眞名井神社


丹後国與謝郡
京都府宮津市字大垣小字諸岡86
(P有)

■祭神
[磐座主座(上宮)] 豊受大神
[相殿神] 罔象女命 彦火火出見尊 神代五代神 
[磐座西座] 天照大神 伊邪奈岐大神 伊邪奈美大神


籠神社の奥宮であり、公開された社家極秘伝世の「邊津鏡」と「息津鏡」から創祀は2050年以上に遡るものと考えられます。養老三年(719年)に籠神社が創建され当社から遷座、それまでは「匏宮(よさのみや)」と呼ばれていました。
◎御神体
ご本殿裏側に磐座が三座あり、それがご神体。現在に至るまで磐座祭祀が行われています。なお「上宮」とあるのは本宮(籠神社)が「下宮」と呼ばれるのに対するもの。磐座西座は「日之小宮(ひのわかみや)」と称され、船の舳先(へさき)のように見えることから「天磐船」とも。天橋立を造ったとも言われる伊邪奈岐神、そして相方の伊邪奈美大神が祀られています(下部に関連記事有り)
また別に「磐座奥座」というものがあり、塩土老翁(シオツチノオヂ)鹽土老翁神や宇迦之御魂神、熊野大神、愛宕神が祀られています。
◎創祀について
境内から縄文時代の石斧など、弥生時代のミニチュア祭祀土器や勾玉などが発見されています。その頃から何らかの神祀りが行われていたようです。なお彦火明命二代目の天香語山命が磐境を興したとされています。
◎豊受大神について
当社では豊受大神を天御中主神、國常立尊、御饌津神と同神とみなしています。また倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)、保食神(ウケモチノカミ)大宜都比賣命(オオゲツヒメノミコト)も同神であると。豊宇賀能売神とは別神としています。
◎「比治眞名井」
伝説の「比治眞名井」とされる論社は全部で4社。当社の他に豊受大神社比沼麻奈爲神社藤社神社(ふじこそじんじゃ)笶原神社(やはらじんじゃ)
当社の伝承では「久志備の眞名井」からの転訛ととされています。「久志備」は「奇霊(くしび)」ということでしょうか。
◎豊宇賀能咩神
当社より西方2kmほどの辺りに飯役社という小さな社が鎮座します。籠神社先々代宮司海部穀定氏は、豊宇賀能咩神が「比治真名井原」より飯役社を通って与佐宮大神(豊受大神)へ御饗を奉ったとしています。さらに社家相伝の秘伝として当社を「奥宮真名井原」、飯役社を「御饌殿真名井原」と称していたとしています(詳細は飯役社の記事にて)。
◎「天眞名井の水」
二代目天香語山命が天地を繋げる「天眞名井の水」を起こし通し、さらに「天磐境」を起こし豊受大神を祀ったとあります。そしてこの眞名井の地に泉が涌き出て「匏(ひさご、=ひょうたん)」が生え、三代目天村雲命が匏に「眞名井の水」を汲み神前に供えたとされています。
◎「誓約(うけひ)
神話でも有名な天照大神とスサノオ神との「誓約」。この天眞名井の水をお互いの所持品に吹き掛けて神々が生まれました。彦火明神の妃の一柱である市杵島姫もこの「誓約」で生まれた神。「誓約」が行われたのはこの地であるとする説もあります。
籠神社の本当のご祭神は熊野の神ではないかという考えがあります。籠神社は海部氏(海部直)が丹後国「熊野郡」より当地に移り住み、当社の里宮として創建されています。この時に当社の「磐座西座」として伊邪奈美大神と、その夫神の伊邪奈岐大神が祀られたのではないかと考えています。天橋立を伊邪奈岐大神が造ったというのは、この時に生まれた神話なのかもしれません。
これとは別に大国主命を祀っているとする説も。「丹後國風土記」殘缺等にそういった記述がみられます。
◎狛龍について
━━当社(籠神社)の龍神は潮満珠・潮干珠(しおみつたま・しおひるたま)を持ち、神代より真名井原に祀る月神としての神格のある豊受大神のお仕えとしてご神威を発揚しています。そのため奥宮参道には狛龍が配されていて龍神の持つ二珠は、月の満ち欠けによって生死を司る霊力を 顕現する海人族の象徴でありました━━
豊受大神の「月神」については→「真名井原縁起」の記事にて。

アメンバーさん限定記事 

アメンバーさん限定記事 

「真名井原縁起」 1 

「真名井原縁起」 2 



*2018年11月ご本殿建替工事完了。2020年頃に周辺等を含め全工事完了。
*当社に関する出色はあまりに多く、折に触れて加筆修正していきます。
*現在は内部の撮影は禁止されています。禁止になる前に撮影した写真を多く保有しており、アメンバーさんのみ限定公開しています。
*完成前(2018年9月工事中)の写真はこちら





狛龍


上の写真を拡大してみました。