出雲建雄神社 (石上神宮 摂社)


大和国山邊郡
奈良県天理市布留町384
(石上神宮P利用)

■延喜式神名帳
出雲建雄神社の論社

■祭神
出雲建雄神


石上神宮境内に鎮座する式内論社。楼門前、神宮の拝殿を見下ろす高台に鎮座します。
◎朱雀元年(636年)に「布留川上日谷」に瑞雲立勝る中、神剣(草薙剣)が光を放ちながら現れ「今此の地に天降り諸の氏人を守らん」と宣給い即鎮座したとされます。
一方、江戸時代に成立した縁起には、天武天皇の御宇「布留邑智(フルノオチ)という神主がある夜、布留川の上に八重雲が立ちわき、その雲の中で神剣が光り輝いているという夢を見ました。明朝その地に行ってみると八つの霊石があって、神が『吾は尾張氏の女(宮簀媛か)が祭る神である。今この地に天降って皇孫を保んじ庶民を守ろう』と託宣されたので神宮の前の岡の上に社殿を建ててお祀りした」(石上神宮公式HPより)とあります。
◎細部は異なるものの類似した内容かと。合わせると布留川上「日ノ谷」に神剣「草薙剣」が降臨、「ハつ岩」へと姿を変えた。そしてその神霊は出雲建雄神社(当社)に鎮まったというものかと思われます。
◎その出雲建雄神社については、当社以外に奈良市藺生町(いうちょう)の葛神社、都祁白石町の雄神神社が論社として宛てられています(いずれも山邊郡)。ともに出雲建雄命が祀られる社。
◎当社に関連する社としては「ハつ岩」の他に同じ「布留山」山中の龍王神社や西麓の夜都伎神社十二神社が挙げられます。これらは神剣が水雷神と化したとし、龍神へと変化したもの。「ハつ岩」と同じく龍王神社は長滝町の奥地、布留の源流に鎮座します。夜都伎神社十二神社は麓に鎮座しているため後に降りてきたと考えることもできようかと思います。当社とは密接に関連するものの、真相は謎と言わざるを得ません。
◎江戸時代には「若宮社」と称されていたとか。石上神宮ご祭神三座のうちの布都斯魂大神(フツシミタマノオオカミ)の御子神として考えられていたようです。
◎神名から察するに、出雲国において武勇で名を馳せた神、つまりスサノオ神ではないかとも考えられます。
社伝では八束の剣の神氣であるとし、天叢雲剣つまり熱田大神と同神であると。また布都努斯神や宇摩志麻遅命の七世孫 建膽心命(タケイココロノミコト)とも。さらに「神社覈録」や「特選神名蝶」では、出雲神宝を奪われる事件でトラブルとなった出雲振根命と出雲入根命を、それぞれに宛てています。
◎当社が鎮座する高台には天神社と七座社、また石上神宮末社である猿田彦神社が鎮座。
天神社は高皇産霊神と神皇産霊神のいわゆる「天神」二座、七座社には宮中八神の残りの六座に大直日神を加えた七座が鎮まります。
本社の鎮魂祭に先立ちこの二社で例祭が行われます。鎮魂祭と関連があるとし、また上古より鎮座しているとされます。また社殿に向かい合わせて割拝殿が設けられ、こちらは国宝指定。



手前向かって右側が七座社、奥が天神社。冒頭写真の左手(向かって右側)に猿田彦神社。


国宝の割拝殿。

同上

高台から楼門、拝殿を。