水主神社・樺井月神社
 (みずしじんじゃ・かばいつきじんじゃ)


山城国久世郡
京都府城陽市水主宮馬場1
(P無し、農家の方の邪魔にならないよういつも一の鳥居の際に停めています)

■延喜式神名帳
水主神社 十座 並大 月次新嘗 就中同水主坐天照御魂神水主坐山背大國魂命神二座預相嘗祭 の比定社
[境内社 樺井月神社] 山城国綴喜郡 樺井月神社 月次新嘗 の論社

■旧社格
府社

■祭神
天照御魂神
天香語山命
天村雲神
天忍男神
建額赤命
建筒草命

倭得玉彦命
山背大國魂命
[相殿] 大縫命 小縫命


「木津川」の川縁、現在は京奈和自動車道に押し寄られるように鎮座。田畑の真ん中にポツンと忘れられたように樹叢があります。
◎式内大社が二座鎮座、かつては久世郡きっての大社。主座である水主神社のご祭神は十柱と異例の様相。
これは天照御魂神(当社は饒速日尊と同神とする)を高祖とし、第十世山背大國魂命までの歴代十世分を奉斎したもの。この第十世山背大國魂命の時に当地に移り、その子孫が山城水主連となり代々の祖神を奉斎したようです。式内社 荒見神社(論社として城陽市の荒見神社と久御山町の荒見神社が挙げられます)や式内社 水度神社もこの氏族が奉斎した社。現在はもっとも寂れてはいるものの、かつてはその中核の社であったといえます。
◎水主連は「新撰姓氏録」に「山城国 神別 水主直 火明命之後也」とある氏族。当社の案内、そして「勘注系図」や「先代旧事本紀」では火明命を饒速日尊と同神としていますが、本来は別神。火明命を遠祖とする尾張氏(海部氏)一族とみて差し支えないかと。
◎当社についてはいくつかの興味深い説が上げられています。当社と水度神社を結ぶ線上の先に「鴻巣山」の山頂に至ります。ここは水度神社の旧社地の候補地(宮司はもう少し北ではないかとする)。また当社方向に延長した先には月読神社(京田辺市大住)が鎮座。これは夏至に朝日が上る方角。日(当社ご祭神は天照御魂神)と月と水と、大いに関連があるかとされます。
◎樺井月神社が境内に鎮座します。こちらは式内大社 樺井月神社の論社であり、度重なる「木津川」の氾濫で当地に遷座されたというもの。神名帳には綴喜郡とあり、旧社地はおそらく「木津川」対岸、創建は大宝元年(701年)とされます。この付近には月読神社(京田辺市大住)が鎮座。そちらは大隅隼人たちが奉斎、当社は阿多隼人が奉斎と両社が並び建っていたであろうということに。旧社地は不明ながら、上述の夏至の朝日が上る線上にあったと推されます。





こちらが樺井月神社。