籠神社
(このじんじゃ・かごじんじゃ)


丹後国與謝郡
京都府宮津市字大垣30
(P有、有料500円)

■延喜式神名帳
籠神社 名神大 月次新嘗 の比定社

■社格等
[旧社格] 国弊中社、官弊大社
[現在] 別表神社
丹後国一ノ宮
元伊勢吉佐宮の論社

■祭神
彦火明命
[相殿] 豊受大神 天照大神 海神(ワタツミノカミ) 天水分神


神代の頃より当社奥宮である匏宮(よさのみや、表記は「與謝宮」など多くあり)から、和銅六年(719年)に遷座された社。その匏宮では豊受大神を、天照大神の孫神である彦火明命が祀っていました。匏宮は遷座後は眞名井神社と社号を変え、現在まで丹後地方の聖地として連綿と斎祀られています。
天孫降臨の主役はニニギ神ですが、その兄神が当社では祀られています。つまりもう一つの天孫降臨神話がこの地で繰り広げられたとも言えるかと思います。
元伊勢「匏宮」
第11代崇神天皇の御代、大和国「笠縫邑」より天照大神の御魂が当地に遷されました。つまり最初の元伊勢であり、4年間とどまったとされています。
他に候補地として加佐郡の笶原神社皇大神社、竹野郡の竹野神社等が挙げられています。いずれも由緒深い社であり決めがたいところ。

◎国宝「海部氏系図」の公開
始祖 彦火明命から第34世までの直系子孫を記した系図が略称「本系図」、附(つけたり、=補足)が略称「勘注系図」の2部構成。第82世である現在の宮司、海部光彦氏が極秘伝の書を世に公開されました。ここには記紀や「先代旧事本紀」に記されているものとは異なる古代の系図や様子が顕れました。この書については多くの議論がなされているものの、丹後国庁の認知を受けさらに大和朝廷に提出されたものであることが証明されています。
◎秘宝 海部氏伝世鏡「邊津鏡・息津鏡」
二千年の沈黙を破った伝説の鏡。こちらも海部光彦宮司により公開されました。「邊津鏡(へつかがみ)」は今から2050年前、「息津鏡(おきつかがみ)」は今から1950年前のものとされています。
当主から当主へと厳重に伝世されてきた禁断の秘宝。「海部氏系図」にも記され、系図に表される史実を実証するものと言えます。またこの2枚の鏡を饒速日神が降臨する際に携えた「十種の神宝」とする説があります。
◎「五色の座玉(すえたま)
高欄上にある五色の座玉で、これは伊勢神宮と当社にのみ拝されるもの。

現在は公園化していますが、あくまで当社の参道です。

若狭湾内にある神の宿る島。籠神社とは表鬼門と裏鬼門の位置にあり、もちろん関連するもの。「一宮探秘」という書は当社の神域であるとしていますし、当社または眞名井神社の奥宮とも言われています。天火明命は最初ここに天降り、当社に遷座されたとも。
「竜宮島」とも呼ばれることもあり、豊受大神を乙姫とする神話との接点もあります。無人島であり、禁足地。
◎饒速日神と同神説
天照國照彦天火明櫛玉饒速日命(アマテルクニテルヒコ アメノホアカリ クシタマノ ニギハヤヒノミコト)と同神であると海部氏系図にはあります。ただし異論が多く別神とする説が有力。海部穀定氏・光彦氏といった近年の歴代宮司は、これを明確に否定しています。
◎賀茂別雷神と同神説
賀茂社に祀られる賀茂別雷命(カモワケイカツチノミコト)と同神とする極秘伝があるようです。詳細は明らかにされていません。
◎「葵祭(藤祭)」
第4代懿徳天皇の御代に始まった「藤祭」は、第29代欽明天皇の御代に「葵祭」と名を変え現在まで2500年以上続いているとされています(懿徳天皇の実在性、紀年についてはここでは触れません)。賀茂社の祭と同じ名前でもあり、上記の賀茂神と同神とする極秘伝の傍証になろうかと思います。
◎浦島伝説
丹後に数多く残る浦島太郎伝説。当社にもその伝承はあり、彦火明神ではなく浦島太郎を祀る社だとする異説も。4代目の倭宿禰命の像が境内に設けられていますが、亀の上に座り玉を持つ姿は浦島太郎そのもの。つまり椎根津彦命を祀る社ではないかと。

◎本来の祭神 熊野の神説
当社本来のご祭神は熊野の神であるという説もあります。つまりイザナミ神(あるいはイザナギ・イザナミ両神)ではないかというもの。天橋立はイザナギ神が造った、神々が天と地とを行き来する梯とされます。それが倒れ伏した(「丹後國風土記」殘缺の記述による)のが天橋立とするなら、当社は天の世界という捉え方もできるのではないかと。そしてそこに坐す神はイザナギ・イザナミ神であると。
なお海部氏は元々、丹後国熊野郡(現在の京丹後市久美浜町)の「海士(あま)」から移り当社を奉斎しています。
◎丹後国熊野郡から與謝郡へ
海部直(丹波直)の天火明命二十七世である千嶋の代に、熊野郡海士から海部直は各地に移住しています。千嶋(長男)は籠神社を、千成(三男)は笶原神社を、千足(次男)は天照玉命神社(丹波国天田郡)を創建したとされ、これは「勘注系図」にも記されています。
◎社名の訓みは「このじんじゃ」ですが、「かごじんじゃ」とする説もあります。
◎「籠」は「龍」に通じるものと考えられますが、当社扁額の外縁左辺には「昇り龍」、右辺には「下り龍」、上辺中央には「三宝珠」、下辺には「波文」が飾られています。重要文化財指定。下部に扁額の写真を 掲載しています。
当社の「龍」について以下を 示しています。
━━当社の龍神は潮満珠・潮干珠(しおみつたま・しおひるたま)を持ち、神代より真名井原に祀る月神としての神格のある豊受大神のお仕えとしてご神威を 発揚しています。そのため奥宮参道には狛龍が配されていて龍神の持つ二珠は、月の満ち欠けによって生死を司る霊力を 顕現する海人族の象徴でありました━━
豊受大神の「月神」については→「真名井原縁起」の記事にて。



*当社に関する出色はあまりに多く、折に触れて加筆修正していきます。

*現在は神門内部の撮影は禁止されています。禁止になる前に撮影した写真をアメンバー限定にて公開しています。→秘蔵写真はこちら










神宝の木製扁額


右が冠島、左が沓島。