水度神社
(みとじんじゃ)


山城国久世郡
京都府城陽市寺田水度坂87
(P有)

■延喜式神名帳
水度神社 三座 靫鍬 の比定社

■旧社格
府社

■祭神
天照皇大御神
高皇産靈神
少童豐玉姫命


「鴻ノ巣山」の麓に広大な社地を構える社。一の鳥居からご本殿までは400~500mはあろうかと思います。
◎社伝によると創建は平安初期とされるものの、創建由緒は示されていません。ところが「山城国風土記」逸文(713年)には当社のことがすでに記されており、奈良時代には鎮座していました。かつては「鴻ノ巣山」の峰続きである「大神宮山(だいじやま)」に鎮座していたとされます。場所は不明。鴻ノ巣山には磐座等は見当たりません(確認済み)。宮司談では「鴻ノ巣山」の北側ではないかと。当社西方に鎮座する水主神社と当社を結んだ線を延長すると「鴻ノ巣山」の山頂に至ります。この山頂にかつては磐座があり、祭祀対象であったのではないかと考えています。
◎ご祭神については神名帳では三座であるものの、風土記では二座。100年余りの間に一座増えています。風土記には「天照高彌牟須比命」と「和多都美豊玉姫」とあり、「天照高彌牟須比命」が天照皇大御神と高皇産靈神に分かれたということなのでしょうか。
◎社名からは水戸神(ミナトノカミ)つまり速秋津彦・姫神が連想されますが、旧社地は山中であり相応しくない地に鎮座。水主氏(ミヌシノウジ)あるいは三富部氏(ミトベノウジ)が奉斎した社であるからとされます。いずれの氏族も「勘注系図」には火明命九世孫である玉勝山代根子命の裔とされ、水主氏や三富部氏などの氏族が挙げられています。水主氏は水主神社(当社より2km余り西南西)を氏神とし、三富部氏は荒見神社(当社より2km足らず南南東)を氏神としていました。




一の鳥居近くの大岩。


ご本殿は改修工事中。

工事期間中は仮屋に鎮まっておられます。




ここから先は「鴻ノ巣山」の登山道。10年以上前に登拝した際の写真が整理でき次第、追加UPします。