伏見稲荷大社


山城国紀伊郡
京都市伏見区深草薮之内町68
(無料P有、ただし常にほぼ満車)

■延喜式神名帳
稲荷神社 三座 並名神大 月次新嘗 の比定社

■社格等
[旧社格] 官弊大社

■祭神
[下社 中央座] 宇迦之御魂大神
[中社 北座] 佐田彦大神
[上社 南座] 大宮能売大神
[下社摂社 最北座] 田中大神
[中社摂社 最南座] 四大神(シノオオカミ)


全国三万社と言われる稲荷社の総本社。小祠や企業敷地内の祠なども含めると実際はもっとあるかと思われます。
◎「稲荷山」(標高233m)そのものを御神体とします。比叡山から始まる「東山三十六峰」の最南端に当たるとか。かつては「深草山」と称されていました。
長い歴史の上で現在の「稲荷山」は狐にまみれ、庶民の利己的な社が次々と設けられ荒れ果ててしまっています(約1万社)。原初を探りつつ以下時系列に沿って当社の由緒沿革を。
◎原初は磐座を核とする、神奈備山であったものと考えています。おそらく縄文以前からの古代祭祀場であったものと。その名残が「四ツ辻」前の岩盤(下部写真参照)や御劔神社(長者社)ではないかと。
◎弥生時代には当社西方に広がる「深草遺跡」から農具などが出土しており、彼らが「稲荷山(深草山)」に宿る穀霊神を祀っていたのではないかと想像されます。「神奈備山」であり、また「稲荷山」から朝日が昇るのを拝するという太陽信仰があったとも思われます。
◎時代は下り古墳時代前期。3世紀頃に「稲荷山(深草山)」には古墳が次々と築造されました。近世以降より流行した「お塚巡り」は、この古墳跡を巡るもの。既に墳丘は失われ個々が勝手に石祠を乱立していましたが。
「三の峰」「二の峰」「一の峰」それぞれ、また他の場所にも古墳があったようです。中には70m級の前方後円墳もあったとか。
◎いつの時代のことか当地に紀氏一族が居住し、「稲荷山(深草山)」に雷神を祀るようになります。当地の属する郡名が「紀伊郡」であるのはそれが理由。「河内湖」から「淀川」を遡上し支流の「桂川」へ。さらに支流の「鴨川」を遡上してきたものと思われます。
◎さらに時代は下り、「山城国風土記」には「伊奈利」として記述がみられます。「風土記に曰はく、伊奈利と稱ふは、秦中家忌寸(ハタノナカツヘノイミキ)等が遠つ祖、伊侶具の秦公、稻梁(いね)を積みて富み裕(さきは)ひき。乃ち餅を用ちて的と為しかば、白き鳥と化成りて飛び翔りて山の峯に居り、伊彌奈利生ひき。遂に社の名と為しき。其の苗裔(すゑ)に至り、先の過ちを悔ひて杜の木を抜じて家に殖ゑて祷み祭りき」(Wikiより)と。これは「伊奈利」の起源とともに、秦伊侶具のあまりの富裕ぶりを記したもの。また和銅年間(708~715年)に社家となったことも。記述を信用するのなら、はっきりとした創祀はこの頃辺り。
◎この時に秦氏は山麓に社殿を移し、「真幡寸神社」と称したとされます。秦氏の私社であったと思われます。
◎おそらくこの頃に秦氏が山城国で台頭したものと思われます。
「六国史」の一「日本後記」には天長四年(827年)に「稲荷神」への神階授与の記述がみられます。これは第53代淳和天皇が稲荷神の祟りで病にかかったとされるもの(東寺建立に「稲荷山」の木を伐採し使った)。「伊奈利」が「稲荷」へと変わったのはこの間と推されます。
◎創建はおそらく延喜八年(908年)、藤原時平によるもの。以降、神名帳には名神大社に列格、隆盛を極めるようになります。
稲荷講が眷属である狐とともに、全国へ俄に勧請されたのはこの頃からのようです。ただし江戸時代の絵図には狛犬が描かれているらしく、狛犬が狐になったのはそれ以降のようです。
◎かつては山頂にあった稲荷神の社を麓に降ろしたのは6代将軍 足利義教。これは麓にあった舎人親王と天武天皇父子を祀る藤尾社を、北方1km余りの藤森神社(未参拝)の境内へ遷したと、藤森神社の社伝にあるもの。
秦氏が既に山頂から麓へ社殿を移していることから、後に山頂にも再び社殿が設けられていたということでしょうか。
なお現在の楼門は豊臣秀吉により造営されたようです。江戸時代になると商人からの崇敬が厚くなり、現在に至っています。なお神社庁には属さず単立神社となっています。
◎ご祭神については、「下社 中央座」として宇迦之御魂神が祀られており、他に四柱が上げられています。諸説あるものの「下社」は「三の峰」に対応するもので、「中社」は「二の峰」、「上社」は「一の峰」にそれぞれ対応しているものと。
佐田彦大神(猿田彦神か)や大宮能売大神が祀られる由緒は不明。田中大神は田の神であり地主神であったとも、四大神に至ってはまったくの不明ながら伊太祁曽三神に事八十神(コトヤソノカミ)を祀っているというものも。事八十神については分かりません。










現在、「稲荷山」へのエスカレーターが建設中。果たしてこのようなものが必要なのでしょうか。

「四ツ辻」前の岩盤。

「四ツ辻」の少し手前から麓を。

御劔社(長者社)の磐座。