熱田神宮


尾張国愛智郡
名古屋市熱田区神宮1-1-1
(P有)

■延喜式神名帳
熱田神社 名神大 の比定社
[境内社 上知我麻神社] 上知我麻神社の比定社
[境内社 下知我麻神社] 下知我麻神社の比定社
[境内社 御田神社] 御田神社の比定社
[境内社 日割御子神社] 日割御子神社 名神大 の比定社
[境内社 孫若御子神社] 孫若御子神社 名神大 の比定社
[境内社 別宮 八劔宮] 八劔神社の比定社
※境内の各式内比定社は後ほど別記事にて

■社格等
[旧社格] 官弊大社
[現在] 別表神社
勅祭社
四方拝の遙拝社

■祭神
熱田大神
[相殿] 天照大神 素盞嗚尊 日本武尊 宮簀媛命 建稻種命


三種の神器の一、「草薙剣」を祀る社。ご祭神の「熱田大神」は「草薙剣を御霊代とする天照大神のこと」とされています。
「草薙剣」は元々「天叢雲剣」と称されていました。素盞嗚尊が八俣大蛇を退治した際に得た神剣のこと。素盞嗚尊はこれを天照大神に献上。御孫の瓊瓊杵尊が降臨の際に、「天璽之神宝(あまつみしるしのかむたから)」として授けています。そして歴代の神璽として同床共殿、宮中にとどめられました。ところが崇神天皇の御宇に八咫鏡とともに宮中を出ます。「倭笠縫邑」に一旦は留まるものの、垂仁天皇の御宇に伊勢国「五十鈴川上」(伊勢の神宮)に鎮祭されました。
日本武尊が東国平定に向かう際には伊勢の神宮を訪れ、叔母の倭姫命からこの神剣を授けられました。尊は侍従の建稲種命の故郷であった「氷上邑」で逗留、この時、建稻種命の妹の宮簀媛と結ばれます。駿河国では賊に火をかけられますが、火のついた草を神剣で薙ぎ払い難を逃れますが、この時以降「草薙剣」と称されました(駿河国草薙神社の記事参照)。そして東国平定を成し遂げた尊は再び「氷上邑」に戻りますが、今度は伊吹山の賊の平定へ。その際に「草薙剣」を携行せず向かい、暴風雨等で心身を痛め鈴鹿山を越えた辺りで亡くなります。
妻の宮簀媛は尊を偲び、神剣を奉っていました。老後に神剣を鎮祭する地を卜占により、当地が選ばれ創建に至ったとされます。なお宮簀媛は境外摂社の氷上姉子神社に鎮まります。
「熱田」の社名については、当地にあった楓の木が自ら燃え続け、田に倒れても燃え続けたため田が熱くなったことによるものとされます。
この神剣は天照大神のことであるとするのが当社の見解。別に日本武尊であるとも。上記の経緯を勘案するなら、本来は天照大神のことであるものの、宮簀媛が亡き夫の形見のように思っていたことから、日本武尊でもあるといった見方をできなくもないかと思います。また素盞嗚尊とする考えもありますが、こちらについては別宮 八劔宮の記事にて(後ほどUPします)。
創祀時期については上記の通り宮簀媛が亡くなった後すぐと言えるかと。創建時期については仲哀天皇の頃であるともされます。

※写真は2017年9月撮影のものです。
※式内比定の境内社については別記事にて。
他に境内摂社 一之御前神社、境外摂社 高座結御子神社の記事をUPしています。





「清雪門」。盗難にあった神剣(御神体)を守るために開かずの門とされているとも。なお養老四年(720年)に新羅僧より盗み出され、祟りが起きたため投げ出した地が摂津国「放出(はなてん)」。漂着したのは、阿遅速雄神社の地とも八劔神社(鴫野)の地とも。

「土用殿」。神剣を奉安した御殿とされ、旧本殿の東に相並んで鎮座していたとか。