荒塩神社


丹後国丹波郡
京都府京丹後市大宮町周枳
(詳細住所不明、北隣は「周枳258」)
(P無し、いつも参道前に停めています)

■祭神
(不詳)


境内及び周辺地域から、弥生時代~古墳時代にかけての祭祀場が発見されている、式内名神大社 大宮売神社が鎮座する「周枳(すき)」地区の社。写真のようにちょっとした小高い丘上に社殿が設けられています。
◎当社に関する資料が乏しく、よく分からないのが現状。ただし大宮売神社といい、「周枳」というただならぬ意味を持ちそうな地名、非常に気になる「荒塩」という社名。ほとんど知られない小さな社ながら、謎を秘めた可能性があると考えています。
◎まず「周枳」の地名起源については、古来より諸説あり一定していません。古代朝鮮語の「村(すき)」を起源としているように思いますが、これとて多説中の一。大宮売神社が地元では「お新羅様」と称されているようです。そもそも大宮売神という重要な神を主祭神とする式内社が、唯一当地に鎮座していることが注目点かと。また一帯の夥しい数の古墳群も(判明しているだけで200基はあるとか)。
◎当社を非常に重要な社ではないかと思わしめるのが、「丹後國風土記」殘缺の「羽衣伝説」の記述。育てられた老夫婦の元を追い出された天女(豊受大神)が向かったのは「荒塩村」、次いで「哭木村(なきぎ村)」(名木神社か)、そして最後に「奈具村」(弥栄の奈具神社由良の奈具神社)に鎮まったとあります。この天女の「荒塩村」にまつわるのが当社ではないかと。そのように考えると当社が信仰の対象(豊受大神の降臨地、磐座があったのか)であり、大宮売神社が神籬を立てたりした祭祀場であったのではと。ここまで想像するのは飛躍しすぎでしょうか。
なお「丹哥府志」は当社ご祭神を大宮売神としています。
◎他に当社に関する資料としては、丹後を中心とした大宝元年(701年)の南海トラフ地震。三日間揺れ続き巨大津波が発生したというもの。古代丹後を探る上では重要事件の一つかと。当社の鳥居のところまで津波が到達したと伝わります。標高60m、日本海より12.8kmの地(Wikiより引用)。当社創建はその大宝地震にちなむとも言われています。