龍王神社 (日ノ谷)


大和国山邊郡
奈良県天理市長滝町日ノ谷
(アクセス等は→こちらの記事)


■延喜式神名帳
夜都伎神社の論社

■祭神
(不詳) ※水雷神(水神)か


「伝説の八ツ岩」と「伝説の龍王神社」というものが天理の山奥にあります。
◎かつて「布留社」と称された石上神宮の源流である「布留山」の「日ノ谷」。ここに式内社 夜都伎神社と出雲建雄神社、そして石上神宮熱田神宮別宮の八劔宮の源流、さらに全国の八剣神社の源流が考えられるなど、多くの謎を抱えつつ鎮座します。
◎江戸時代の「石上振神宮略抄」には、「夜都留伎は水雷神で日の谷に鎮座する」とあり、これが当社のことではないかと考えられます。
石上神宮の境内摂社 出雲建雄神社では、朱雀元年(636年)に「布留川上日谷」に瑞雲立勝る中、神剣(草薙剣)が光を放ちながら現れ「今此の地に天降り諸の氏人を守らん」と宣給い即鎮座したとされます。
別の伝承として、天武天皇の御宇「布留邑智(フルノオチ)という神主がある夜、布留川の上に八重雲が立ちわき、その雲の中で神剣が光り輝いているという夢を見ました。明朝その地に行ってみると八つの霊石があって、神が『吾は尾張氏の女(宮簀媛か)が祭る神である。今この地に天降って皇孫を保んじ庶民を守ろう』と託宣されたので神宮(石上神宮)の前の岡の上に社殿を建ててお祀りした」と。
◎かなり隣接した地で、似た伝承が当社と「八つ岩」の双方にあります。混同されている可能性も十分に。一方は神剣を主体とする社であり、一方は龍神を主体とする社。当社を夜都留伎神社(剣のことか)の元社と考えるのであれば、双方に剣の伝承が伴いますが。
◎元々上古より聖地として崇められていた「布留山」があり、物部氏が一族の総氏神的な拠り所として当地が選ばれ、その聖地の麓に鎮座させたのが石上神宮。そしてやはり、軍事氏族ではあるものの「ひふみ祝詞」や「鎮魂の神業(たまふりのかみわざ)」などを扱う祭祀氏族でもあった物部氏。究極の聖地を深淵に求め、またそこにさまざまな伝承が付加されるのはしごく当然の成り行き。その「究極」の一つが「八つ岩」であり、当社 龍王神社ではないかと考えています。
◎いずれにしても、当地の神々しさはこの上ないもの。巷で流れる浅識な「聖地巡礼」などとは異なり、真の聖地の一つかと思います。

※写真は2017年9月撮影のものと2020年4月撮影のものとが混在します。


西名阪「福住IC」より南西1kmほどの辺りに「三甲株式会社」さんの関西第3工場があります。その敷地の裏側を走る道があり、最西の辺りに西へ曲がる道がこちら。ここからは徒歩(2017年9月撮影分)。

上の写真と同じ場所(2020年4月撮影分)。


下の写真のように「関係者以外立入禁止」のプレートがありますが、無視して進みます。2017年時は右側へ進んだため、遭難してしまいました。


2017年9月撮影分。この時期になると道が覆われてしまいオススメできません。

このように登拝道がしっかりとあります。


手前に池があります。ここが水雷神の棲みかと考えられたのでしょうか。




上に登る石段があります。

おそらくかつては寺院が建っていたのでしょうか。帰りは石段を降りて元来た登拝道へ。このまま突き進んで再度遭難してしまいました。