物部神社
石見国安濃郡
島根県太田市川合町川合1545
(P有)
■延喜式神名帳
物部神社の比定社
■社格等
石見国一宮
[旧社格] 国弊中社
[現在] 別表神社
■祭神
宇摩志麻遅命
[相殿神 右座] 饒速日命 布都霊神
[相殿神 左座] 天御中主大神 天照皇大神
[客座 五神] (不詳であるが別天神か) ー別天神(天之御中主神 高御産巣日神 神産巣日神 宇麻志阿斯訶備比古遅神 天之常立神)
[客座 鎮魂八神] 高皇産霊神 神皇産霊神 魂留 産霊神(タマツメムスビノカミ) 生産霊神 足産霊神 大宮売神 事代主神 御食津神
饒速日命の御子神であり、物部氏の祖神である宇摩志麻遅命をご祭神とする社。
宇摩志麻遅命は神武天皇の大和平定に大功があり、物部氏を率いて皇宮の護衛に当たっていました。その後、異母兄弟の天香久山命とともに物部一族を率いて尾張国・美濃国・越国を平定、さらに丹波国・播磨国を経て石見国に。賊軍を平定し「八百山」に宮居を築きます。
当初はこの「八百山」を崇めていたようですが、継体天皇の御代、513年に社殿が創建されたとしています。
◎なぜ大和から遠く離れたこの地に、宇摩志麻遅命が派遣されたのかについては諸説出されており、出雲国と筑紫国との鉄の流通を遮断させたなどというものも。
◎太陽と天皇の生命力の再生を促すとも考えられている究極の神事「鎮魂祭」は、宮中・石上神宮・彌彦神社・そして当社にて行われます。
「鎮魂祭」の起源は、神武天皇即位の際に宇摩志麻遅命が「五十串(いほくし)を樹て、韴霊剣・十種神宝を奉斎して天皇のために鎮魂宝寿を祈願」したというもの。
なお天香久山命は越国で留まり、彌彦神社に鎮まるとされています。天香久山命そのものが饒速日神の御子神ではないとするものも含め、異論も多いですが。
◎宇摩志麻遅命は最初、当社南東の鶴降山に降臨、これは鶴に乗って降臨してきたという伝承による山名。ここで国見を行い、「八百山」が大和の天香久山に似ているということからここを宮居に選定したといいます。
◎石見国を平定した宇摩志麻遅命は、3つの聖なる「瓶」を三所に据えて平和を祈ったとされています。一つは当社境内の一瓶社、一つは浮布池の爾幣姫神社(記事未作成)、一つは三瓶山(古名 佐比売山)麓の三瓶大明神(記事未作成)に。これが三瓶山の山名由来とされています。
◎注目すべきは「八百山」中腹に鎮まる、宇摩志麻遅命の墓所。境内の隅から登り直接拝することが可能。こちらはご本殿の真裏にあります。
◎宇摩志麻遅命が降臨の際に腰掛けたとされる「勝石」が境内に座します。これは降臨後に降り立ったとされる「折居田(おりいでん)」伝承地にあったものが、道路工事で当社境内に遷されたものです。
◎当社すぐ近くの民家の庭内に「石上布留神社」という、小さな祠が鎮座します(記事未作成)。当社の境外摂社となっています。