(與謝郡 籠神社)



◆丹後の原像【1. 古代丹後国(丹波国)とは】


◆はじめに

これまで十数年に渡りおそらく40回ほど丹後・丹波を訪れました。これはひとえに丹後の魅力に惹き付けられたから。一回の歴訪で20社参拝したとすると、800社を参拝したことになります。これはあくまでも延べ参拝数であり、籠神社眞名井神社の二社だけで100度近くは参拝しています。

今回(2019年11月)久しぶりに但馬国城崎郡(現在の豊岡市)を訪れました。こちらも丹波国から分離独立したもの。これでまだあまり訪れることができていない出石郡(現在も出石郡)を除き、粗方の主要社は参拝できました。丹波国(丹後国や但馬国が分離独立してからの)もまだまだ参拝していない神社が多いものの、ひとしきり主要社は参拝できたかと。遺跡や古墳等についてもまだまだですが、いくつか足を伸ばしました。

参拝の度にその社が創建された由緒を調べ、また宮司さんからその社についてのお話を賜ったりと、そういうことをくりかえしているうちに、古代丹後国(丹波国)の様子が見えてきた部分も多いように思います。

(與謝郡 眞名井神社)


そろそろ古代丹後国(丹波国)そのものについて触れてみたくなりました。新たなテーマを起こします。丹後の古代の歴史は非常に面白い。元伊勢というだけでなく、伊勢神宮外宮の豊受大神が元々鎮まっていた地。
自説を語るのはなるべく抑え、あくまでも見て触れて聞いたものを繋ぎ合わせた形で紹介したいと思います。
いずれは自説を展開できるところまで研究を続けたいと思います。



◆古代丹後国(丹波国)とは

◎「丹後国」について

「丹後」はどのくらいの知名度があるのでしょうか。関西人ならほとんどの大人は知っているのが当たり前のところ。北海道や東北の方、九州の方でも知っているのでしょうか。「日本三景」の一つ「天橋立」があるところと言えば分かるのでしょうか。「丹後ちりめん」なども知られているように思いますが。
京都府北部、日本海寄りの地域。舞鶴市、宮津市、京丹後市、内陸部では福知山市が該当します。いずれもそこそこ名前が通っているように思うのは関西人だからかもしれません。
「天橋立」や「丹後ちりめん」はもちろん、「舞鶴赤レンガ倉庫群」、「伊根の舟屋」、「丹波黒豆」、「夕日ヶ浦木津温泉」、「浦島太郎物語発祥地」、「天女の羽衣伝説」、「大江山の鬼退治(酒呑童子)伝説」など観光資源は豊富にあります。

古代の丹後はどのようであったのか。令制国の前後では該当する地域に大きな変化が出ます。「令制国」というのは「大宝律令」の制定(701年)、あるいはその少し前を境にして、古代の国の領域が定められたもの。それまでは国造(くにのみつこ)が治めていたものが、国司が中央から派遣されます。丹後においてはちょうど大宝律令の施行時に令制国が定められたと考えられています。
令制国前は「丹波国」。令制国後は「丹波国」「丹後国」「但馬国」に分割されます。令制国前については領域がはっきりとしていなかったのではないかという考えも。東隣の若狭国との境も曖昧であった可能性もあります。

令制国後の「丹後国」の地域は、以下の通り。
・加佐郡…舞鶴市を中心に福知山市の大江町、宮津市の由良など
・與謝郡(よさのこおり)…宮津市の与謝野町、伊根町
・竹野郡…京丹後市の一部(丹後町、弥栄町、網野町など)
・丹波郡(中郡)…京丹後市の一部(大宮町、峰山町)
・熊野郡…京丹後市熊野町

(丹波郡 大宮売神社)


◎丹後国の夜明け

丹後には旧石器時代から人が生活をしていたことが分かっています。丹波郡の現在の峰山町、熊野郡、加佐郡の現在の舞鶴市東部から旧石器時代の石器が出土しています。日本海側では穏やかな海流を利用し、各地で交易や移住が行われており、その一つかと思われます。
縄文時代になると、丹波郡の現在の大宮町、與謝郡の現在の加悦町(「加悦谷」)、竹野郡や熊野郡からも遺跡が数多く発見されています。また但馬国にも城崎郡の現在の豊岡市や城崎郡からの遺跡も。

弥生時代の遺跡は豊富。天橋立がある宮津湾の内海側「阿蘇海」より、ガラス製や銅製の「釧(くしろ)」が大量に発見されています(近くに木積神社が鎮座)。この「阿蘇海」へ流れる「野田川」流域の「加悦谷(かやだに)」(加悦天満宮が鎮座)から銅鐸が出土。銅鐸は他に野田川町(式内社が四社鎮座)、西舞鶴、「由良ヶ岳」麓(奈具神社が鎮座)。
他にも丹波郡の大宮町(大宮売神社が鎮座)、竹野郡の京丹後市弥栄町(溝谷神社奈具神社が鎮座)、熊野郡の「甲山(兜山)」など。また熊野郡の「函石浜遺物包含地」は縄文時代からの複合遺跡ですが、中国「新」時代鋳造の「貨泉」が発見されています。

これらの遺跡はいずれも古代丹後を知る上で非常に重要な地。次回は各郡ごとに見ていきたいと思います。

(「甲山(兜山)」中腹の磐座 「人喰岩」)