奈具神社 (京丹後市弥栄町)


丹後国竹野郡
京都府京丹後市弥栄町船木奈具273
(P有)

■延喜式神名帳
奈具神社の論社 (加佐郡)

■旧社格
村社

■祭神
豊宇賀能賣神


「竹野川」中流域、1kmほど東へ向かった小丘陵頂に鎮座する社。鳥居は下った麓の田園との境に設けられています。
◎「丹後国風土記」逸文等に「天女の羽衣」伝説が記されます(詳細は → 「京丹後の二つの羽衣伝説」記事にて)
悲しい経歴をたどった羽衣天女(豊宇賀能賣神)が「なぐしく成りぬ(心が安らかになりました)」と、最後に当地に留まりました。のどかな田園に囲まれた穏やかな古社。当社では豊宇賀能賣神を豊受大神と同神としています。
◎上記の通りに「丹後国風土記」逸文に表れる「奈具社」の論社の一社。また式内社 奈具神社の論社の一社でも。宮津市「由良」にも同名社 奈具神社が鎮座しており、どちらの方が該当するのか意見が分かれるところ。「神名帳」には加佐郡の項に記載がありますが、当地は竹野郡。分が悪いかと思います。
◎一方「逸文」には「比治の真名井」に降りたった後、和奈佐夫婦の元で暮らしたとありますが、地元伝承では「さんねも」伝説というのがあり、その子孫が「磯砂山(いさなごやま)」の麓に今もなお居住しているとのこと。またその後「荒汐」(荒塩神社の地か)に移り、さらに「哭木」(名木神社の地か)に移り、最後に「奈具」へと。すべて丹波郡~竹野郡内で収まっており、当地が該当するのかと思います。
◎当地は「逸文」に「婦哭木(ふなき)」とも記されます。「丹後王国」が栄えた理由の一つに、最先端のガラス加工技術を有しており、これを輸出し代わりに鉄資源を輸入していたことが上げられます。その一大生産拠点が当社から南すぐの「奈具岡遺跡」。
また現在の「竹野川」河口から当地よりまだ先まで「潟湖(せきこ)」が広がっていたことも、その理由の一つに。「船木」という地は物資の陸運発着地点、或いは造船の拠点だったのかもしれません。
◎当地では渡来系帰化人たちが従事していたと考えるのが素直かと思います。そして同時に鉄の生産も行われていたと考えます。
境内社二社のうち一社は新羅神社であるとも。これは後述のように「新羅大明神」とも称される溝谷神社に合祀されていた時代の名残なのかもしれませんが。
◎中世には大洪水で村ごと流失、溝谷神社に合祀されていましたものの、明治になってから当地にて復興したと伝えられています。
また以上のご由緒から「比治眞名井」、つまり元伊勢の候補地の一つでもあります。

*写真は過去数年にわたる参拝時のものが混在しています。








写真右下は霊石ではないかと思われます。

右殿(向かって左殿)

左殿(向かって右殿)

社殿背後の様子。この中に古墳が点在しています(奈具神社裏古墳群)。



社前の田園。奥の丘陵内に「奈具岡遺跡」があります。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。