加悦天満宮
(かやてんまんぐう)


丹後国与謝郡
京都府与謝郡与謝野町加悦50-1
(駐車場は周辺の寺と共用とみなして停めました)

■延喜式神名帳
[境内社 吾野神社]
吾野神社の論社
阿知江いそ部神社の論社(「いそ」は山偏に石)

■旧社格
郷社

■祭神
菅原道真
[合祀] 大己貴命 少彦名命
[境内社 吾野神社] 我野媛


「加悦谷(かやだに)」と称される地の「ちりめん街道」沿い、天神山の中腹に鎮座。境内社の吾野神社は山頂付近に鎮座しています。
丹波道主命の裔であるとする細目倉彦は菅原道真に仕えていたが、道真が大宰府に配流となったため彼は当地に戻り、道真亡き後に祀ったとのこと。
元々は吾野神社の境内社として創建されたものでしょうが、軒を貸して母屋を取られた格好に。
◎吾野神社の読みは「あがの」。神名帳においては「ワカヤノ」とフリガナがあります。「ワ」「ノ」は特に意味を持たない言葉であり、本来はご祭神と同じく「カヤ」であったかと思われます。この「加悦谷(かやだに)」の語源ともなった「かや」ですが、主に二説あります。一つは「我野廼姫(カヤノヒメ)」が祀られていたからとするもの。もう一つは古代朝鮮半島の最南端にあった「伽耶国」からとするもの。
我野廼姫は、野椎神であるカヤノヒメ神と同神とするものと、まったく異なる在地の神とするものと二通り考えられるかと思います。二ツ岩社で記したように、与謝郡はイザナギ・イザナミ神に対しての信仰が深かった地。その二柱の神生みの段で生まれたカヤノヒメ神と考えることは十分に可能かと。その神が当地を開拓して在地神化したのかもしれません。そして元々は伽耶国からやって来たのかもと、想像できそうです。
◎吾野神社の周りは古墳がいくつかあるようで、姫神以下の裔たちが眠っているのかもしれません。
◎なお式内社 吾野神社については、別に上山神社と須津彦神社・須津姫神社が論社として挙げられています。そして当社は阿知江いそ部神社の論社でもあります。


正面が吾野神社。「天神山」の頂上に鎮座。


「天神山」の見取り図、なぜか吾野神社の表記無し。左手の山の頂に鎮座します。天満宮からは2~3分程度。天満宮までは5~10分足らずでしょうか。

天満宮までの石段。




境内社の梅宮神社。

「ちりめん街道」