◆ 丹後の原像【16. 「丹後國一宮深秘」 (大意 ~その5)】



 「丹後國一宮深秘」という室町時代に著されたと考えられる、智海という社僧が興した海部家(籠神社社家)代々の秘蔵書。
今回はその書の大意を掲載する第5回目。

前回は「橋立明神」が、「天橋立」を含む当地一帯の体そのものであると述べているところまで。


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(橋立明神は)童子の姿となり光を放ちながら空に昇りました。そして沙門(修行僧)の像となり、すぐに地没する城とは霊仏が遊戯(ゆげ)なされたことですが、これは文殊が影向した時のことです。そうして天地開闢以来不朽の天橋立は化人(けにん※)がお出でになられ、一夜にして俄に渡る浮き橋になったと言われています。



【ちょっと一服して補足を…】

◎「化人」とは、仏が人の姿となり現れたもの。

「天橋立」は、イザナギ神がイザナミ神に逢うために作ったとするのが一般的な神話。もちろん仏が作ったなどというのは、大ぼらもいいところ。



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善女龍王の乙姫とは、(天橋立)を守護しなさる江姫明神と言われています。九世戸(くせのと※)の州崎に「一念が淵」というところがあります。これは龍宮城、つまり仙宮(ひじりのみや)へ通る門なのです。明神の社殿(※)もここに座しています。泳ぎの上手な者が海に入ったところ、偶然にも社殿を拝し奉ることができました。その様子は金精玉英を一段高い場所に敷き詰め、瑠璃珠、珊瑚などで満ちた美しい庭のよう。玉樹結根開花の趣です。これは誠に仙というに相応しいところ、海神の栖(すみか)です。不思議な気分で帰って来ました。後にそこに行こうとするも見ることも拝することも叶いません。また古伝によると「蓬莱」は丹後国に在るとされています。昔、秦の始皇帝や漢の武帝は霊薬を探し求めるものの見つかりません。見つかるまで帰らないと言っていた童男郎女は、終に船中にて老いてしまいました。蓬莱とは名ばかりで実在しないと言われています。巡り合わせが良くなれば見ることができるとも。籠大明神が降臨された最初の頃、つまり天橋立の松の梢におられる時、難陀龍王(※)は文殊を戴き、跋難陀龍王(※)は不動愛染二尊を戴き出現なされました。文殊師利菩薩は橋立大明神のことです。愛染不動は大世多大明神と申します。深秘は多くあります。天竺を月支と言い、これは月輪のことです。中国は星箭です(※)。大明神は私が治める地は日域として「日輪」と名付けられました。三光(日・月・星)のうちでは日天子が第一。とりわけ日本は霊山の影と日本書紀には見えます。これをもって山家大師は、日本すべての機は熟し一乗(※)に帰しました。これは大権化現であり、善根成就の国土です(※)。中でも天橋立は核となる所。どうしてかというと、二龍王は霊山説法を聴衆する人々の拠り所。世界広しと雖も、この天橋立に跡を留め守護神と成りなさっているのは世界一の不思議です。沙竭羅龍王は南方無垢の世界に悟りを開き、難陀龍王女は籠群天橋立の守護神として顕れなさりました。



【ちょっと一服して補足を…】

◎「九世戸」とは智恩寺付近のこと。つまり天橋立の南側付け根辺り。
◎「社殿」としましたが、原文は仏教的要素が強い「社壇」と記されています。
◎「難陀龍王」「跋難陀龍王」は、八大龍王の二龍王。
◎この部分がどうしても訳せません。読み下し文は「震旦を星箭たり」。
◎「大権化現…善根成就の国土…」要は仏教にまみれた国になってしまっていることを言いたいのだと思います。
◎「沙竭羅龍王」も八大龍王の一。

◎「江之姫明神」とは天橋立の守護神であり、また龍宮を栖とする海神であると記されているのが重要点。
そう書いておきながら、その後に八大龍王が守護神になっているかのごとく書いていて、ちぐはぐな内容となっています。
◎現在、江之姫神社天橋立の北側付け根に鎮座しています。ところがかつては南側付け根の、現在の智恩寺の辺り「九世戸」に門があり、龍宮へ通じていたと記されています。

◎「蓬莱」について記されているのも、注目されるところ。宇良神社(浦嶋神社)などで浦嶋子(浦島太郎)が「蓬莱」(龍宮城)に行く神話伝承が残されています。

(宇良神社境内に造られた「蓬莱の庭」)