阿遅速雄神社
(あちはやをじんじゃ)

摂津国東生郡
大阪市鶴見区放出東3-31-18
(P無し、鳥居前に路駐して足早参拝しか方法無しか)

■延喜式神名帳
阿遅速雄神社の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
阿遅鉏高日子根神
[配祀] 八劔大神

迦毛大神を祀る神社ですが、社名は御子神の名。アヂスキタカヒコネ神が当地を開拓したことによるものからか、往古は「阿遅経宮(あぢふのみや)」と称していたようで、そこからの転化で阿遅速雄神が社名に使われるようになったのでしょうか。
大和国葛城地方の神であった鴨族ですが、彼らが水源としていた葛城川などは大和川を経て河内湖へ流れ込んでいました。現在の大阪平野の大半は河内湖で上町台地を岬として大きくえぐれた湖(弥生時代頃に淡水化したとも)。大和川はいくつかに分かれて流れ込んでいたらしく、その一つが当地であったようです。当地鶴見区からはクジラの化石も出土しています。つまり鴨族は、現在の鶴見区などへは自由に行き来していたということに。この辺りに湊を作り祖神を祀ったとのが当社であるとされています。
当社の由緒としてもう一つ重要なものが八劔大神を祀っていること。天智天皇七年(668年)、熱田神宮に鎮まっていた草薙の剣を新羅(資料により百済とも)の僧が盗み出し本国に持ち帰ろうとしたところ、難波の津(河内湖内)で大嵐に遭い大和川河口に剣を投げ出したようです。これは放出(はなてん)の地名説話になっています。剣はしばらく当社にて留め置かれていましたが、数年後に天武天皇の元へ。ところがこの剣が祟りなしたのか天皇が病にかかったため、熱田の社へと戻されます。
この記述は書紀にも見られることから、史実に近いものかと思われます。また当社の近くに八劔神社が鎮座し、何らかの由緒を共有しているとも思います(宮司さんは否定しておられましたが)。
JR放出駅近くの市街地、喧騒にまみれた中に鎮座。河内湖も今や大阪平野となり往古の面影は感じる術もありません。境内の手入れが非常に行き届いていることと、わずかに残る社叢が救いでしょうか。