彦神なのかもしれない。さらに羽衣天女だったのかも。


豊受大神とは、それらすべてを内包する「丹後の最高神」として、丹後人の心に在り続けているのかもしれません。


そうであると捉えるのであれば、これまで通りに何ら変わりなく、篤く奉斎を続けるのみ。


自身にとっては…

崇め奉り申し上げる至高神であり

この上ない思慕神であり

この上ない恋慕神であるから。


[丹後国加佐郡] 豊受大神社




これで「豊受大神にじわりと…」シリーズを終えたいと思います。


何れは「豊受大神にじっくりと…」的なタイトルの記事を上げることが、次への目標。



非常に大変であるも

この上なく有意義な時間を過ごしたように思います。


「豊受大神ロス?」起こりそうです。


でも来月こそは

丹後へ旅立つ下準備を着々と整え中。


現実味を帯びてきたかも…。



今回こそは最期を迎えるのか?

そのような自分史上最悪に近い状態まで陥りましたが、


いやいやいや…


今回もまた

豊受大神はお許し下さらなかった。


だから…

今の「とことん!」を極めたつもり。


自称「日本一の豊受大神オタク」は

まだまだ健在です。



[丹後国加佐郡] 奈具神社

三度目に参拝した、およそ20年以上前の写真。豊受大神に魅入ったのは眞名井神社が先だったか…こちらが先だったか…

[丹後国輿謝郡] 眞名井神社

まだ磐座を直接拝することができた二十年近く前の秘蔵写真。神前で跪き拝んだのはこちらが初めてでした。社伝では「天御中主神=豊受大神」。

[丹後国加佐郡] 「由良川」河口付近(かつての湊十二社の神域と思われる)
「由良川」を支配し守護するのは豊受大神。




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