◆ 丹後の原像
【29.謎の大宮売神社にじわりと…~3】



前々回前回より、古代資料の宝庫であるにもかかわらずあまり話題に上ることもなく、ひっそりと佇む謎の大社 大宮売神社を取り上げています。


ここまでご祭神を中心に触れてきましたが、今回は「大宮売神社遺跡」に焦点を当ててみます。


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ご本殿背後の「禁足の杜」のみならず、境内のあらゆる所から遺物が出土しているようです。

それらは展示されていますが、されていないものも多く、平成26~27年に整理・再調査が行われたようです。


私自身が展示物を見学したのはそれより遥か前のこと。初めて参拝した時なので、今からもう十数年前のことでしょうか。

この記事を起こすために調べていると、それがリニューアルされていることが判りました。早急に再見学をせねばなりません。


以下は実際に、出土品の整理・再調査に携わられた京都府立大学文学部歴史学科の方々が作成した調査報告書から、管見、抜粋して掲載してみます。


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◎調査は平成26年8月と27年3月の二回にわたり行われたようです。また次年度以降も調査が行われたようですが、そちらは確認できていません。
◎展示されているものは主に土師器。展示されず社務所に保管されているのは土器が多いとのこと。
◎その土器は明治四十四年に二の鳥居が完成した時に出土したもの。
◎「布留式甕」が出土していることから、祭祀の開始は5世紀初めに遡る可能性がある。

「布留式甕」の時期について触れ出すと、それだけでこのような一記事では到底収まらないので、そこは学者さん方にお任せして、ここでは報告書通りに鵜呑みにしておきます。

祭祀の開始は5世紀初め、つまり古墳時代中期からということに。

ということは少なくとも、大宮能売神や豊受大神の時代より遥か後のこと。


この資料はほとんどが、土器や土師器の解析データ等の分析・紹介に終始しており、データを考察するといったことがなされていないもの。

またそれら以外の出土物に対して触れらていないため、調査がなされていないように思われます。

こちらが欲しているのは、既に考察までなされたもの。或いは考察が極めて容易なものという、少々ずぼらを企んでいるのですが…


遺跡の中心地、ご本殿背後の「禁足の杜」。




そんななか「京都府史蹟勝地調査会報告」(1924年)を要約したというものを、ネット上から探し出すことができたので孫引きを。


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◎出土品の主なものは、多数の弥生式土器(後期)と玉類・石製模造品・鉄刀身など。
◎このうち石製模造品は40余点。いずれも青灰色の滑石(かっせき)・蝋石(ろうせき)で造られ、勾玉・円形鏡形品・鏃形品・環状品・管玉・小玉などで、粗製であり模造品の性格を持っていることが指摘され、宗教的意味を有する遺跡とされる。
◎また多くの土器が小型で土製模造品と思われ、少なくとも実用品でない点から祭器かと推定されている。


ここではいつの時代のものであるのか、明確には触れられていません。文面から祭祀用の弥生式土器(後期)が出土していると取れます。

勾玉などの石製模造品については、いつの時代のものなのかは示されていません。勾玉はそれこそ縄文時代のものも存在するわけで、これこそが知りたいところなのですが…。

大正時代の報告書と平成時代の報告書とではやはり異なります。

京都府立大学の方では、石製模造品のことがまったく触れらていません。


これらの2点の資料からは、当遺跡でいったいいつの時代から祭祀が始まったのかを推定できないというのが現状の結論。

やはり早急に現地確認を行わなければならないようです…。



《続く》