■表記
由碁理命(ユゴリノミコト)
丹波大縣主由碁理(旦波之大縣主 由碁理)

*「勘注系図」では建諸隅命を由碁理と同神とする、また別名 彦由麻須命、建日潟命(建日方命)、竹野別とも

*個人的思量ながら、彦由麻須命は河上麻須神と同神である可能性を考えています。


■概要
古代丹後地方を治めた海部氏(アマノウジ)の長。初代「丹後国王」とも言われています。

◎第9代開化天皇の妃となった竹野媛の父。山城国、そして大和へと拠点を移した建田勢命(建田背命)の子。
記紀その他古書いずれにも「由碁理」としての事績の記述はほとんど見られません。以下は数少ない記述や建諸隅命と同神と捉えてのものを。

◎「勘注系図」には以下のように。
━━開化天皇の御宇、丹波国から丹波郡と余社郡(與謝郡)を割き、竹野姫の屯倉(直轄地)を置いた。そして建諸隅命が仕え奉ったので竹野別とも言い、郡名にもなった━━(大意)。
また「一云」として、「丹波縣主由碁理命、母は葛木高田姫也」と。

◎「丹後旧事記」には、「旦波大縣主由碁理は竹野里を国府とした」とあります。

◎由碁理命(建諸隅命)の権勢が大きく飛躍した原因は、以下の2つのことが考えられます。

* 記の開化天皇の条、「若倭根子日子大毘毘命(開化天皇)が春日伊邪河宮(率川神社境内地か)で治めている時、旦波之大縣主である由碁理の娘 竹野比売竹野比売を娶った」(大意)とあります。つまり竹野媛が開化天皇の妃になったと。
* 父の建田勢命は丹後から山城国久世郡に(水主神社)、さらに大和へと拠点を移しています。これが竹野媛が開化天皇妃となる契機であったと考えています。

◎建諸隅命がもっとも知られるところは、紀の崇神天皇六十年の条、天皇が「出雲大神の宮」に納められている神宝を見たいと詔、早速使者 武諸隅が遣わされますが、神宝を管理していた出雲振根は出張中で不在、弟の飯入根から神宝を貢上させたというもの。なおこの神宝は河内国石川郡の美具久留御魂神社の御神体となっています。

◎そもそも建諸隅命は、「葛木高尾張」を拠点としており、葛木氏の大諸見足尼を娶っています。この2人の間の子が竹野媛建田勢命以降、尾張氏の系譜にも海部氏の系譜にもともに記されます。

◎「勘注系図」には、「建諸隅命(天火明命七世孫)亦云 建日潟命 亦名 彦由麻須命 亦云 建日方命」とあります。
「彦由麻須命」という神名。「彦」は男性への尊称、「由」がもたらす意味は分かりかねますが、子に比古由牟須美命(彦湯産隅命)がおり、世襲した字(鉄の溶解する様子を表しているという可能性も)。残るのは「麻須」のみ。類似する神名が河上麻須命。「河上」が地名であり、残るのは「麻須」のみ。つまるところ同神ではないかと。西隣の熊野郡「川上庄」を拠点とした人物。
由碁理命が竹野郡を屯倉として新たに管理を命じられたとあるように、どこかから来たとするなら、それは熊野郡であったのかもしれません。父の建田勢命は「川上庄」に国府を定めたと「丹後旧事記」には記されます。


■祀られる神社・関連社(参拝済み社のみ)
[越国] 彌彦神社 境内社 乙子神社
[丹後国與謝郡] 矢田部神社(与謝野町石川) … 祭神不明ながら武諸隅命とする説有り
[丹後国竹野郡] 竹野神社・齋宮神社 … 娘の竹野媛を祀る
[丹後国熊野郡] 三嶋田神社 … 武諸隅命が勧請したとする説有り
[山城国久世郡] 水主神社(城陽市)

[河内国石川郡] 美具久留御魂神社

河上麻須命を祀る神社は除きます。