◆ 丹後の原像【21.失われた大王 「玖賀耳之御笠」~3 】
官軍 日子坐王に丹後国と若狭国の境「青葉山」から追われ、「邇保崎」を経て10kmほど西の「志託郷」に逃げ落ちた玖賀耳之御笠(陸耳御笠)。
今回はその続きです。
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「丹後國風土記」残闕より。
川守と称される所以は往昔、日子坐王が土蜘蛛である陸耳御笠を追討し「蟻道郷」の「血原」にやって来ました。先ず土蜘蛛である匹女を殺しました。だからその地を「血原」と言います。陸耳御笠は脱出しようとした時、日本得玉命が下流より追討して来ました。陸耳御笠は急いで川を越え遁走しようとしたので、官軍は楯を並べて川を守り、矢を次々と放ったが当たって流れ去る者も多くいました。だからその地を「川守」と言います。官軍が駐屯した所を「川守楯原」と言います。
「由良川」での大決戦があったようです。
「蟻道」は現在の福知山市有路、「血原」は千原、「川守楯原」は福知山市大江町蓼原(たではら)と思われます。
「匹女」という土蜘蛛が登場しています。女性と考えて間違いなさそう、しかも一族を率いる首長級と思われるので、巫女(シャーマン)であったと考えます。
但馬国に根拠地があったとされ、若狭辺りまでを支配していたとも言われます。陸耳御笠と支配地が被るため、連合政権であったとみるべきでしょうか。或いは祭は匹女、政は陸耳御笠だったのでしょうか。
また日本得玉命が登場。こちらは官軍側。
「勘注系図」によると、彦火明命八世孫とされます(「日本得魂彦」と記述される)。伊賀国に移住したようで阿拜郡の高倉神社に配祀神として祀られます。
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続けて、
「以て土蜘を駆逐し遂に由良港に到り 即ち土蜘の往く所を知ず 是に於ひて日子坐王陸地に立ちて礫を拾ひこれを占ふ 以て与佐大山に陸耳の登りたるを知覚しき 因て石占と云ふ 亦たその舟を祀り楯原に名つけて船戸神と称す」と。
陸耳軍を駆逐したものの陸耳御笠の行方は不明。由良港にて占を行ったようです。結果は「与佐大山」に登っていると。おそらく「大江山」一帯の山中かと。もちろんここも陸耳御笠の支配地の一つだったと思います。
ところがここでも陸耳御笠を退治したとは記されておらず、どこかに逃亡したものと思われます。
「船戸神」についても不明。「大江町蓼原」にそのような神を祀る神社も知り得る限り見当たりません。由良川沿いにかつては祀られていたのかもしれませんが。
「大江山」には3つの鬼退治伝説があります。
*日子坐王の陸耳御笠退治
*麻呂子親王の鬼退治
*源頼光の酒呑童子伝説
後の二つは陸耳御笠退治をモチーフにしてできた説話かと思います。
■過去記事
1.古代丹後国(丹波国)とは 2.加佐郡 3.與佐郡(前編) 4.(後編) 5.丹波郡 6.竹野郡 7.熊野郡 8.「丹後王国論」雑考~1 9.~2 10.「真名井原縁起」(前編) 11.(後編) 12.「丹後國一宮探秘」(大意その1) 13.(2) 14.(3) 15.(4) 16.(5) 17.(6) 18.「徐福」の余福 19.失われた大王「玖賀耳之御笠 」~1 20.~2