丹生川上神社 下社


大和国吉野郡
奈良県吉野郡下市町長谷1-1
(P有)

■延喜式神名帳
丹生川上神社 名神大 月次新嘗 の論社

■社格等
二十二社の第二十一位(下八社の一社)
[旧社格] 官弊大社
[現在] 別表神社

■祭神


丹生川上神社は上中下の三社があり、「式内名神大社 丹生川上神社」の比定を巡り紆余曲折があったものの、現在は中社を中心に上社・下社を包括する形で落ち着きました。通称は上社─川上社、中社─雨師の明神または蟻通社、下社─丹生社とも。
◎神武東征の際に夢に天神が出現、「天香山」の土を取り天平瓮八十枚、厳瓮を作り天神地祇を祀れば賊は平らぐとありました。天皇は「丹生の川上」にて誓したところ神意にかなっていたので、「丹生川上之五百箇直坂樹」で天神地祇を祀ったところ、賊の平定が容易に行われたとあります。
◎また天武天皇五年(676年)、「人声聞こえざる深山に宮柱を立て祭祀せば、天下のために甘雨を降らし霖雨を止めむ」という御神誨により創祀。さらに天平宝字七年(763年)に祈雨のために黒馬が奉納され、以後祈雨の際は黒馬、止雨の際は白馬が奉納されるようになりました。
◎元は大和神社の別宮とされ、境内には丹生川上神社の元社(高龗神社)が鎮座しています。
その「式内名神大社 丹生川上神社」ですが、中世以降は衰退し所在不明に。明治四年に下社が比定社となりました。ところが異議があり明治七年に下社を「口の宮」、上社を「奥の宮」とすることに。当時中社は「蟻通神社」と称していたため比定から外れています。さらにこれにも異議が出て明治29年に現在の上社中社、下社となり、比定社は中社と結論付けられました。
◎当社は「式内名神大社 丹生川上神社」の比定社とはなりませんでしたが、創祀時期に関しては三社の中ではもっとも早いという説も。社殿背後の「丹生山」山頂に、縄文以前のものとされる磐座群が存在することから。
◎かつては当地付近に「御酒井・五色井・吹分井・御食井・祈願井・御手洗井・罔象女井・降臨井・鍛人井」といった多くの井戸が湧出していたようです。太古より水神信仰があったとされています。


*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。


境内には白黒の神馬。

山に向かって真っ直ぐ伸びる回廊の先にご本殿が鎮座。


陰陽石

こちらも陰陽石

社前を流れる「丹生川」。