三嶋田神社


丹後国熊野郡
京都府京丹後市久美浜町金谷今ゴ田791
(社前道路に停めました)

■延喜式神名帳
三嶋田神社の比定社

■旧社格
郷社

■祭神


久美浜湾に注ぎ込む「川上谷川」沿いは古代から開けたところですが、そのかなり奥地に鎮座する社。地名から製鉄鍛治関連の地であったことが分かります。
◎「丹後舊事記」や「熊野郡誌」などは河上摩須の勧請としています。一方「三嶋田神社由緒」という書では以下のように。
━━往古 川上谷には三ヶ所の嶋あり その一は武漁嶋(海士付近) その二は婦嶋(島) その三は生嶋(金谷)なり 人皇七代孝靈天皇の御宇 武諸隅命 生嶋に大山祇命 上津綿津見命 表筒男命を祀りて三嶋神社と稱し奉り 武漁嶋に中津綿津見命 中筒男命を祀りて矢田神社と稱し奉り 田村庄矢の谷丸田山に下津綿津見命 底筒男命を祀りて丸田神社と稱し奉る 而して人皇九代開化天皇の御宇に至りて河上の摩須が当社を崇敬した━━と。
武諸隅命は、崇神天皇六十年に出雲振根の留守中に弟の飯入根から出雲国の神宝を取ってきた人物(神)。物部氏系の矢田部氏の遠祖ですが、「勘注系図」には七世として武諸隅命の名が記されます。そして由碁理と同一神であるとも。この辺りは記紀と「勘注系図」とでは矛盾するので、なんとも言い難いところではありますが。
◎かつては式内社でもあり大社であったにもかかわらず、現在は寂れているのが残念です。




残念な状態の境内社。