☆海石榴市 (つばいち)


大和国城上郡
奈良県桜井市金屋(一帯)



「三輪山」の南麓、「泊瀬川(初瀬川)」の畔にかつて飛鳥の都の玄関口として大いに栄えた地。

最古のものではないかとされる市が、かつてこの辺りにありました。ヒト・モノ・情報の集積地。

紀には欽明天皇十三年(552年)百済の斉明王の使者が釈迦仏像や経典をもたらしたとあり、これをもって仏教公伝とされます。

また遣隋使から小野妹子が帰ったのはこの地。隋からの使者 裴世清(ハイセイセイ)を75頭の飾馬を用意し迎えています。

また男女の歌垣の場でもあったと(現在にいう婚活パーティー)


◎万葉集には以下の2首。
━━紫は 灰指すものぞ 海石榴市の 八十の巷に 逢へる兒や誰━━

━━海石榴市の 八十の衢に 立ち平し 結びし紐を 解かまく惜しも━━

「八十の衢(ちまた)」とは、「山の辺の道」「初瀬街道」「横大路」「磐余の道・山田道(飛鳥の都から)」といった古代幹線道路が交差する場所。まさに水陸の要衝でした。

ここで歌垣が催されたということは、言霊と精霊の交流の場であったとも考えられます。
「神を媒体とした懲罰や処刑の場としての機能や雨乞い、授戒、葬送など他界への出入り口として、お祓いや清めの役割もあった」(桜井市観光協会サイトより)と。

紀には武烈天皇が皇太子時代に平群鮪(ヘグリノシビ)と影姫を争った舞台もこちら。

「枕草子」には、長谷寺参りの際には必ず「椿市」に留まるとあります。「椿」は「柘榴(ザクロ)」に似ているとされ、海を越えてもたらされたことからの「海石榴」。

なお大行事社(大神神社 摂社)は、この「海石榴市」の守護神であったと伝わります。