石上神宮
(いそのかみじんぐう)


大和国山邊郡
奈良県天理市布留町384
(P有)

■延喜式神名帳
石上坐布留御魂神社 名神大 月次相嘗新嘗 の比定社

■社格等
二十二社の中七社
旧官幣大社
現在は別表神社

■祭神
布都御魂大神
布留御魂大神
布都斯魂大神
[配祀] 宇摩志麻治命 五十瓊敷命 白川天皇 市川臣命


日本最古級の社。「龍王山」(586m)の西麓にある伝説の「布留山」の北西麓に鎮座、北方にはこちらも伝説の「布留川」が流れています。
◎元々はご本殿は無く、ご神体が鎮まっているのは「布留高庭」と呼ばれる特別な場所。現在は「布留社」と書かれた剣先状石瑞垣で囲まれ、禁足地となっています。
◎境内には朝廷の武器庫として「天神庫(あめのほくら)」があります。垂仁天皇の皇子である五十瓊敷命により管掌されていました。退任後は妹の大中姫命に託そうと試みるも手弱女(たおやめ)であるという理由から断られ、物部十千根が継承しました。物部氏の総氏神でもありますが、朝廷にとっても非常に重要な神社であったとも言えます。
◎「天神庫(あめのほくら)」については垂仁天皇三十九年に剣一千口と神宝が納められたとされます。桓武天皇の御代に山城国へ遷そうとしたときに延べ十五万七千余人を要したとあるほどの量が収納されていたと伝わります。
◎祭祀に関しては秋に行われる「鎮魂祭(魂振り神事)」が有名。これは宮中と彌彦神社物部神社(島根県大田市)など物部系の主要社のみで行われるもの。これは死人をも生き返らせるという究極の神事。
◎主祭神は三柱、総称して「石上大神」と呼ばれています。
◆布都御魂大神(フツノミタマノオオカミ)
神剣「韴霊(ふつのみたま)」に宿る霊威。大国主命の国譲り神話に登場する、武甕槌神が携えていた剣。後に神武天皇が大和入りする前に熊野で倒れた際に、高倉下神(タカクラジノカミ)を通じて授けられます。その後剣は宇摩志麻治神(ウマシマヂノカミ)により宮中で祀られていましたが、物部氏の祖である伊香色雄(イカガシコオ)の代になり(崇神7年)、「布留高庭」に埋められました。これが当社創祀となります。なお大正時代に発掘されて伝説が事実となりました。現在は「高庭」に埋め戻されています。
◆布留御魂大神
物部氏の遠祖である饒速日神(ニギハヤヒノカミ)が降臨の際に授けられた、「十種神宝」(とくさのかむたから)、「天璽瑞宝」(てんしずいほう)とも呼ばれるものに宿る霊威。
◆布都斯魂大神(フツシミタマノオオカミ)
スサノオ神が八俣大蛇を退治したときに現れた、「天十握剣」(あめのとつかのつるぎ)に宿る霊威。備前国の石上布都御魂神社に一旦鎮まるも、崇神天皇の御宇に当地へ遷されました。
◎上述のように物部氏の総氏神とされるのが一般的ですが、異説を唱えるものもあります。
紀の一伝によると、五十瓊敷命により作られた太刀一千口は当社に収められますが、この時に「春日臣族の市河に収めさせるように」という神託が授けられています。市河というのが配祀神に見える市川臣命。春日臣族ということは和珥氏系であり物部氏系とは異なる氏族。続けてこちらが物部首の祖であると記されるため、混同があったのかもしれません。後に物部十千根が神宝を管理することとなりますが、総氏神というのとは異なると考えられます。
一方で物部氏の総氏神は添下郡の矢田坐久志玉比古神社であるとする説も。
◎なお当社には斎宮があったとも言われています。布都姫と喚ばれ、物部尾輿の娘で守屋の妹とされています。出雲建雄神社の背後であったという情報もありますが詳細は不明。

*境内摂社 出雲建雄神社 


◎神剣渡御祭については→こちら(2018年)
◎御田植え神事については→こちら(2018年)
◎摂末社
・摂社 神田神社

・末社 恵比須神社

◎関連が考えられる社(五十音順)


◎関連する人物(神)


*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。



「布都御魂大神」と掲げられる扁額。






写真は秋の大祭のもの。

年末年始の奉納。


出雲建雄神社の拝殿(国宝)



神杉

祓戸社への参道(一般者立入禁止)

境内を闊歩する神鶏。