出雲建雄神社 (日ノ谷 「八つ岩」)


大和国山邊郡
奈良県天理市石上町(通称「日ノ谷」)
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■延喜式神名帳
出雲建雄神社の論社
夜都伎神社の論社

■祭神
(不明)


石上町の最東端、「日ノ谷」と呼ばれる山中に座す磐座群。正式な山名は不明(「日谷山」または「布留山」か)、標高は500m弱程度かと思われます。
◎御神体である8体の霊石を祀る社であり、元々は岩のみ、前の小祠は近年誰かの手により据えられたもの。岩の総数は20体近くもあり、どれがその8体であるのかは不明。
「八つ岩」で通っており、資料により「八ツ岩」「八箇岩」「八龍王八箇石」とも。
◎伝承等から推測するに、石上神宮境内社の出雲建雄神社十二神社(竹之内町)夜都岐神社八剣神社(田井庄町)、同じ「日ノ谷」の龍王神社さらに熱田神宮 別宮の八劔宮の総本社であり、元社と言えるかと思います。また雄神神社葛神社(藺生)と関連するものかと。
◎江戸時代の「石上振神宮略抄」という書には「八伎大蛇は素戔男尊に斬られ八つの蛇となり昇天、水雷神となって聚雲の神剣に付き従い布留河上の日ノ谷に降臨。八龍王八箇石として残る」とあるようです(ネット資料より)。それが当社のことと考えられます。
また「夜都留伎は水雷神で日の谷に鎮座する」とあり、これが同じ「日ノ谷」の龍王神社ことではないかと考えられます。
石上神宮の境内摂社 出雲建雄神社では、朱雀元年(636年)に「布留川上日谷」に瑞雲立勝る中、神剣(草薙剣)が光を放ちながら現れ「今此の地に天降り諸の氏人を守らん」と宣給い即鎮座したとされます。
「石上振神宮略抄」と類似した伝承であり、おそらくこれが当社のことかと。
◎別の伝承として、天武天皇の御宇「布留邑智(フルノオチ)という神主がある夜、布留川の上に八重雲が立ちわき、その雲の中で神剣が光り輝いているという夢を見ました。明朝その地に行ってみると八つの霊石があって、神が『吾は尾張氏の女(宮簀媛か)が祭る神である。今この地に天降って皇孫を保んじ庶民を守ろう』と託宣されたので神宮(石上神宮)の前の岡の上に社殿を建ててお祀りした」と。これが石上神宮の境内摂社 出雲建雄神社のこと。
この伝承は、「八つ岩」から石上神宮の境内摂社 出雲建雄神社への遷座にまつわる説話ではないかと考えられます。
◎以上から類推すると、降臨地は当社であり、ここから石上神宮の境内摂社 出雲建雄神社へ遷座された。
同じ「日ノ谷」の龍王神社もそこが降臨地であり、十二神社(竹之内町)夜都岐神社八剣神社(田井庄町)へ遷座されたかと。
◎どちらにも「神剣」と「水雷神(龍神)」が関わっており、どちらも似た伝承。混乱が生じているように思います。


注連縄が回されている巨石を中心に見えている5体と、右下に微かに見えている岩(この下の写真参照)計6体は、8体に含まれるように思います。


注連縄岩の裏側(奥側)に座する岩。8体の有力候補岩。

こちらは注連縄岩周辺の5体岩のうちの向かって左手の2体。

上の写真を違う角度から。