◆丹後の原像【11. 「真名井原縁起」 (後編)】 


籠神社及び奥宮である眞名井神社の創祀創建に関わる、おそらく最重要資料ではないかとされる「真名井原縁起」。
前回の記事ではその読み下し文の前編を、今回は残り半分の後編を掲載します。


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ゲニ大神(豊受大神のこと)ヲ祭る神事(第4代)懿徳天皇四年甲午(きのえうま)ニ始マリテ古へ(いにしえ)藤祭ト稱シ 欽明朝以降ノ葵祭ノ濫觴(らんしょう =始まり)タリ 之ノ(この)山ヲ天香語山又藤岡山或ハ比沼ノ真井(ひぬのまない)トモ云フハ命名ノ深秘アリテ其ノ心ハ御生レ(みあれ)ノ神事ナリ 豊受大神東正中ニ鎮マルニ対シ 西座ニ鎮マル雄大ナ磐座ハ大八州國生ミノ元神伊射奈岐伊射奈美ニ神ノ体ニシテ 日神此ノ処ニ所生スト伝ヘテ日之小宮(ひのわかみや)ト云フ 
伊射奈岐ノ神ハ天浮橋(あめのうきはし)ヲ樹テテ(たてて)磐座ノ女神ニ通ヒ 以来之ノ磐座ヲ鶺鴒石(せきれいいし)トモ申シ岐美ニ神和シテ坐ス 即チ天橋立ハ神人通行ノ梯ニシテ古へハ籠宮(このみや※)ノ境内参道ト爲ス 神代ニ天上ナル天真名井ヲ挟ミテ日神素尊(スサノオ神)誓約(うけひ)シテ三女五神ヲ生メリ 其ヲ地上ニ求ムレバ之ノ真名井原ナラムト伝フ 実ニ此ノ処両個ノ磐座ハ天地日月水火陰陽併祭ノ源基ニシテ 民族ノ霊覺ノ象徴大和心ノ発祥ナリ
崇神帝ノ御宇天照大神倭ノ笠縫邑ヨリ真井原ニ遷移シ 豊受大神ト同殿ニ鎮マリ吉佐宮ト申ス ニ神ハ高天原ノ幽(かくれたる)契ニ依リテ離ル可カラザル事 一神ニシテ座ニ神ニシテ一座ノ秘傳嚴トシテ籠宮ニ存ス 是籠宮ヲ元伊勢ト申ス事ノ元(はじめ)ナリ 中書ニ曰ク天子ノ大社ハ必ズ霜露風雨ヲ愛ク以テ天地ノ精氣ニ達センガ爲ナリト 真名井社今ニ神代ノ風儀ヲ遺ス(のこす) 天下萬民心アラバ来リ詣デテ世界平和ヲ祈リ灼然(いやちこ)ノ霊氣ニ浴サレン事ヲ

(天橋立 2016年頃)



少々補足を。

籠神社眞名井神社についてこれまで語られてきたこととほぼ変わりないかと思います。翻ってこの「真名井原縁起」を基にして語られてきたのであろうかとも。
創祀創建については、これ以下でもなくこれ以上でもなく、正に然りといったところでしょうか。

*「籠宮」に「このみや」とルビをふられており、「かごみや」とはしていません。公にはそうなるのでしょうが、宮司ご自身はどう称しておられるのかぜひとも伺いたいところ。そんな機会があるならば…。
境内で何度もお見受けしていますが、「こんにちは」のご挨拶申し上げることすら憚られるほどのオーラを発しておられるので。

*「天橋立」は境内であり参道であると明記されています。観光スポットであり、夏場はビーチともなっていますが、私共は心を浄め一礼してからでないと渡ることはできません。