豊受大神社 (元伊勢外宮)
(とゆけだいじんじゃ)


丹後国加佐郡
京都府福知山市大江町天田内字東平182-7
(P有)

■延喜式神名帳
比沼麻奈爲神社の論社

■旧社格
府社

■祭神
豊受姫命
[相殿] 日子番能邇邇芸尊 天児屋根命 天太玉命



「由良川」支流、「大江山」を源流とする「宮川」中流域沿い、「船岡山」に鎮座する社。当社と北方2kmほど上流の皇大神社天岩戸神社とで「元伊勢三社」と称されています。
◎伊勢外宮の創建譚として「止由氣宮儀式帳」(延暦二十三年、804年成立)には、━━第21代雄略天皇二十二年に神託があり、自身だけでは食を安らかにできないので、丹波国から等由氣太神(豊受大神)を近くへ迎えよ━━とあります。
その元伊勢外宮の元宮の一つが当社であると。そして鎮座地の「船岡山」は「真名井ヶ原」とも称されています。
◎「丹後風土記」(「丹後國風土記」殘缺ではなく「丹後史料叢書」所集の近世作成のもの)には以下のようにあります。
━━此の地を与謝の比沼ノ魚井原、または真井とも言う。そして与謝宮と云う。豊受太神宮(外宮)の元の鎮座地であり、雄略天皇二十一年に神託があり、翌年に伊勢の山田原に連座されたと云う。
これとは別に豊受大神社は延喜式に見える丹後国丹波郡比治摩奈為神社である。八十末社、その他小宮がある内宮(皇大神社)より境内は狭いものの神寂びたる様子は変わらない━━(大意)
◎「与謝」とある以上は「與謝郡」なのでしょうが、当地は「加佐郡」の中にあります。ところが当地を「與謝郡」とする資料もいくつか見えます。
「比沼ノ魚井原」については当社以外に眞名井神社比沼麻奈爲神社藤社神社奈具神社(丹後由良)奈具神社(竹野郡)が候補地として上げられています。このうち「与謝」に該当するのは眞名井神社のみ。
◎一方で「加佐郡誌」は比沼麻奈爲神社を伊勢外宮の元宮とし、雄略天皇二十二年に伊勢外宮へ遷座する際に当地に一時鎮座、その跡地に創建されたのが当社であるとしています。
◎他に「丹後州宮津府誌」は麻呂子親王が「大江山」の鬼退治の際に、内宮とともに勧請してきたといったようなものも。
◎また天照大神の御魂を奉戴した豊鋤入姫命が、4年間鎮めた(元伊勢「吉佐宮」)のが当地であるとも言われ、北へ数キロのところに皇大神社が鎮座。また天岩戸神社猿田彦神社も周辺にあり、伊勢さながらの様子となっています。
◎境内には多賀神社・土之神社・月読宮・風之宮との別宮四社、さらに37社の摂末社が取り囲むようにずらりと居並ぶ豪華さ。これは皇大神社に匹敵するもの。
◎ごほんは荒れ放題の桧皮葺。雨漏りも酷くなっていたようで早急に改修工事が必要でした。平成三十年(2018年)に多くの人たちの寄付により、めでたく改修がなされました。集めることは不可能とも思われていた改修工事に必要な費用でしたが、これも豊受大神の神威のおかげでしょうか(改修に関しての記事 → ◆豊受けて)

◆関連記事
◎元伊勢内宮→皇大神社 

◎ご神域写真集→*神の庭* 皇大神社 
◎元伊勢皇大神社 奥宮→天岩戸神社
◎奥宮・岩戸山の写真集→*神の庭* 天岩戸神社

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在します。







2017年頃の写真。巨樹二体が鳥居の役目を果たしていました。

2022年参拝時には刈られていました。倒木があったのでしょうか。


拝殿も気のせいか多少改装されたように見受けられます。




向かって左が「龍灯の杉」、向かって右が「龍登の桧」。





三十七社の摂末社群。

境内から麓を。

ご本殿のBefore。

ご本殿のAfter。