「蛇切岩」が座す「与保呂川」



◆ 「蛇切岩」伝説 (舞鶴市与保呂)【後編】



長いので2話に分けています。【前編】記事からの続きです。

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それから池の主の大蛇がなんの恨みがあったか、付近に仇するとの噂が伝わってきた。事実、蛇に悩まされることが多かった。このまま放っておいては、どんなことが起こるかも知れぬ。与保呂村の人々はいろいろと相談の結果、大蛇は殺してしまうほかはない、ということになった。しかし、その手段がなくて困っていたところ、一人の村人が「自分が見事に退治してみせる」といい、モグサで大きな牛の形を造り、その中に火を点じておいて池の中へ投げ込んだ。大蛇は好餌とばかりこのモグサの大牛を一口に呑み下した。モグサの火は次第に牛の体一面に広がっていった。見る間に一天にわかにかき曇り、豪雨が沛然と降り出した。池の中の大蛇は、腹中の火に苦しんでもがき回り、のたうち回り、それにつれて池の水は次第に水量を増して溢れ出し、洪水となって流れ出した。

恐ろしい勢いで流れ出した大水の中に、ついに倒れた大蛇の死体が見つかった。それが下手の岩の所に突き当たると、水勢のためか大蛇の体は三つに切断されてしまった。村の人の驚きは一方ではない。おまつの化身だ、おまつの祟りだ。このまま放っておけないとあって三つに切れた大蛇の頭部は奥の村の日尾神社に、胴のところは行永の橋付近の田んぼの中にあるどう田の宮に、尻尾は大森神社に祭った。そして大蛇の当たって切れた岩を蛇切岩と言った。

以来幾百星霜、今なお不審なのは、与保呂村の境内に限って松の木が一本もない。それから日尾神社向こう側の山(宮山)の一部だけには、松の木がどうしても生えない。それから今一つは、蛇切岩の割れ目の所に必ず姫蛇がいて、優しい姿を見せている。それがちょうど、天気予報のように、天候によって色を変える。晴れの日にはきわだって色が白く、雨の日には茶褐色を帯びるというのである。

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以上余す所無くすべてを掲載しました。



さて…民話は民話として。
内容からみて比較的新しい時代のものかと。

ところが「舞鶴市史」は以下のようにも述べています。「社殿祭祀以前のより原型的な信仰形態として神の依り代(磐座)であったと推測することができる」と。

これは日尾池姫神社、城屋の雨引神社(未参拝)、布敷の池姫神社彌加宜神社(大森神社)、今田の倭文神社などがこの伝承に絡み、

いずれも「上流域に必ず伝承に関する岩が存在する」からとしています。


今田の倭文神社の境内社 池姫神社



また日尾池姫神社は式内社 笶原神社の論社。笶原神社とは元伊勢「吉佐宮」の候補地。

この日尾池姫神社のご祭神は、天日尾神・国日尾神・天月尾神・国月尾神の四座。

この四神について考察されたような資料はほとんど見当たらず、丹後の研究の遅れを感じます。

したがって自由な想像を…。
天日尾神は天照皇大神、国日尾神は漠然とした太陽神、天月尾神は月讀尊、そして国月尾神が豊受大神ではないかと考えています。

これは元々天照皇大神・月讀尊・豊受大神の三座を祀っていたものが、体裁を整えたのではないかと。

孝霊天皇の御宇、手力御命・日ノ御神・天児屋根神を招神して大龍を鎮めた…という伝承もあるようですが。

詳細は後ほどUPする本編の神社紹介記事にて。



日尾池姫神社境内の巨樹