皇大神社 (元伊勢内宮)


丹後国加佐郡
京都府福知山市大江町内宮字宮山217
(有料大型P有、500円)

■旧社格
府社

■祭神
天照大神
[配祀] 天手力雄命 栲幡千々姫命



福知山市大江町「内宮」集落の北方、「宮山」に鎮座する社。椎を中心とした原生林に囲まれ、幽玄な雰囲気に包まれています。
◎当地には大江町「元伊勢三社」と呼ばれるものがあり、それは当社・豊受大神社天岩戸神社の三社。つまり内宮・外宮に天岩戸社が揃っています。また猿田彦神社(現在記事改定作業中、リンクには飛びません)も近くにあり、伊勢の神宮さながらの構成に。
◎当社は元伊勢「吉佐宮」の候補地の一つ。他に與謝郡の眞名井神社、竹野郡の竹野神社、加佐郡の笶原神社が挙げられています。
◎「吉佐宮」に天照大御神の神霊が留まったのは、崇神天皇三十九年から4年間。天照大御神の御霊(神鏡)は、豊鋤入姫命を御杖代として「倭笠縫邑」に33年間留まった後に、「吉佐宮」に遷されています。その後に各地を転々としますが、まずこの丹後の地に来たというのは、やはり特別な霊地として捉えられていたということかと思います。
◎当社の創建は不詳。悉く文献等を消失しているとのこと。社伝等においては、4年間奉斎された「吉佐宮」の旧跡であるとしています。
◎一方で「吉佐宮」を当社に宛てることに否定する意見も多く見られます。「神社明細帳」は「吉佐宮」へ遷幸の途中、しばらくこちらに留まったとしています。
「倭姫命世記」にも記されない、一時滞留地という伝承は数多く存在し、それらの多くは霊地といった印象を抱かせるもの。実際にそこで奉斎が行われたのか、或いは後世の附会といったものもあるのでしょうが。
◎「宮津府志」は創建を元明帝(707~715年)の御代としています。これは麻呂子親王(=當麻皇子、=用命天皇第六皇子、=聖徳太子の異母弟)が「大江山」の鬼退治をする際に勧請してきたという考えによるもの。
◎境内は80余りの小宮がご本殿を取り囲む姿は圧巻です。全国各地の一宮を勧請したといい、全84社とも86社、88社とも。
◎神霊が降臨したとされるのは「天岩戸山」(日室ヶ嶽、城嶽、日浦岳などとも、標高427.3m)。秀麗で典型的な神奈備型(冒頭写真)。当社御神体山。とある週刊誌に「日本一美しい日本ピラミッド」などと形容されたりも。
◎かつて当社は山頂に鎮座してたという言い伝えも。遥拝所(冒頭写真)や当社ご本殿からは、夏至の日に山頂に太陽が沈むとのこと。当社側(東側)斜面は禁足地となっています。
山頂から西側山腹にかけて磐座が座すとか(東側は禁足地のため不明)。遥か上古から神が宿る霊峰であったことかと思います。
確認されるだけで380種もの原生林が自生。京都府歴史的自然環境保全地域に指定。
◎「岩戸山」と当社が鎮座する「宮山」との間の渓谷に当社奥宮とされる天岩戸神社が鎮座します(現在記事改定作業中、リンクには飛びません)。ご本殿は屹立する岩盤斜面にへばりつくように鎮座しています。
ご本殿の裏側には神が天降ったという「御座石」、50mほど下には神が湯浴みしたという「産盥(うぶだらい)」といった巨石が座しています。

◎ご神域写真集→*神の庭* 皇大神社 
(境内史跡等の詳細もこちらに)

◎奥宮・岩戸山の写真集→*神の庭* 天岩戸神社

※写真は2016年秋頃、2017年11月頃、2022年10月撮影のものとが混在しています。




「麻呂子杉」





奇岩窓戸命・豊岩窓戸命を祀る御門神社。

こちらは岩長姫神社。新興宗教団体の施設のようです。

奥宮の天岩戸神社

麓の「宮川」を。