大行事社 (大神神社摂社)


大和国城上郡
奈良県桜井市三輪字平等寺
(P無し、大神神社拝殿より徒歩5~10分ほど、短時間なら鳥居前に駐車できるか)

■祭神
事代主神
八尋熊鰐神(ヤヒロノワニノカミ)


JR三輪駅前の三輪惠比須神社の元宮とされる社。古代の最大の市として大いに賑わった「海石榴市(つばいち)」の守護神が、ここで祀られていました。「海石榴市」はモノとヒトの交流はもちろん、歌垣が催されるなど言霊や精霊の交流の場でもあったと考えられています。
大神神社の神宮寺である平等寺のすぐ側に鎮座、平等寺ははかつて広大な敷地を有していたためその中にあったと思われます(平等寺創建時にはすでに遷座)。神坐日向神社(本来は高宮神社か)から真東に100m余り、素戔嗚神社から真東500mほどに鎮座しています。
仮に崇神天皇の磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)が定説通り現在の志貴御縣坐神社の辺りにあったとするならその近く、または宮内に鎮座したと考えられます。もちろん創祀は後の時代のことですが。まさにこの周辺が日本の中心都市であったということです。
◎大いに賑わった「海石榴市」も初瀬川の大洪水で流されてしまいます。その守護神であった当社も現在の三輪惠比須神社へと分霊されて、細々とした市へと変貌。ただし後の時代には初ゑびすの日に三輪素麺の初相場が立ち、この日だけは往時を彷彿とさせる賑わいがあったかもしれません。
◎問題はご祭神。事代主神が祀られており、全国ゑびす信仰の大元が当社であろうと思います。案内に示されているのは「(大國主命が冥界に身を投じた)その後は冥界の節度を掌る立場=行事に就かれた」のを社名の由来としています。非常に曖昧な表現ですが。
◎その事代主神が「八尋熊鰐(ヤヒロワニ)と化して、三島溝樴姫(ミシマミゾクイヒメ)」の元に通って生まれたのが姫蹈鞴五十鈴姫としています。姫の大便中に女陰を…という有名な神話。姫蹈鞴五十鈴姫は神武天皇の后であり、つまり事代主神は叔父ということに。
この不可思議な神話に対しては多種多様な解釈が出されており、謎の神である事代主神の実体を掴む鍵の一つでもあるのですが。
ここでは事代主神と化けた姿の八尋熊鰐神が並び祀られていることにも留意する必要があるのでしょうか。また妹神である加夜奈流美神が紛れ込んでいることにも留意する必要があるのでしょうか。
◎また大神神社の大物主神は事代主神のことであるとする説があります。この地にこのようにして祀られていることが重要ではないかと。
大國主神に取って替わり「冥界の節度を掌る…」、そして不可解な神話と、ひっそりと佇む古社ながら、古代の重要な鍵を握る一社かと考えています。往時との栄枯盛衰の感慨に耽りながら訪れるのもいいものかと思います。