彌彦神社
(いやひこじんじゃ)


越後国蒲原郡
新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦2898
(P有)

■延喜式神名帳
伊夜比古神社 名神大 の比定社

■社格等
[旧社格] 国弊中社
[現在] 別表神社
越後国一宮

■祭神
天香山命


標高634mの「彌彦山」を御神体とし、その麓に鎮座する社。天照皇大神の曾孫とされる天香山命が鎮まり、山頂には御神廟と奥宮とがあります。
◎当社由緒書には、
━━(天香山命は)天照皇大神の御曾孫で、又の御名を高倉下命(タカクラジノミコト)とも申し上げ、天孫御降臨に供奉して降り紀州熊野に住み、神武天皇御東遷の時、「韴霊の剣(ふつのみたまのつるぎ)」を奉って大功を立てられた。天皇即位四年勅を奉じて越後の国土開発のために御来臨、「野積浜」に御上陸の後、弥彦山東麓に宮居して当地方を鎮撫し、住民に漁業・製塩・農耕・酒造等の術を授けて… (中略) 命は実に越後分化産業の始祖神である━━とあります。
◎ここでは天香山命を高倉下命と同神としています。これは「先代旧事本紀」の記述を受けてのもの。記紀には高倉下命が神倭磐余彦(神武天皇)に神剣を授けて大功を立てたなどの記述はあるものの、天香山命と同神とはしていません(もちろん別神ともしていない)。現在は別神とする説が優勢かと。また「勘注系図」では天香山命が大屋津姫を娶って生まれたのが高倉下命であると記されます。
◎━そもそも天香山命は尾張氏の祖神であるため、当地にて祀られるのは不自然であるというものも。四道将軍の一人(神)として北陸に派遣された大彦神、或いは大屋彦神、その大屋彦神に習合された五十猛神など、当社祭神を巡っては諸説あります。
◎創建は大宝二年(709年)と社記にはあるようです。翌々年に神域を拡大したとも。万葉集にも「いやひこ」の神奈備の森のことが歌われていることからも、裏付けができるかと。


*写真は2013年10月撮影のものです。