◆ 丹後の原像【8. 「丹後王国論」雑考~2】 

前回は「墳墓から読み解く」と掲げ、弥生前期から中期までの墳墓を紹介しました。今回は弥生後期からのものを。この頃から大王級の副葬品を伴う墳墓が出現します。

まずは大風呂南古墳群(加佐郡)。2世紀後半。天橋立の西側を「阿蘇海」と言いますが、その西側の岩滝という地の丘陵上に築かれています。ガラス釧、銅釧13個、鉄剣11本などが出土。「釧(くしろ)」とは腕輪のこと。貝製が多く縄文時代から見られますが、ガラス製という何ともオシャレなもの。

次に赤坂今井墳墓(丹波郡)。3世紀初頭。 この時代の墳墓としては国内最大級。ガラス勾玉や碧玉製・ガラス製管玉を施した見事な頭飾りが出土。うちガラス管玉には「漢青」という中国製顔料が含まれていました。これは秦の始皇帝陵の兵馬傭の彩色にも用いられたもの。

いずれも大王級のものと考えて間違いないかと。赤坂今井墳墓の被葬者は女性ではないかと考えられています。竹野川の上流であることを考えると竹野媛…?などという想像も。もっとも薹与ではないかという説もあるので…と、お茶を濁しておきましょうか。

古墳時代が始まると丹後にも前方後円墳が出現します。加悦に全長92mの白米山古墳、丹波郡峰山町の涌田山古墳群(1号墳が全長100mの帆立貝式前方後円墳)、さらに北すぐに大田南古墳群など。大田南古墳群の2号墳からは画文帯環状乳神獣鏡、5号墳からは「青龍三年(235年)」銘の方格規矩鏡が出土しています。

そしていよいよ日本海三大古墳の登場!
・蛭子山古墳(4世紀中頃 全長145m)
・網野銚子山古墳(4世紀後半 全長198m)
神明山古墳(4世紀末~5世紀初頭 全長190m)
これ!わずか50年余りの間に3基造られています!寝ても覚めても古墳造りの毎日?
百舌鳥古市古墳群なら内陸部なので四方から人を集められるでしょうけど、丹後なのでね…丹後全土をあげての~ってことでしょう。

なお網野銚子山古墳は、大和の佐紀陵山古墳と相似形。また佐紀陵山古墳は播磨国(神戸市)の五色塚古墳、伊賀国の御墓山古墳とも相似形。


5世紀代に入ると弥栄町の黒部銚子山古墳(5世紀前半 全長105m)が大規模古墳。
それ以降は竹野の産土山古墳(5世紀中頃 55mの円墳)網野町の離湖古墳(5世紀中頃 34×43m方墳)と、かなり小ぶりに。
既にこの頃は大和の支配下となってしまったようです。

(離湖古墳)



さて…次回は未定…。

ちょびっと本格的なものにチャレンジしようかな~という思いもありますが。


《続く》