竹野神社・齋宮神社
(たけのじんじゃ・いつきのみやじんじゃ)


丹後国竹野郡
京都府京丹後市丹後町宮249
(P有)

■延喜式神名帳
竹野神社 大 の比定社

■旧社格
府社

■祭神
[竹野神社] 天照皇大神
[齋宮神社] 竹野媛命(タカノヒメノミコト) 建豊波豆羅和氣命(タケトヨハヅラワケノミコト) 日子坐王命


「竹野川」河口畔に鎮座する式内大社。明治には府社に列格しています。
◎社伝によると第9代開化天皇の妃であった竹野媛が、年老いて郷里に戻り天照大神を祀ったのを創祀としています。
ご本殿左(向かって右)に鎮座する、一回り小ぶりな社殿が摂社 齋宮神社。こちらには竹野媛と開化天皇の皇子二柱が祀られています。
◎当地は「丹後王国」の中心地と考えられ、当社のすぐ隣に巨大な神明山古墳(前方後円墳、全長190m)があり、竹野媛または丹波道主命(四道将軍の一人で日子坐王命の御子神)が葬られていると推測されています。海沿いに古墳を造る日本海側の文化圏に属しているとされ、また古代は当社のすぐ側まで海でした。禊場があったのかもしれません。
さらに海岸には日本のエアロックとも呼ばれる巨大な「立岩」が座しています。古代人がこれを神の宿る場所と考えたであろうことは容易に想像され、「丹後王国」の最盛期は当地で営まれたとするのがごく自然なことかと思います。
◎竹野媛は初代丹後国王とされる由碁理(ユゴリ)の娘。「勘注系図」では武諸隅命となっています。その竹野媛が開化天皇に迎えられた時に丹後国は大きく動きました。そして最盛期を迎え「丹後王国」などとも称されるほどに。
この竹野媛は卑弥呼の後を継いだという臺与とする説が根強くあります。
◎齋宮神社は、当地に戻った竹野媛が天照大神を祀り上げていた(実は夫の開化天皇を祀っていたのではないか)祭祀場を、後世に神社にしたのでないでしょうか。なおご祭神の建豊波豆羅和氣命は丹後初代国王の由碁理であると「勘中系図」には記されています。日子坐王命は3代目丹後王。なお竹野媛の兄または弟が2代目丹後国王であるとされています。
◎また齋宮神社には聖徳太子の異母弟の麻呂子親王も祀られていて、「立岩」の鬼退治伝説などもありますが後世の付会であると思われます。「大江山」の酒呑童子の影響もあるのでしょうか。
現在は風情漂う寂れた古社に。丹後王国を華やかに彩った竹野媛がここには鎮まっています。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。



桜、紅葉の時期は境内が一層美しくなります。











朽ちかけの境内社。



神明山古墳の頂から日本海を。
真ん中やや左に小さく「立岩」が見えます。