日子坐王の武器庫であった布留山神社



◆ 丹後の原像【20.失われた大王 「玖賀耳之御笠」~2 】 


前回記事より、かつて丹後の大王だったと思われる「玖賀耳之御笠 (陸耳御笠)」に焦点を当てています。

記や「勘注系図」、「丹後國風土記」残闕には、大和王権より派遣された日子坐王によって討たれた「賊」として記されます。「土蜘蛛」という表記も。

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「丹後國風土記」残闕より

「志託郷 本字荒蕪 志託と号る(名付くる)所以は 往昔日子坐王官軍を以て陸耳御笠を攻伐の時 青葉山より墜しこれを遂ひ此の地に至る 即ち陸耳忽ち稲梁中に入りて潜匿れる也 王子急で馬を進めその稲梁の中に入りて殺さんとせむ時 即ち陸耳忽ち雲を起こし空中を飛び走り南に向かひて去る これに於ひて王子甚だ稲梁を侵て荒蕪為す  故にその地を名つけて荒蕪と云ふ」

どうやら「志託郷」とは「宇志高」のようです。
由良川沿いに志高神社(未参拝)が鎮座しており、かつては「志高」さらに古くは「志託」と称されていたものと思います。

由良川河口からは10kmほど、舞鶴湾の入り江からはわずか5kmほど。これは現在の地形からであり、当時はもう少し短い可能性も。「青葉山」から10kmほど西奔したようです。

また本字「荒蕪」だったと記されています。これが内容から察するに読みは「しだく」、関西弁で言うところの「シバク」かと。案外これが語源だったりして…。

つまり、王子(日子坐王)が陸耳御笠を「シバキ上げたろうとした」ことからの地名由来であると。

陸耳御笠が空中を飛び走っているのが面白いところ。この時代、役小角やら鬼やらが空を飛んでますが、土蜘蛛さえも飛ぶのか…と。

陸耳御笠は南に向かって飛んだとされています。そちらの方には何も無くただ山があるだけ。地の利を生かしてそちらへ逃げたのかと。おそらくは製鉄鍛冶を行っていたはずで、こと山は知り尽くしていた大王。やすやすと逃げる様が「飛び走り」となったのでしょうか。

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「青葉山」にしろ「志高(宇志高)」にしろいずれも加佐郡に属します。この「加佐郡」は笠水神社が地名由来となっていると考えられます(読みは「うけみづじんじゃ」とも言われますが)。ご祭神は笠水彦神・笠水姫神。丹後国始祖 天火明命四世孫。


ところが注意せねばならないのが、陸耳御笠にも「笠」が入っており、ご丁寧にも「御笠」となっているのです。この陸耳御笠シリーズ記事はもう少しだけ続きますが、「丹後國風土記」残闕内に記される陸耳御笠の登場箇所はいずれも「加佐郡」内。

ここで大胆な仮説を。

こんなものを見られると日夜研究に勤しんでおられる学者さん方に叱責を賜りそうですが、丹後の研究があまりに遅れていることを逆手に取ってみようかと。

どうせ読者の半分以上がスピリチュアル系のアホどもですし。ことあるごとにスピリチュアル系のアホどもを皮肉り、ブログ紹介にも「一切お断り」としているのに、ホイホイとフォロー申請してくるバカの多いこと。こいつらの頭の中はどうなってんねんやろ…。ま~はなから頭のおかしい連中やから、スピリチュアルなどとアホ丸出しなことをやってるんか!

最近やたらとこのブログにアホが群がるようになってきたので、ついつい本音を…。

話を戻します。
そもそも陸耳御笠の研究を行っている方など聞いたこともないし。神武東征時の長髄彦神などは、成果は別として挑んでおられる方も多いのに。だから

まず「加佐郡」とは、かつて陸耳御笠が支配していた地ではないかと。神名を分解してみると、「陸」+「耳」+「御笠」。「陸」とは、討伐された後に丹後を治めた海部氏(アマノウジ)と対比したもの。つまり海氏側が呼んだ神名。「耳」とは谷川健一先生がご指摘なされているように製鉄鍛冶に関わるもの。そして「御笠」は土地の名前。

そして笠水彦命はこの「笠」という地を、陸耳御笠討伐後に「受けて」支配したから「うけみづ」となったのではないか。「水」はこの神が信仰していた根源的なもの。

では「笠」とは何ぞ?

…分かりません。これが分かるようだと本でも書いてみます。これが分かるようだとこんなしがない人生を歩んではいないでしょう。…と遁走を図ります。逃げるが勝ち!(笑)
…いずれは突き詰めたいところですね~。ぜひとも!

というか、ついに禁断の「受」を使ってみました。この「受」こそが古代史上最大のキーワードだと思っているのですが。

もちろん…豊受大神。

まだまだ私なんかが偉そうに、この大神に触れるわけにはいきません。自身のすべてをこの大神に捧げると誓ったわけですし。このテーマ記事の最終到達点です。