才ノ神 (才ノ神の藤)


丹後国加佐郡
京都府福知山市大江町南有路古池
(大きな駐車場有り)

■祭神
八衢比古命

八衢比売命

久名戸神



「由良川」に架かる「大雲橋」から、小さな支流沿いに山手方面へ進んだ先に鎮座する社。
◎樹齢二千年とされる欅(ケヤキ)とそれに絡まる藤が有名。花が咲く季節には観光スポットとなるようです。
◎社伝によると、「第十代崇神天皇の時、四道将軍丹波道主命が当地を巡視されたとき、蟻が群がっているのをご覧になり、『近くに人里があるに違いない』とお供の者に村里の在りかを探させました。道のほとりの大木の根元に石を拝む老人がいるのを見て、不思議に思った供人が『どのような神様ですか』と問うと、老人は『才ノ神』と答えました。供人がこのことを

に申し上げたところ、は驚いて『恐れ多い』とすぐにかけつけて拝まれました。これよりこの地を蟻道(ありじ、有路の地名の語源)の里と呼び、この神をまつって『才ノ神』とあがめるようになりました」と(社頭案内板より)。
◎別伝として「又、第十二代景行天皇の妹倭姫命が三種の神器『鏡・剣・勾玉』を奉じて丹波与謝の宮におられたとき、道をつけられ『才ノ神』をまつってこの地の護り神と定められたとも言います」と。
◎「才ノ神」とはもちろん「塞ノ神」のことであり、これは神名からも明らか。ここでは丹波道主命と倭姫命との両方の説が上げられています。上古より霊地とされていた場所に丹波道主命がやって来て奉斎した、後に倭姫命もやって来て奉斎した、こういった流れでしょうか。
残念ながら石らしきものは見当たりません。道路向かいには露出岩盤が見受けられ、霊地さながらの雰囲気はあります。
◎「有路」の地名由来について記されていますが、内容からしてこじつけたものと思います。紀の垂仁天皇の条に「都怒賀阿羅斯等 亦たの名 干斯岐阿利叱智干岐」が登場します。読みは「カンシキアリシチカンキ」。おそらくはこちらが本当の地名由来ではないかと考えます。都怒賀阿羅斯等つまりアメノヒボコ神の北遷ルート上であるとも考えられることですし。








社前道路向かいの露出岩盤。