阿良須神社 (福知山市大江町北有路)


丹後国加佐郡
京都府福知山市大江町北有路高畑461
(P有)

■延喜式神名帳
阿良須神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
神吾田津姫命


「由良川」中流域の北岸畔、福知山市大江町「北有路(きたありじ)」に鎮座する社。
◎当社は式内社 阿良須神社の比定社。同名の阿良須神社が東舞鶴小倉に鎮座しこちらは論社に挙げられています。海まで目前の東舞鶴の阿良須神社に対して、当社は内陸部で海まで30~40kmほどでしょうか。「由良川」沿いに鎮座しています。地名は「北有路(きたありじ)」、決め手の一つかと思います。
◎「丹後國風土記」殘缺によると、天火明命が飢えてこの地に来たときこの地の神に助けられ、この土神に「蟻道彦大食持命(アリジヒコオオケモチノミコト)」と名付けたとあります。その「ありじ」が社名の「あらす」に転訛と。さらにここには神祠があり、それは「蟻巣」と呼ばれていたと記されます。
◎これとは少し異なるものの類似点が見られるのは、同じく「南有路」に鎮座する才ノ神
━━第十代崇神天皇の時、四道将軍丹波道主命が当地を巡視されたとき、蟻が群がっているのをご覧になり、「近くに人里があるに違いない」とお供の者に村里の在りかを探させました。(中略) これよりこの地を蟻道(ありじ、有路の地名の語源)の里と呼び…━━(案内板より抜粋)
◎地名「アリジ」と類似する社名「アラス」。これらは「都怒賀阿羅斯等(ツヌガアラシト)」を思い起こさずにはいられません。紀の垂仁天皇の条に「都怒賀阿羅斯等 亦たの名 干斯岐阿利叱智干岐」が登場します。読みは「カンシキアリシチカンキ」。おそらくはこちらが本当の地名由来ではないかと考えます。都怒賀阿羅斯等つまりアメノヒボコ神の北遷ルート上であるとも考えられることですし。
◎ご祭神は神吾田津姫命、つまり木花咲耶姫。原始のご祭神はアメノヒボコ神であり、後世に祭神替えがあったと考えます。
これは「大江町風土記」という書に、━━有路には、十倉神社という宮さんが五つあります。これは兄弟が五人あって、一番上が野上、二番目が阿良須、三番目が矢津、四番目が五日市、五番目が二カ村にまつってあるということです。祭神は五つとも『木花さくやひめ』という女の神さんです。この五つの内一番大きなのが阿良須神社で、式内社になっています━━と。
この「二番目の阿良須」が当社のこと。なお「一番上の野上」は「南有路」に鎮座する十倉神社、「五番目の二カ村」は「二箇」に鎮座する十倉神社のこと(他は未参拝)。

◎境内山裾には古墳があるらしく(未確認)、須恵器などが出土しているようです。

*写真は2018年11月と2022年10月撮影のものとが混在しています。






かつてはこの石段の下に社殿があったとも伝わります。


いつの間にか覆屋の改装が行われていました。