国家の「重大事」「天変地異」の時などに朝廷から特別の奉幣を受けた22の神社。
1081年に制度として確立しました。
「重大事」「天変地異」については、祈雨がとりわけ多く、祈念穀奉幣といったものも。
◆内訳
以下の通り。「上七社」「中七社」「下七社」とランク付けされており、またそれぞれの中でも順位は大事であったようです。
【上七社】
太神宮(皇大神宮・豊受大神宮)
石清水(石清水八幡宮)
賀茂(賀茂別雷神社・賀茂御祖神社)
松尾(松尾大社)
平埜(平野神社)
稲荷(伏見稲荷大社)
春日(春日大社)
日吉(日吉大社)
梅宮(梅宮大社)
吉田(吉田神社)
廣田(廣田神社)
祇園(八坂神社)
北野(北野天満宮)
貴布禰(貴船神社)
まだ記事として上げられていない神社が多いですが…。
京の都の神社を中心としており、飛鳥や平城といったかつての都近辺の神社も多く、下位に摂津国の住吉大社や廣田神社、近江国の日吉大社がみられます。
なぜこの22社が選ばれたのかは後述します。
◆「二十二社」の起源
起源がどれになるのか決し難いものですが、その前身となるのが「十六社」。
「日本紀略」の昌泰元年(898年)に「祈雨奉幣十六社」という記述があります。これが社数を伴った初めての表記。
それまでは「諸神」「群神」「名神」などという表記のみで、具体的な数字は示されていません。
内訳は
伊勢 石清水 賀茂 松尾 平野 稲荷 春日(以上「上七社」の7社)
大原野 大神 石上 大和 廣瀬 龍田 住吉(以上「中七社」の7社)
丹生 貴布禰(以上「下七社」の2社)
続いて正歴二年(991年)に19社に。
吉田 北野 廣田の「下七社」の3社が加わっています。
正歴五年(994年)に梅宮が加わり「二十社」に。
長徳二年(996年)に祇園が加わり「二十一社」に。
長徳三年(997年)に日吉が加わり「二十二社」に。
そして永保元年(1081年)に「二十二社制」が定められました。
これらは「定二十二社次第事」や「二十二社註式」という書によるもの。
上記以外にも奉幣は行われており、「日本紀略」に記されます。そこでは奉幣の度に数は増減しています。
また起源について、「太神宮」が顔を出すのをもってという考えもできます。
延暦七年(788年)に「伊勢神宮と七道の名神」というものがみられます。「七道」とされているため、この時は全国規模であったと考えられます。
さらに丹生は飛鳥時代から頻繁に奉幣が行われています。
大和にしろ山背国(京都府南部)にしろ盆地であるがため、水不足は深刻な問題。もちろん祈雨として奉幣されました。
◆社格としての「二十二社」
いわゆる「社格」という部類に含まれるようになったのは、永保元年(1081年)に「二十二社制」が敷かれてからのこと。終わりは明治に「旧社格」が定められるまで。
「二十二社」を考える上で関わりを持つのは、「延喜式神名帳」と「一宮」制。
「延喜式神名帳」は延長五年(927年)に定められた社格。「一宮」制は「二十二社」が定められた時期頃。
「二十二社」との大きな違いは、「二十二社」が京の都を中心としているのに対し、「延喜式神名帳」と「一宮」制は全国に及ぶもの。
全国への奉幣は大変なことであったから都近辺に集中させたのか、あるいは有事など緊急を要するものに対して全国だと間に合わないためだったものかと。


◆各社の役割
選ばれた22社にはそれぞれ役割があったと考えられ、それはつまり選ばれた基準になったと思われます。以下各社ごとに。
◎太神宮…皇室の皇祖神
◎石清水…皇室の守護神、鎮護国家神
◎賀茂…王城全体の鎮護神
◎松尾…王城の西の鎮護神
◎平埜…皇太子の守護神
◎稲荷…王城左京南部の守護神
◎春日…藤原氏の守護神
◎大原野…藤原氏北家の守護神
◎大神…大和朝廷 王権の守護神
◎石上…大和朝廷 王権の守護神
◎大和…大和朝廷 王権の守護神
◎廣瀬…大和の五穀豊穣祈願の神(水神)
◎龍田…大和の風水害防護の神(風神)
◎住吉…海上守護神
◎日吉…平安京鬼門の守護神
◎梅宮…橘氏の氏神として平安京を守護
◎吉田…藤原北家の藤原山陰流の氏神(後に藤原氏全体の氏神に)
◎廣田…対外防衛の神
◎祇園…主に疫病鎮圧や病気平癒としての平安京内の守護神、藤原道長の摂関家守護神
◎丹生…大和の祈雨止雨の神
◎貴布禰…山城の祈雨止雨の神
大神神社 (大神祭)

石上神宮 (神剣渡御祭)